ーー後編ーー

 ーー慣れない一人暮らしでしたが、彼は何とか日々を過ごしていきます。


 毎日が初めての繰り返し。

しかし、それも時間が経ち、何度も繰り返しているうちに日常となっていく。


 それは彼にとっても、例外ではありません。

今までとは違う、一人で生きていく日常。

……その中で彼が強く感じていたことは、祖母への感謝でした。


 その感謝を抱いたのは一人で生きていく中で、変わりない日常を過ごすことがどれだけ大変か、そのためにしなければいけないことがどれだけ多いかを身をもって知ったからです。


 彼はようやく気づきました。

自分が何気ない毎日を過ごせていたのは、祖母が自分を想って見えないところで支えてくれていたからこそ、なのだということを。



 その気づきは彼の心に新たな花を咲かせます。

……それは、信念という花でした。


 彼は思ったのです。

今の自分があるのは、祖母の存在があったからこそなのだと。


 そして祖母は彼が一人暮らしを始めてからも、心配からか定期的な連絡をしてくれました。……彼にとって、その祖母の自分に対する想いが、ずっと前から確かな支えになっていたことを思い出したのです。


 そして、彼は信じることにしました。

自分の中に在る、祖母への感謝の気持ちを。


 その気持ちがあれば心に疑念の花が咲いていようと、自分の歩んできた道の責任を祖母に全て押し付けることはしないと。

……少しだけ、自分の中に在った綺麗な心を信じることにしたのです。



 そして彼は、祖母のもとへ帰ります。

長いようで短い一人で過ごした時は、彼に大切なことを教えてくれました。


 自分の中に醜い心や疑念があったとしても、自分を信じていいのだと。

本当に大切なのは、信じたいと想いながら生きていくことなんだと。


 たとえそれが他の人から見たら間違いでも、報われないものだとしても。

信じたいと想い、願う。……その時に溢れる抑えきれない心こそが、自分が望むことなのだから。


 ……それこそが自分にとって大事なこと、生きるために必要なことだから。


 だから、彼は生きていくのです。

自分を観察しながら、自分の中に溢れる心のままに。




 ーーそうして彼は自身の心に従って、新たな日常を過ごしていきます。

……その日常は周りから見れば、彼が一人暮らしを始める前と変わらぬものでした。

しかし彼にとっては、確かに新たな日常だったのです。


 そして彼の変化は、心の中での反省会にも影響を与えます。


 もう彼の中では、呼吸をするのと同じくらい当たり前になっていた反省会。

毎回、自分の行動を振り返り、悩み、考え、反省をして、次はどうしたいのか結論付ける。


 今までは、そこで終わりでした。

しかし溢れる心に従うと決めた頃から、その反省会の終わりに変化が表れていました。


 ……終わる際に、声が聞こえるようになっていたのです。

その声は言います。「それも面白いね」と。……まるで、感想でも呟くように。




 ーーそんな変化を感じつつも変わらぬ日常を過ごしていた彼に、ある時大きな出来事が起こりました。……彼自身の魂の在り方を知るきっかけになる出来事が。



 その出来事は、彼の職場の同僚が呟いた悩み事から始まります。

それは「今の会社で働き続けるか迷っている」という悩みでした。


 彼はその悩みに対して、

「働き口ならいくらでもありますし、無理しなくてもいいんじゃないですか」と、当たり障りのない答えを返します。


 ……普通なら答えを返した時点で、その出来事は終わりです。

しかし暫く経っても、彼の中で同僚の呟きが消えることはなかったのです。


 なぜ彼の中で、その呟きが残り続けたのか。

……それは後悔の想いがあったからでした。


 彼がいつも通り反省会をした際に、「もっと相手に寄り添った答えを返してあげられたんじゃないか」……という後悔が溢れだしたのです。


 何故そんな後悔が溢れたのか。

普段の彼は他人に対して、そこまで寄り添おうとするほどの聖人君子ではありません。


 ではなぜ、その同僚に対しては普段通りの彼ではなかったのか。

……その答えは彼が同僚に恩を感じ、感謝をしていたからだったのです。



 しかし彼と同僚には周りから見たときに、そこまで深い関係も、特別な出来事もありませんでした。


 二人の間にあった出来事といえば同僚が会社に入りたての頃に、少しだけ早く現場で働いていた彼が仕事を教えたこと。

そして教えたお礼として、彼が同僚から差し入れを貰っていたことくらいでした。


 ……誰もが体験しうる、よくある普通のこと。

最初は彼も特別には感じていなかったのです。


 でも彼の中で、段々と特別になっていった。

その変化の理由は、同僚が差し入れをしたのが一度ではなかったからです。


 彼は同僚から何度も感謝の気持ち、暖かな想いを貰ったのです。

