38+1=クジラ

遠宮透

38+1=クジラ

「おめでとう。革命は成功した!」

 その声にこたえるようにあちこちで歓声が上がる。革命軍はずいぶんと大きくなった。

 どこからかアルコールのにおいもする。上層市民の住居炎上に紛れて盗んだのだろうか。だとしたら随分と命知らずだ。


 ワイワイと話をする仲間たちは、今回の功労者たちを訪ねに行くらしい。今日から付く名前を聞きに行くのだろう。


 今日この時を持って、プラスチックと数字による支配制度はようやく終焉を迎えたのだ。

 そんな姿を眺め、彼は一人彼女を思い出していた。一人ぼっちで、理論的で、お人形のような__彼を功労者の一人に仕立て上げた彼女を。

 やはり彼女も、死んだのだろうかと。





「何の資料が欲しいの?」

 たった一度の出会いは、革命がまだ小さな夢想だった頃。従順な世界が回り続けている頃の事だった。


 小さな懐中電灯の明かりが最初の記憶だった。


  彼……KZ103852wlは生まれながらの下級市民だ。十二歳の頃から今の仕事に配属されて、かれこれ十年程度になる。ずっとKZ地区の奥の方の川辺に一人で住んでいて、最近税金が払えなくなってきた。そんな青年だ。

「も、申し訳ありません! このことはどうか内密に」


 この時代に珍しい書物の山に会えるのは、おそらくこの街でここだけだろう。

 鉄で作られた武骨な棚はこの狭い地下室に小さな森を築き上げている。LA地区の東の果てにある古びた井戸。その底に存在するこれまた小さな鉄製の扉はこの地下室につながっていた。


 KZ103852wlがこれを見つけたのは先月のこと。

「ただ本が読みたかっただけなんです」

 目的を持って規律を破ったのは二時間前の事だ。


「その腕章、KZ地区から来たのね。指定配属地域外侵入じゃない?」

 清潔な真っ白いワンピースに身を包んだその体躯は十代半ばくらいに見える。彼女は長い黒髪を揺らしながら棚の上に座り、こちらを見下ろしていた。


 暗くてこちらから表情は見えない。そんな年下の少女でも、KZ103852wlには敬語を外すことができない。

 上級市民と隔てられた彼らが奪われた権利は、名前を持つことだけではないのだ。

 教育、娯楽、平等性。それから……多すぎて数えるだけ無駄だろう。


「はい、その通りでございます。申し訳ありません。すぐに戻りますから」

「いいわよ。からかっただけ。私が言ったところでお父様もお母様も相手にしないの」

 くすりと小鳥が鳴くような笑い声。


「じゃ、はい。受け止めて」

「え」


 こちらの反応も見ずに棚から飛び降りた少女を慌てて受け止める。仕事のおかげで体格だけは良いから、細身の彼女を受け止めることは交通整理よりも簡単だった。急だったので、少しだけよろめいて鉄製の骨組みに背中を預ける形になりはしたが。


「ありがと」

 彼女は愛想よくそう言うと、KZ103852wlから降りた。そのしぐさは見た目の年齢に見合わず優雅で、ああ、そうだ。蝶が舞うときに似ているんだ。


「あなたはどなた?」

「KZ103852wlです。組み立てや交通整理を……」

 言うべきか迷うが、言わない権利はない。上層市民に命じられた下層市民なんてそんなものだ。彼を見ることもなく棚の中のほこりを掬っていた彼女は、興味なさげにふうんとつぶやいて、それから動きを止めた。


「一、ゼロ、三、八……五十二」

 彼女は、番号をしばらく反芻して口の中で転がす。まるで歌っているかのようなその様子をKZ103852wlはじっと見つめた。できることなら早く帰りたい。しかし、番号を言ってしまった。彼女が通報すれば自分は終わってしまう。


