第22話 終わりの始まり

 放課後のチャイムが鳴った。

 窓の外では、夕焼けが学園のガラスや壁を深紅に染めていた。

 いつもと変わらない日常の景色。どこまでも穏やかな当たり前の風景。けれど、その違和感を感じるほどの静けさが、悠真には恐ろしいほど「作り物」に思えた。


 隣で怜司が笑っている。

 笑顔も、声も、手の温度も――確かに本物だ。

 だが、ほんの一瞬、彼の瞳の奥に“コードの光”が走ったように見えた。


「怜司……お前、本当に“人間”なのか?」


 問いかけた瞬間、教室の空気がひやりと冷えた。

 怜司は視線を窓の外に向け、ゆっくりと答えた。


「わからない。けどな……今、こうしてお前と同じ空気を吸って、心臓が動いてる。それだけで、俺は“俺”だと思えるんだ」


 その言葉に、悠真の胸が締めつけられた。

 何が現実で、何が幻想か――もう、誰にも分からない。


 彼らの教室のモニターには、「VR統合教育システム」のロゴが常に流れている。

 生徒たちは、当たり前のように仮想空間を通じて学び、遊び、恋をしていた。

 現実とVRの境界など、もはや誰も意識していない。


 けれど、悠真の記憶の奥底で、紅葉の声が囁く。


 ――“あなたは、選ばれた観測者”。


 授業が終わり、校舎を出ようとしたその瞬間。

 風がざわりと鳴り、世界の色が一瞬だけ――赤黒く歪んだ。


 怜司が立ち止まる。

「……感じたか?」


「うん。あれ、また……リンクの異常?」


 次の瞬間、空の裂け目から紅い光が走り、校庭の中央に“狐の尾”が揺らめいた。

 紅葉――あの妖狐の姿が夕陽を背にして現れる。


 けれど、彼女の目はもはや人のそれではなかった。

 無数のコードと光の粒で構成された、“管理者”の顔であった。


『この世界はまだ不安定。統合率87%。残りの13%――それは、あなたたちの心の“迷い”です』


「紅葉……!」

 悠真は叫んだ。

「どうして戻ってきた!? もう終わったんじゃないのか!」


『終わりは、始まりの形を変えたもの。あなたたちは“現実”を選んだ……けれど、現実とは何?』


 紅葉の声が世界に反響し、校舎の窓という窓に無数の自分たちの姿が映し出された。

 笑う怜司、泣く怜司、怒る怜司――無数の“彼”が、別の世界線のように重なって見える。


「……まさか、全部、シミュレーションだったのか?」

 悠真の喉が震えた。


 紅葉は微笑んだ。

『あなたが“そう信じた”世界が現実です。どれが本物でも、どれが幻でもない。ただ、選択した者だけが存在を得る』


 怜司が悠真の肩を掴む。

「悠真……俺たち、選ばなきゃいけない。どの“現実”に生きるか」


「選ぶ……?」


「ああ。俺とお前、どちらかの“心”が消える。リンクの最終統合――二人の意識は、ひとつになるんだ」


 その言葉に、悠真の心臓が跳ねた。

 愛している人を、世界が“一つの存在”として取り込もうとしている。

 それは永遠の絆か、あるいは完全な喪失か。


 紅葉が手を差し伸べる。

『さあ、選びなさい。あなたの“現実”を。』


 世界が再び震え、天地が入れ替わる。

 教室の光、VRのノイズ、紅葉の尾が炎のように燃え上がる。


 悠真は怜司の目を見た。

 その中には、かつての温もりも、恐怖も、優しさも、全部混じっていた。


「俺は――」


 言葉を紡いだ瞬間、世界が白く弾けた。


 光の中で、誰かの声が囁く。

 ──“次に目を覚ますとき、君はどちらの世界にいる?”


 悠真は目を閉じた。

 そして、その手が怜司の手を、確かに握り返した。


 どこまでも遠く、どこまでも近い世界で。


 それが“終わりの始まり”になることを、まだ二人は知らなかった。


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