……彼にとって少しの親切に対して、そんな何度も感謝をされるような経験は初めてのことでした。


 だからこそ、その同僚との出来事は彼にとっては特別になっていったのです。

彼はその出来事から人間という生き物の暖かさを、綺麗さを見たから。


 なにより彼自身が同僚からの、小さくとも暖かい貰い物に救われていたから。

「僕自身のことすら分からない、生まれた意味すら見つけられない自分だけど、何度も感謝をしてもらえるくらい、誰かのために何かをしてあげられた。自分が生きている意味はあったのかもしれない」……と、そう思えたから。


 たとえそれが、周りから見たらよくある出来事だったとしても。

彼にとっては特別な、大切な出来事だったのです。


 だからこそ、彼は同僚に感謝をしていました。

……だからこそ、感謝をしていたからこそ、彼の心には「相手の悩みにもっと寄り添えたのではないか」という後悔が溢れ出したのです。



 彼はその後、後悔という溢れた心に従って悩み考えます。


 そして後日、彼は同僚と話をして改めて悩みに対する答えを返しました。

その答えとは、

「あなたの好きなものを大切にして、どんなあなたも無かったことにせず、あなたの思うままに生きてください」というものでした。


 ……それは悩みに対する答えにもなっていない、そして他人に対して伝える言葉としては重い上に意味が分からないものです。


 しかしそれでも、彼はその答えを同僚に伝えました。

……それも、ただ伝えるのではなく、自分の過去を話しつつ、更に今までの関わりの中で同僚がしていた具体的な行動を挙げて、

「伝えた答えを、僕が出来なかったことを、あなたは既に出来ています。だからあなたは、今のあなたのままで大丈夫」という言葉を添えたうえで、伝えたのです。


 彼が返した答えを、同僚は戸惑いながらも最後まで聞いてくれました。

……こうして、この出来事は幕を閉じたのです。




 ーーその出来事は幕を閉じましたが、彼はすぐに長い長い反省会を行いました。


 ……それは彼自身も感じていたからなのでしょう。

明らかに自分の行動が、異常だったことを。


 長い時をかけ、その異常の原因に彼は思い当たりました。

……同僚に対して抱いていたのは、恩や感謝だけではなかったということに。



 その同僚は、頼まれたら断れない人でした。

そして話している時でも常に相手に合わせているように、彼には感じられた。

……「自分と似ている」と、そう思っていたのです。


 そんな同僚を見ているうちに、いつしか彼は願っていました。

「自分のように心を殺してほしくない」……と。


 その願いを抱いていたからこそ、彼の行動は異常になってしまったのでしょう。

相手の迷惑になることを、困らせる結果になることを予想したうえで、それでも溢れて止まらない自分の想いを伝えることを優先してしまうほどに。


 ……もはやそれは他人に対しての言葉ではなく、彼自身が誰かに言ってほしかった言葉だったのかもしれません。



 そして更に自分の行動を振り返りながら、彼はあることに気づくのです。

その気づきとは彼が自分の過去を、物語のようにすらすらと同僚に語っていたことでした。


 今、私が読者のあなたに向けて彼の物語を書き綴っているように、

過去に起こった出来事を話して、それが自分にどんな影響を与えたのか、その影響によって自分がどう変わっていったのか……どのように今の自分が創られていったのか。


 それらを誕生から現在まで、時系列順にまとめて彼は語ったのです。

……一度も言い淀むことなく。


 その時の彼はまるで自分ではない誰かーーずっと近くで自分を見てきた、誰かーーからの視点で、自身の物語を語っているようでした。



 ……実は彼自身は同僚に答えを返す際に、最後に添えた言葉と、自分の過去、そして同僚の具体的な行動を伝えるつもりはなかったのです。


 しかし、伝えた。

……その行動に至った理由は、明確には分かりません。


 なので想像するしかありませんが、おそらく彼は……意識せずとも思い込んでしまっていたのではないでしょうか。

「相手の迷惑よりも、自分の気持ちを優先して出した答えを伝え終わった時……伝えた相手との関係は終わる」と。


 今までの彼の経験が、その終わりを予感させた。

彼の人間関係において彼自身の気持ちを出した時、いつも相手は豹変し、壊れてきたから。……その経験はもはや彼にとっては呪いのように、身体に染み込んでいました。


 その呪いが……終わりの予感が、彼の秘めていた本心を溢れ出させたのでしょう。

「自分とは似ているけれど違う、あなた……僕には出来ないことが出来る、凄いあなたのことを、あなた自身に少しでも伝えたい」……そんな言葉で紡がれていたであろう、同僚と関わる中で抱いていた彼の本心が。