 追い詰められた状況を端的にあらわす言葉を彼は知らないが、火が目の前に迫ったらこういう気分かもしれないと思った。彼の命は、この少女の言葉一つで決まる。

 黙らせようか。こんな子供一人、大したことはない。いいや、そんな無謀な。馬鹿げてる。

 そんな問答を一人で繰り返していると、彼女がああ、と口を開いた。


「素敵。クジラじゃない」

「ク……クジラ?」

 出て来た言葉に拍子抜けした。思わず声も出る。

「そうよ? クジラ。海で泳ぐ哺乳類のクジラ。基本的に十から三十九ヘルツで鳴くから……って、まって? 1038って言った? 四桁目は九じゃないの?」

「はい、103852です」


 大きな黒曜石の瞳を見開いた彼女は、彼の言葉ですぐさま落胆した。ため息をつきながら棚に背中を預けている。腕を組んだ尊大な仕草は、やけに様になっていた。


「三十八……なあんだ、一足りないじゃない。これじゃジラじゃなくてジラね」

「ヤジラ……ですか……」

「ええ、ヤジラくんね。こんばんは、ヤジラくん」


 クジラの事はあまり知らない。生きるのに必要な最低限の知識の中に、泳ぐ哺乳類は含まれていないからだ。でも、ヤジラになってしまったのを彼は少し残念に思っていた。名前を持たない自分は、こんなところでも欠けているのだと突き付けられた気分だ。


「五十二は……」

「なあに?」

「五十二には意味がないのですか?」


 彼女が咀嚼した数字は一、ゼロ、三、八……五十二。ほら、五と二も含まれている。ならば、この五と二にだって意味があるべきではないのか。そんな無言の思いを受け取ったようで、彼女はくすりと笑った。


「あるわよ」

 言いながらぐい、と距離を詰めてくる。ヤジラくんはその勢いに後ずさった。


「五十二ヘルツのクジラが居るの。五十二ヘルツで鳴くせいで誰にも見つけてもらえないクジラが」


 彼女の絹のような黒髪が揺れる。あたりは暗く、彼女の懐中電灯の光だけが二人の周囲を照らしている。天井の扉から、冷たい風が吹き込んでくる。厳しい冬はもうすぐ終わる。今年も春がすぐに去って、夏が駆け足でやって来るのだろう。数日間の春が現れかけている。


「かわいそうですね。誰にも見つけてもらえないなんて」

「ええ、私もそう思うわ。まるで……ここにある紙束たちみたい」

 その声は静かでポツリとしていた。しばらくの無言が通り過ぎていく。小さな空虚がそこにあった。


「あなたは……なぜここに?」

 仕事以外の質問をすることは、下級市民に与えられていない権利の一つだ。でも今更だろう。すでに彼は疑問を一つ彼女に投げている。そして今回も彼女は、気を悪くすることなく口を開けた。


「五十二ヘルツの紙束たちに会いに来たの。事実をたくさん詰め込んだ、過去からの贈り物に」


 彼女が手近な本に手を伸ばす。虫食いが所々に入ったその紙面は、彼女の手には少し大きい。褪せた赤色の表紙は、彼女には映えない。冴えない冊子だった。


「今時のインターネットはね、作られたものばかりなの。ノイズがあるからすぐ分かる。本当につまらないわ。だからたまには真実も見たいの」

 それに__と彼女は言葉を続ける。

「それに、誰も受け取ってくれないなんてさみしいわ」

「受け取る、ですか?」

「そうよ。誰も言葉を受け取ってくれないなんて、死んでしまう」


 ずっしりとした重みを受け止めた彼女は表面をそっとなでる。

「それは……悲しいですね」

 冴えない表紙がきれいに見えるのは、彼女が受け止めたからなのか。それとも天井から差す月の具合か。


 当然、彼に生まれたときの記憶はない。だから気づいたときには一人分の個室と体と義務が存在していた。苦しくて投げた言葉は、誰にも聞かれることなく落ちていった。そんな昔の記憶が、ヤジラ君の脳裏をよぎる。その姿に、彼女はしばしの間言葉を止めていた。


「この場所ね、もうすぐ壊されるのよ」

「そうなんですか」

「ええ、先日中央AIシステムが見つけちゃったの。良い日に来たわね。今のうちに好きなものを全部持って行っておきなさい」

 彼女はその冊子を軽く開いて中を改めた。ヤジラ君もそれに倣って……倣おうとして、そしてやめた。


「ほしいもの……ありません」

 彼女が顔を上げてヤジラ君を見る。

「ほしいものとか、わかりません。ここにある本を読んだところで、僕の日々は変わらない。数字で呼ばれて、一人で生きる。それがずっと続くだけだ」

「でもあなたはここに来た」


 ヤジラ君は顔を上げた。彼女がまっすぐにこちらを見つめていた。

「本を読みたかったからなのか、それともただの好奇心か。いずれにせよあなたは今日この場所にいる。変わらないと思っているのに、変化を求めている」


 静寂というには苦しい何かが体を駆け巡った。

「ねえ、ヤジラくん。いいもの見せてあげる」


 彼女はくるりと後ろを向くと、本の森の奥の方へ向かっていった。静かな足音が反響している。彼はその足音を追いかけた。

 突き当りの壁の手前に置かれた細い箱に、筒が何本か置かれている。彼女はその中のいくつかをのぞき込んで、特に汚れがひどいものを取った。

「見て、この街の管理を行う中央AIシステムの設計図」


 ヤジラ君は少ししゃがんで紙をのぞき込んだ。確かにシステムの根幹にかかわる設計図であることが分かる。所々にシミとしわと破れがあるが、この程度ならば仲間に任せれば復元は容易だろう。


