第5話 消滅
最早、仕事どころではなくなった。職場には体調不良と嘘を付き、私は五時間ぶっ通しでマッチングアプリをやらされた。辛い、美容師という仕事についているからと言って、人と腹を割って会話したことなんてほとんどない……いつだって何枚も壁を作って隙を見せないようにしていた。それはお父さんをなくしてから加速している。原因は他にもある、それはほろ苦い青春の味……。
「おい、いい加減誰と会うのか決めたのか?」
後ろから催促する神くん。いっそのこと変わってほしい……。
「ねぇ、無理だよこんなの……普通に考えて、一週間で恋人なんてできやしない」
神くんはお父さんが消えた後、小難しい言い回しで私が何故”幸せ”になると人類が救われるのか説明してくれた。簡潔に言うと、『生物の本懐を示せ』ということらしい。これも難しいけど、私なりの解釈は人間、いや生物に与えられた役割は繁殖、繁栄。神くん曰く地球では著しく正常な生殖行動が衰退しているらしい。それが一番顕著だったのが日本で、滅亡の有無を決める世界代表に選ばれたのが私。それもランダムで。
恐ろしくて残酷な判断だなって思った。けど私も恋愛とは程遠い生活だし、結婚なんて、けの字すらでてこない……今年で二十七なのに恥ずかしい話男性経験もない。今は恋愛の代替品が多すぎて恋なんてしなくても心が満たされてしまう、おまけに私生活に必要な物の値段も上がっているのに私達の財布は萎む一方で、お金なんて全然たまんない。そんな余裕はないけど代替品で満たされてしまっているから渇望がないのかな? 話題に出したくないけど伊藤ですら『今は恋愛って気分じゃない』とか言う時があるほど、て言うよりお前は不倫してんだろうが。
ずっと昔より恋愛や結婚へのハードルは上がっていることは間違いないし、さらには子供なんて……。
「私じゃ地球滅んじゃうよ……」
弱音を吐いて、スマホを投げ出そうとした時、暗転していた画面が点り、マッチングアプリからのメッセージがあった事を伝えるバナーが現れた。
「あ、きた」
ゆっくりとバナーをスワイプするとチャット画面へと切り替わりメッセージが打てるようになった。相手側からのメッセージの内容は『美容師さんなんですね! 即日会える人希望って書いてあったんですけど、今夜食事でもどうですか?』
「い、いきなり食事の約束!? 何なのこのフッ軽な人……絶対チャラい人じゃん」
後ろを振り向くと神くんが、腕組みをして、読み取れない表情をしているけど、行けと顔に書いてあるのがわかる────。
pm6:45
電車を程なく乗り継いでやってきたのはA県N市の中心地で、N市の中で一番栄えているN駅の構内にある時計塔で待ち合わせをした。
緊張で色々なところから汗が滲み出て動悸がする。美容院の接客とはわけが違う。男性の人だって接客する事があるのに、いざプライベートになるだけでこんなにも取り乱すものなのか、自分の脆弱加減にあきれてしまう。
「あれ? 誉さん? 結構早いね! 待たせちゃったかな?」
「あ、あ、いえ大丈夫です……
第一印象は、眼が笑っていない。二十五歳と言っていたけど、それよりも若く見える。髪は金髪に毛先だけブラックのグラデーションにセンターパートの瓜実顔にキリッとした二重、所謂韓国系男子。SNSから取り出したかのような男だと思った。
そうだよ! とりあえず行こっか。そんな軽い口調で矢継ぎ早に私の手を取った。名前もよく知らないまま連れられる怖さはあったけど、流れで付き合うってあるよね? 居酒屋で少しお酒でも飲んでそのままホテルとか行くのかな……でも今までそう言った事してこなかったツケを考えたら軽いノリみたいなので付き合うのも、ありかも?
「あの! お名前は、下の名前、聞いていいですか?」
この後の妄想をしたせいか、少し声が裏返ってしまった。手を引いたまま彼はこちらに一瞥し、答える。
「俺? 湊! よろしく」
皇湊? 何だか能力者系アニメに出てきそうな名前だなと、不思議に思っていると、いつの間にか駅を抜け出しタクシーのロータリーに並んでいる事に気付く。
「あれ? 湊さんこの辺で飲みに行くんじゃ……? 移動するんですか?」
湊は何の悪びれる様子もなくスマホを弄りながら、言ってなかったっけ? まるで小学生が約束をすっぽかしたみたいに言う。しかし予約などを取り付けてくれている手前、何も言えずついていく事を承諾する────。
──私は、何でこんなところにいるんだ? ただの飲み屋に行くつもりだったのに、湊にタクシーから降りた後も半ば強引に手を引かれ連れてこられたのは──ホストクラブ。
入口らしき真っ赤な扉にはラグジュアリーな金色の装飾が施され、辺りの壁には、指を甘噛みしてこちらを
「ちょっと待って! 湊さんここってホストクラブですよね!? 何でこんなところに行く必要があるの?」
湊は、明らかに一瞬苦々しい表情が浮かび上がったが、刹那の速さでヘラヘラと笑い、私を言いくるめようと身振り手振りで扉の中に誘い込もうとする。
私も流石にここまでされれば、馬鹿でも気づく。私はいいカモだと思われたのだ。マッチングアプリで即日会いたいなんて言う女だ。寂しさを埋め合わせる為に、ホストクラブへ堕とせると、思われたのだろう。
私は今まで委ねていた右手を振り払い、無言でその場をさった。後方から私に聞こえる声量で「調子乗んなブス」と聞こえたような気がした──。
繁華街を早く抜けようと小走りで角を曲がった瞬間──ドンと勢いよく人にぶつかってしまい慌てて謝罪の言葉を述べ、ぶつかった相手の顔を見るとそこには……。
──伊藤がいた。
同じ美容室で働く伊藤、私が公園で自暴自棄になる元凶をつくった張本人。
「ちょっと待って、誉さん? 何でこんなとこにいるわけ? 今病気で一週間休んでんじゃないの? ──意味わかんないんだけど、まさか仮病使って飲み歩いてたって事? しかもこの辺ってホスト街でしょ……それに何その格好? いつもよりオシャレして、確信犯じゃん。店長どうするのこれ?」
伊藤の隣にはあろうことか、既婚者である店長の加藤までいるではないか。
一番嫌いな相手に一番会いたくない場所で会ってしまった。しかもホストに弄ばれて最悪を経験した後に、最悪の先がまだあるなんて聞いてない。
「はあ……咲洲誉時間がないと言うのに油を売っている余暇などないと思えよ」
いつの間に、って私はいつの間にが多過ぎやしないか? 何で気づくのがいつも遅いの。神くんがいつの間にか隣で呆れているではないか。
「何この子? 誉さんの弟? それともちっこいホストくんかな?」
腰を曲げ神くんに皮肉を言う伊藤に、神くんは右手を伊藤の顔の前にかざし、私の心を代弁するように、消えろと唱えた。
まただ……私のお父さんが消えた時みたいに一瞬で伊藤と店長はプツリとその場から消え去った。
「また……消えた」
恐怖と安堵が混ざる心はこんなにも気持ちが悪くなる事に初めて気づいた。
「ああ、消滅と言って相違なし。世界から文字通り跡形もなく消滅した。戸籍もなければ誰の記憶にも残らないように、幻も残さず消した。残念なのは当該事象の咲洲誉の記憶には残ってしまっているので、貴様の実感は薄いだろうが抑止力でそのうち記憶も薄れる……それまでに人間がいれば、だがな」
神くんは本当に人間を消せる。その事実だけが一日目の私の脳裏に深くこびりついた……。
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