第12話 闇の教室

 気がつくと、怜司と悠真は教室の中にいた。


 だがそれは見慣れた教室ではなかった。黒板は墨で塗り潰されたように真っ黒に染まり、チョークで書かれたはずの文字はぐにゃぐにゃと蠢き、虫のように床に落ちては這い回っている。


 机と椅子は人影の形に歪んで並び、生徒たちがそこにいるかのようにざわめきを放っていた。


 窓の外には夜空が広がっている──はずだったが、そこには無数の目玉が貼り付くように浮かび、じっと二人を見下ろしていた。


「……ここ、ゲームの中の“裏マップ”か何か……?」


 悠真の声は震えていた。彼の能力は、この世界の「裏側」を覗き見るものだ。だが、これはもう“覗く”どころではない。完全に踏み込んでしまっている。


「違う……これはゲームじゃない。少なくとも、ただのデータなんかじゃない」


 怜司は吐き捨てるように答えた。


 胸の奥で、鏡に映った“もう一人の怜司”の声がまだ残響していた。──おまえは、こちら側だ。


 その言葉は何かを目覚めさせる呪文のように響いている。


 不意に教室の奥で「ギィ……」と扉が軋んだ。


 二人が同時に振り返る。そこに立っていたのは、学ラン姿の男子生徒だった。


 顔がない。──いや、顔はあるが墨で塗り潰されたように真っ黒だった。


「……七不思議の一つ、“顔のない生徒”……」


 悠真が低く呟く。


 この学園には七つの怪異譚が囁かれていた。鏡の底に囚われた生徒に続き、今目の前に現れているのは確かにその一つだ。


 “顔のない生徒”はゆっくりと歩み寄ってきた。足音は重く教室全体に響き渡る。


 怜司は無意識に悠真を庇うように前へ出た。

 すると、その“顔のない生徒”が、不意に声を発した。


「──怜司」


 その声は怜司自身のものだった。


 全身に悪寒が走る。悠真の手が怜司の背中を掴んだ。


「おい……今の怜司の声……」


「違う……あれは、俺じゃない」


 けれど、声は確かに自分の声だった。


 ──偽物が現実を侵食する。七不思議が生徒を食らい代わりに影を戻す。


 噂話が脳裏をよぎる。


「……悠真。絶対に俺を信じろ。たとえ俺と同じ声や顔が現れても」


 怜司は必死に言い聞かせるように囁いた。


 悠真は怯えながらも頷く。


「信じるよ……だって、俺が握ってる手は、本物の怜司だから」


 その言葉が胸を支えた。


 だが、顔のない生徒は次の瞬間、裂けた口を広げ、教室中に響き渡る笑い声を放った。


「──本物? 偽物? どちらがどちらだ?」


 その笑い声に呼応するように、机に座る人影が一斉に立ち上がった。


 黒い影の生徒たちが、ざわめきながら二人に近づいてくる。


 怜司と悠真は背を合わせた。


 教室の窓の外で無数の目玉が笑っている。


 黒板の裏からは何か巨大なものが這い出そうとしていた。


 ──逃げ場はない。


 怜司は悠真の手を強く握り、低く告げた。


「行くぞ。たとえ相手がこの学園の七不思議でも……俺たちは現実を取り戻す」


 次の瞬間、黒い生徒たちが一斉に襲いかかってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る