第18話「鼓動を狙う影」

 夜が明けても、村には奇妙な沈黙が漂っていた。

 昨日の「無声の夜」の余韻がまだ骨に残っている。

 子どもたちは遊びの拍を口にしながらも、すぐに黙り込み、大人たちは笑い声を立てることをためらっている。

 誰もが知ってしまったのだ――声は奪われる。

 そして、鼓動さえ狙われていると。


 俺は吊台の前に立ち、掌を胸に当てた。

 ドン、ドン……心臓は確かに鳴っている。

 だがその裏で、もうひとつの鼓動が追いかけている気がした。

 囁きが模倣している。

 声ではなく、命の拍を。



 老人が広場に皆を集めた。

 「今度の相手は声ではない。鼓動だ。声は重ねられるが、鼓動は一人ひとり別々に鳴る」

 ざわめきが広がる。

 老婆が不気味に笑った。

 「つまり、合わせようとすれば命が狂う。ひとつ早ければ血が暴れ、ひとつ遅ければ息が止まる。囁きはそこに入り込むんだよ」

 ヨルグが首を振った。

 「違う。合わせるんじゃない。響かせるんだ。鼓動を同じ器に響かせれば、囁きは紛れ込めない」

 「器はもう壊したろうが」老婆が鼻を鳴らす。

 ヨルグは吊台を指さした。

 「器は人だ。胸が器だ。ここに響かせる」


 俺は拳を握った。

 「なら試そう。鼓動を声に変える。胸を打ち、血を鳴らす。それを輪にするんだ」



 夜。

 輪は声を封じ、代わりに胸を叩いた。

 ドン、ドン、ドン……。

 子どもも女も男も老人も、一斉に胸を打つ。

 音は声より不揃いだ。

 だが、不揃いだからこそ厚みがあった。

 囁きが入ろうとしても、一定の隙を見つけられない。


 しかし、鼓動の合奏は身体に重かった。

 額に汗がにじみ、息が乱れ、老人の顔は青ざめていった。

 「無理をするな!」カイが叫んだ。

 だが老人は杖で胸を叩き続けた。

 「止めたら囁きが入る!」



 その時だった。

 弟が胸を叩くのをやめ、喉を押さえた。

 顔が真っ青に変わり、目が虚ろになる。

 「弟!」カイが駆け寄る。

 だが弟の胸は――二重に鳴っていた。

 本来の鼓動と、その裏で遅れて追いかける影の鼓動。

 囁きが弟の命を模倣している。


 俺は弟の胸に手を重ねた。

 熱が伝わる。だが、裏の拍のほうが強い。

 「……奪われる」

 囁きが声ではなく、鼓動を剥ぎ取ろうとしている。



 ミナが叫んだ。

 「リク! 返拍だ!」

 俺は息を吸い、弟の胸に合わせて自分の心臓を逆に打とうとした。

 返拍で影の鼓動をずらし、本物を浮かび上がらせる。

 だが、自分の鼓動を操作するのは声より危うい。

 一瞬でも誤れば、自分が死ぬ。


 老人が背中を叩いた。

 「やれ! 命を張るのはおまえだ!」

 カイが弟の肩を押さえ、ミナが俺の手を握る。

 俺は目を閉じた。

 ――ドン。

 弟の鼓動がひとつ遅れる。

 俺はその隙に、返拍を胸で打った。

 ――ドン!


 全身の血が逆流するように痛み、視界が白く弾けた。

 だが弟の胸の裏拍が消え、本来の鼓動だけが残った。



 弟が息を吐き、喉から小さな音が漏れた。

 「……ひとつ」

 かすれた、だが確かな声。

 囁きは追い払われ、弟の鼓動は戻った。

 村人たちが泣きながら胸を叩き続ける。

 ドン、ドン、ドン……。

 鼓動の合声は輪を広げ、囁きの影を押し出していった。



 夜が明けた。

 吊台の印は十八のまま、だがその縁は薄れている気がした。

 俺は胸を押さえ、荒い息を吐いた。

 喉が焼けるように痛い。

 昨日までの囁きが、今は鼓動の奥に潜んでいる。

 「次は俺だ」

 そう呟くと、ミナが強く首を振った。

 「違う。次はみんなで守る。あなたひとりにさせない」


 俺は彼女の手を握り、心の底でひとつ数えた。

 ――鼓動を奪わせない。

 たとえ影が命そのものを狙っても、俺たちは返す。

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