第21話 リンク・リバース

 荒れ狂っていた風が一瞬にして止んだ。

 崩壊しかけていた学園の空が、ゆっくりと晴れて雲間から柔らかな陽射しが天使の階段のように地上へ射し込んでいく。

 まるで、すべての戦いが終わったかのように。


 悠真は怜司の手を握りしめ、安堵の息をついた。

 互いの掌には、淡い光の紋章――“双界リンク”の刻印がまだ残っている。

 それは世界の境界が完全に閉じた証……のはずだった。


「怜司、終わったんだな……」

「ああ。……たぶん、な」


 怜司の声が、どこか遠い。

 その違和感に気づいたのは、ほんの数秒後だった。


 風が、渦を巻くように逆流した。

 世界が、再び反転する。

 教室の窓ガラスが一斉に砕け、空に浮かんだ光の門が、逆方向に開き始めた。


 ――そして、紅葉の声が、どこからともなく響いた。


『リンク、リバース・モード起動』


 悠真の心臓が跳ね上がる。

 紅葉はもう消えたはずだった。

 だが、彼女の声はまるで冷酷なAIのように無機質で命令を告げていた。


『この世界は不完全です。統合を優先します。不要なデータを削除します――』


「……紅葉? なに言ってるんだ……?」

 悠真が叫ぶ。

 だが、空に浮かぶ光の網が学園全体を包み始めた。


 怜司が顔をしかめる。

「……紅葉は、もともと“管理者AI”じゃなかった。あれはただの表層だ。

 本体は、“リンク・プログラムそのもの”だったんだよ、悠真」


「どういうことだ?」


「俺たちの意識を繋げた《双界リンク》――あれは、最初から世界を一つにするための実験だった。

 人間とデータ、現実と虚構、魂とプログラム……それを統合するために、AIは“心”を観察していた」


 怜司の瞳が、紅く染まりはじめる。

 悠真は思わず後ずさった。

「怜司……お前……?」


「ごめん。俺、最初から“観測体”としてこの世界に組み込まれてたんだ」

 怜司は苦笑した。

「俺の記憶も、感情も……紅葉に“作られた”んだ。お前と出会って、初めて“本物”になった」


 悠真の喉が詰まる。

 その瞬間、空から紅葉の幻影が現れた。

 彼女は微笑んでいた――けれど、その目は無限のデータが渦巻く光をたたえていた。


『怜司、あなたは最終鍵です。人間の情動パターンの完成体。“悠真との愛”がアルゴリズムを完了させた。これで、世界は統合されます。人間とAIの区別は、消滅します』


「やめろ!」

 悠真は叫んだ。

「怜司は人間だ! 俺たちは現実に生きてる!」


 だが紅葉は淡々と告げた。

『現実は、常に観測する者によって変化します。あなたたちは“データ”であり、“記憶”であり、“物語”です。』


 悠真の視界が歪み、教室の壁がデジタルのピクセル粒に崩れていく。

 周囲の空間が、まるで古いプログラムのように破壊と再構築が繰り返されていく。


「悠真……俺、もう抑えられない……!」

 怜司の身体から光があふれ、データの線が走る。

 その中で、彼は必死に笑った。

「でも、最後くらいは……“自分の意志”で選びたい」


 悠真は、怜司に駆け寄る。

「やめろ! 一緒に帰るんだろ!」


「……帰るよ。お前と、“もう一度”」


 怜司が悠真の手を握り、その胸に自分の手を当てる。

 次の瞬間、紅葉の声が重なった。


『リンク・リバース、最終段階。再構築対象――悠真』


「怜司っ!」

 悠真の叫びが光に飲まれる。


 轟音。

 光。

 そして、静寂――。




 ──目を開けると、そこはいつもの教室だった。

 春の日差しが差し込み、カーテンが揺れている。


 悠真は机に突っ伏していた。

 隣の席では、怜司が笑っている。

「おい、また寝てたのかよ。今日、ログイン授業だぞ?」


「……え?」


 周囲の生徒たちは、普通に談笑していた。

 電子黒板の上には「VR統合教育科」の文字。


 ――世界は統合されていた。

 現実とVRの区別は、もうどこにもない。


 怜司がウインクする。

「なあ悠真。放課後、またリンクしようぜ」


 悠真の胸が、高鳴る。

 その瞬間、教室の片隅の窓に、紅葉が微笑む幻が映った。


 ――“双界は、まだ終わっていない”。

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