テレビ・クルー
ナカメグミ
テレビ・クルー
「ほら、おいでなさった」。支局長がタバコを吸いながらつぶやいた。「そうですね」。先輩支局員も、キーボードの指を動かしたまま、頷いた。ガラス窓の向こうを、愛くるしいキャラクターが描かれた、テレビ局の中継車が通り過ぎて行った。
また、荒らされる。私も心の中で、ため息をついた。
私は海沿いの小さなまちで、新聞社の記者をしている。数人しかいない、地方の記者の拠点を「支局」と呼ぶ。私は50代の男性支局長、2年先輩の男性記者、そして私、の3人体制の支局で働く。
このまちで昨日、学校給食が原因と思われる食中毒が起きた。この夏、全国で食中毒が相次いでいること。症状が出た小学生の人数が、3桁と多かったこと。原因の食材が特定できず、保健所が調査中であること。そして他に大きなニュースがなかったこと。さまざまな要因が重なって、普段は小さなまちに、テレビ局の中継車が大挙してやってきた。
私を含めて、たいていの新聞記者は、テレビの取材集団を嫌っている。こちらが、ポケットに入れたメモ帳(またはノート)とペン、肩に下げた一眼レフカメラ、現場によっては社名の入った腕章を着け、身ひとつで行動しているのに比べて、彼らは最低2人、多ければ5人で徒党を組む。記者とカメラマン。ディレクターとカメラマン。アナウンサーとディレクターとカメラマン。アナウンサーとディレクターとカメラマンと音声。アナウンサーとディレクターとカメラマンと音声と照明。こちらが日々、地道に築き上げてきた人脈、取材網の美味しいところを、気まぐれに来ては食い荒らす。発生事案について不勉強なまま、飛び込んでくる記者も多い。
「◯田✕子アナウンサー、来たりしてー」。先輩記者がにやついた。中継車が外を通ったテレビ局の、今売り出し中の女性アナウンサーだ。「あんな子と同じ職場だったら、テンション上がるんだけどなあ」と、私を見た。鏡、見てみろ。30歳にして頭髪が薄くなり、だらしなく腹が出たお前など、彼女の目には入らないだろう。
28歳と、既に若くもなく、不器量な私は、ひたすら彼の妄言を聞き流すしかない。
テレビクルーがやって来る事件、事故が起こると、そのまちは潤う。事案が長引けば長引くほどだ。ふだんは空室も多い宿泊施設が、連泊で埋まる。コンビニは弁当類、飲料類が飛ぶように売れる。夜の飲食店も、彼らでにぎわう。我々はそれを、冷ややかな目で見る。
中継車を見た翌日の早朝から、取材の続きが始まった。顔なじみの保健所の所長、学校給食施設の責任者を訪ねて、原因の特定につながる新しい情報がないかをきく。病院に入院している子供の病状を、関係者にきく。スーパーで買い物中の、小学生を持つ母親の声をきく。携帯が鳴った。支局長からだ。「いろんなP、押さえといて」。写真のことだ。「わかりました」。
本版か、地方版か。あるいは使われないか。いずれにせよ、関係機関の建物の写真は、すべて押さえておくのが無難だ。役所、保健所、給食施設、 多数の患者が出た小学校・・・。車を運転して各所を周り、分割の支払いが終わっていないニコンの一眼レフカメラをいろいろな角度で向ける。
小学校の外観を撮っているとき。「▲村さん!」。学校の玄関から出てくる女性が、私の名前を呼んで、大きく手を振った。先日、学術的にも非常に珍しい昆虫を見つけたという、男子小学生を取材させていただいた。彼の母親だ。まだ食中毒が起こっていなかった数日前、その記事は地方版の頭を飾った。確か、この小学校のPTA役員をしていると言っていた。取材のお礼を伝えようと、駆け寄ったその時。
「おい!!カメラの前、横切るな!!」。野太い男の声が響いた。見ると、黒いテレビカメラを肩から下ろしながら、中年の男が私を睨んでいた。「カメラの前、横切るの、ありえないだろ。お前、一応プロだろ」。彼は私の腕章を見た。傍らに立つメガネをかけた男性記者も、不満気に私を見る。
テレビカメラマンは、引きの画を押さえるため、校門から離れた場所で学校を撮影していたらしい。自分の撮影に夢中で気がつかなかった私は、ちょうどその前を通り過ぎてしまった。「すみません」。謝った私に、彼は舌打ちをして、背を向けた。声をかけてくれた母親が、申し訳無さそうにしていた。私は努めて明るく言った。「この間の取材、ありがとうございました」。
その晩、久しぶりに研いだ。シャリ。シャリ。懐かしい音。小学校の担任だった女性教諭が、丁寧に教えてくれた。「これを毎日やっていると、集中力がつくのですよ」。マスターしておいてよかった。6H。これだけ尖らせれば、まあ、なんとかなる。要は、集中力。
翌日。手にテレビカメラをぶら下げたあのカメラマンが、メガネの男性記者と2人で、役所の廊下を歩いていた。普段は、職員や来客のほかは、私達、地元の記者しか歩かない、首長室のあるじゅうたん敷きの廊下だ。堂々と。真ん中を。私は後ろからカメラマンに近づき、媚を含んだ声をつくった。
「あの、昨日は撮影中に、ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」。
「・・ああ、小学校の」。中年カメラマンは振り向いて、表情を緩めた。
集中力。私は、斜め上にある彼の右の目めがけて、昨日研いだ6Hの鉛筆を思い切り刺し込み、抜いた。
「ぎゃあーっ」。間抜けな声を出しながら、彼は目を押さえてうずくまったのち、腹を見せてのたうち回った。さながら、ひっくり返って助けを求める珍種の虫のようだ。テレビカメラが床に転がっている。ペンは剣よりも強し。本当だ。
「カメラ落とすなよ。お前、プロだろ」。私は彼の、広い前頭部をパンプスで踏みつけた。
不勉強な彼に、教えてさしあげたのです。
(了)
テレビ・クルー ナカメグミ @megu1113
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