 ……だから答えに添えられた言葉たちは、あらかじめ用意していたものではなく彼自身の心から溢れた、想いの結晶だったのではないでしょうか。



 ーーそれはまるで、反抗期を迎えることすら許されなかった良い子の彼が、終わりの時を言い訳に精一杯の我儘を出して、少しだけ悪い子になったみたいに見えますね。……ふふっ、本心が出る時には幼く見えるのが面白いです。



 …………あっ、すみません。

つい、私の感想を呟いてしまいました。


 ……兎にも角にも、彼はその気づきに驚いていたのです。

準備していたわけではないのに、自分の過去を物語として他人へ語れたことに。




 ーーそうして、その気づきから彼は彼自身の魂の在り方に思い至ります。

……それは『自分は人生を物語のように捉え、生きている』という在り方でした。


 その在り方に思い至った時に彼の中で、

今まで自身に対して抱いていた疑問が、バラバラだった疑問という点が……『物語を生きている』という答えに、一つの線に全て繋がったのです。



 例えば、彼の人間関係について。

どれだけ仲が良くても、定期的に合わなくなると相手への興味を失くすこと。


 ……それは、物語の章を閉じるようなことだったのだと。


 定期的に合わなくなった相手との物語は、その時点ではそれ以上進展しない。

それは物語的には一つの区切りとして、みることができます。


 だからこそ彼はその区切りで一度、相手との……物語の登場人物との章を閉じる。

その結果、彼の物語に再度登場するようになるまでは、興味を失くすのです。



 例えば、彼の反省会について。

その反省会は、彼が幼いころから常に行っていた行動。

もう彼にとっては息をするのと同じくらい、当たり前になってしまった行動。


 その行動の前提にあるのは、彼を客観的に観察する彼自身の目だったのです。

ただ冷静に感情も挟まず、起きた事実のみを記録する……彼の中に在る、彼自身を観察する自分。


 ……それはまるで主人公としての彼の行動とその結果を記録し、そのまま物語として書き残している、執筆者のような自分の一面。


 そんな存在が彼自身の中にあるからこそ、行動するたびに自身を振り返り、反省会をすることができたのです。



 例えば、ある時から反省会の終わりに聞こえるようになった声について。

その声は反省会の終わりに必ず言います。「それも面白いね」と。……まるで感想を呟くように。


 その声が聞こえるようになったのは彼が自身の醜い一面や疑念を持ったうえで、信じたいという溢れる心に従う生き方を大切にするようになってから。


 それは、どんな自分も無かったことにしないで、矛盾しながらも進んでいくという生き方です。……その生き方によって彼は、矛盾し続けている自分、周りからずれている自分自身でも、在っていいのだと少し許せるようになったのでした。