「なぜそんなものがここに?」

「さあ、知らない。もしかしたら、これからの世界を憂いた五十二ヘルツの誰かが残したのかも。誰も見ないように」

 わざわざ紙で、ね。と付け足したその表情は形容できない底の深さを見せていた。本当に体躯に見合った年齢なのだろうか。人生を三回ほど歩んだ後ではないのだろうか。上層市民はみんなそんなものなのか? 悩むヤジラくんをよそに、彼女は設計図を押し付けた。


「これ、持って行って。システムの基礎の基礎に、作ってからほとんど手を付けられていない場所があるはず。だからきっと役に立つ」

「何の役に立つんですか?」

「あなたの人生に変化を与える何か」


 それが何を示すのか、察せないほど馬鹿ではなかった。

「なぜこんなに良くしてくださるんですか。俺は下層市民で、あなたは上層市民です。もし僕の人生が変われば……あなたは死にますよ」

 黒曜石が天井扉から差し込む光に照らされる。透き通っていて、きれいだと思った。彼女は次の資料を取り出して開いている。ああ、紙に目を落とした際に黒曜石が伏せられてしまった。


「そうかもね」

 ページをめくる音一つと、小さな呼吸音が二つ。外からの音と隔離されたこの場所は、今三つの音で包まれている。そこに、意を決した音が増えた。小さな少女からだった。


「……私ね、コドクって名前なの。ひどい名前でしょ?」

「え、いや……その」

「気を遣わなくていいわ。たった一人。一人ぼっちの名前。私、この名前が大嫌いなの。でも」

 そこまで言って彼女はヤジラくんの手元に資料を乗せた。筒になった紙がぽこんと音を立てる。


「今、この名前に意味を見つけたわ」

 天井扉から風が吹き込む。少し周囲が明るくなってきた。

「意味、ですか?」


「ええ。あなたの番号に私の一を足せば、三十九になる。ヤジラくんはクジラになれる。だから私は一人だったんだわ。あなたをクジラにするために。ありがとう、この五十二ヘルツを拾ってくれて」


 吹き込んだ風が、彼女の黒髪とたくさんの資料を揺らした。パタパタと紙の音がする。落ちそうになった筒を拾うため、慌てて手を伸ばす。

「拾ってなんて、そんな」

「今、上層市民の大人はAIが創り出した娯楽にしか興味ないの。さながら、中毒のようにね。すべての決定権をAIにゆだね、もうこのままじゃ衰退の一途よ」

 不意に彼女と目線が合う。子供のような、いや、年相応そうな笑顔だ。彼女が息を吸う音が小さく聞こえる。上層市民の黒髪の彼女は、人間だったらしい。


「ねえ、革命を絶対に成功させてね。AIでランダムに生成された文字列を贈り物名前なんて呼ぶ世界を、粉々に砕いて作り直して」

「あなたは……」

 言葉を紡ぐことを咎めるように、彼女が口元に指を添えた。


「ヤジラくん。あなたが、私をクジラにしてね」

 朝日が扉から、室内を貫き始めた。




「なあ!」

 投げかけられた声にびくりと肩を揺らして目を開けた。あの日を思い出すうちに、少し眠ってしまったようだ。

 周囲はまだ夜。地下室のほこりのにおいはすでに消え、彼女の呼吸音も記憶のどこかに霧散してしまった。


「KZ103852wlは何の名前を付けるつもりなんだ?」

 功労者インタビューの順番は彼にまで回ってきていたようだ。八対だか九対だかの瞳が期待するようにこちらを見つめている。

「俺は、そうだな」


 五十二ヘルツが聞こえる。文字列が贈り物になる世界が終わっていく。


「クジラにしようかな」

 皆が首をかしげるこの五十二ヘルツは、どこかのコドクに届くだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

38+1=クジラ 遠宮透 @miyato8310

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画