 だからこそ彼がそれまで無意識に抱いていた、

普通の人は抱かないであろう考え方……『人生は物語だ』という彼自身の考え方も在っていいものだと、意識しないまま許容できるようになっていたのではないでしょうか。


 ……その結果、彼自身の物語を最も近くで見続けている幼いころから在った、読者としての彼の一面が声として現れるようになった。



 そして最後に、彼自身が常に感じていたことについて。

現実にいながらも、夢の中にいるようなフワフワした感覚。


 その感覚は彼が抱いた「周りから根本的にズレている」という考えが、そのまま答えだったのです。


 なぜなら彼は幼いころから無意識に現実を物語として捉えていて、彼の中に執筆者と読者が在ったから。


 ……彼は現実を生きながら、物語という非現実の中を生きていたのだから。



 これらの、幼いころから彼自身が疑問に抱いていたこと。

それら全てが『自分が物語を生きている』という在り方が原因だと考えると、彼の中で辻褄が合ってしまったのです。


 だからこそ彼は、この在り方を……魂の在り方だと思い至ったのでしょう。




 ーーそんな彼は、今日も日常を過ごしていきます。

彼はその日常に、幸せを感じていました。


 しかし彼が抱いているのは幸せだけではありません。

不安や恐れ、期待や諦め、様々な感情を抱きつつ、常に矛盾を抱えています。


 なぜなら、彼を取り巻く現実は何一つとして変わっていないのですから。

あくまで変わったのは現実と接している彼の中身……彼の中の世界だけ。


 それでも確かに彼は、今生きていること自体に幸せを感じているのです。

……それは生きているからこそ、自分の物語が紡がれていくから。


 そして、その物語の続きを何より楽しみにしているのは自分自身だから。

……たとえ、めくった次のページで物語が終わるのだとしても。

……たとえ、物語の終わりがハッピーエンドではなかったとしても。


 きっと、彼は呟くのではないでしょうか。「それも面白いね」……と。



 その呟きが「面白い」になるのはきっと、彼が心の奥底で思っているからなのでしょう。……物語には必ず、終わりがあると。


 そして物語を読んでいる読者は多かれ少なかれ、終わりが気になるものだから。

その終わり方が納得のいくものでも、いかないものでも……書ききったものでも、書ききれなかったものでも。

……新たな一文字が紡がれなくなった時点で、物語は一度終わるのです。


 しかし物語を読んでいる途中の読者には、辿り着く終わりは分かりません。

だからこそ読者は、どんな終わりになるのか期待をしながら、不安になりながら……紡がれる一文字一文字を追ってしまうのではないでしょうか。


 ……少なくとも、彼の中の読者はそうだったみたいです。

「生きているからこそ紡がれていく物語、その終わりも気になるよ」と。

その気持ちがあるから、どんな展開や終わりになろうとも「面白い」という感想を呟いてしまうのでしょう。




 ーーこのように彼にとっての幸せとは……

……『主人公』として悩み迷い考えながら今を生きて、『執筆者』としてその物語を書き残し、『読者』として紡がれた物語を読むことなのです。


 命を持って生まれ、終わりに想いを馳せながら、今を生きる……

ただそれだけで、幸せを感じてしまうのです。


 だからこそ彼の幸せは、他人から、社会から見た幸せとは違うもの。

彼自身、執筆者としての目がある以上、そして人間社会で生きている以上、そのことは知っています。


 しかし知ったうえで彼は、自分の在り方に、溢れる心に従って生きていく。

……矛盾しながらも生きていく。


 それは結局、逃げているだけなのかもしれません。

普通の幸せが手に入らないものだと、自分は普通ではないのだと諦めながら。


 でも、それでも彼は……

……逃げていても、諦めていても、そんな自分を無かったことにせず、それらを抱えながらも信じたいものをーー信じたいという想いをーー大切にして生きていくのでしょう。



 ……だって彼の中に在る一面が、彼自身の物語の読者が言うのですからーー


「ーーそんな物語も面白いよね」……って。




 ーーさて、

ひとまず今の時点で紡がれている彼の物語はこれで終わりです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!


 ……どうでしたでしょうか? 

こんな幸せがあるのも面白いと思ってもらえたでしょうか?


 もし、この物語が読者のあなたに響くものであったら、若しくは何かに気付くきっかけにでもなってくれたら幸いです。




 ーーそれにしても彼の物語は面白いですね~

幼いころから彼を見ていた読者の私にとって、今もなお紡がれ続けているこの物語は本当に思い入れがあります。


 私は紡がれた物語を読むと、ある景色を想像します。

彼がこの世界に足跡を刻むたびに、未知の未来がーー真っ暗な闇がーーその内に秘めた様々な光を瞬かせているように感じられて、まるで見上げるたびに変わっていく『星空』の景色を見ているような気分になり、ワクワクしてしまうのです!


 ……だから今回は、

この面白さを私以外の誰かにも伝えたいと思い、物語を書き綴ることに至りました。



 これからも私は、

彼の一番近くで彼自身の中に在る読者として、彼の物語を読んでいきます。


 ……この物語がどのような終わりに辿り着くのかドキドキしながら、どのような道を歩んでいくのかワクワクしながら……見守っていくのです。



 ……では、

無事に彼の物語も伝え終えることができましたし、私もこのあたりでお暇させてもらいます。……新しく彼の物語が紡がれて、その物語を書き綴る時にでも、また同じようにあなたとお会いすることが出来たら嬉しいです~それでは~

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