第十六射 二から三、三から零

この世には三つの命令がある。




その一は、『従う必要のない命令』。自分に何ら利益がなく、そして自ら従いたいとは思えない命令がこれにあたる。こういった命令に従うことは、大概後に大きな事故の要因となる場合が多い。




その二は、『従わなければならない命令』。自分の生命存続に不可欠な物を相手に握られていたり、命より大事な何かを手中に収められてしまったときなどがこれに該当する。基本的に抗うことは不可能であり、忠実に命令をこなすしかない。




その三は、『従いたい命令』。僕にとっては、彼の命令がこれに該当する。自分がおのずと従いたいと感じてしまうような甘美な命令………実際こうした機会を得られる人はかなり少ないだろう。しかも、この条件をクリアするには、命令者との関係も重要となってくる。信頼のおけない相手に命令されれば、甘美な響きもたちまち汚泥のうめき声へと変わってしまう。




その点、僕は恵まれている。信頼のおける命令者に、最も大事な物を自らの手中に収めながら、自ら従いたいと思える命令を出してもらえる………何度考え直しても素晴らしいの一言に尽きる。




だから僕は、決して自分の失敗を許さない。命令されたからには最後まで果たしきって見せる。彼のため………そして、何よりも自分のため。




僕は、彼女を「やっちまわねば」ならない。







青い空、白い雲、遠い喧騒………今日も今日とて、ヴェルメイユ・ファミリアには平和が佇んでいた。時刻は朝、続々と生徒たちが登校し始める時間だ。




あー、いいね平和。平和って素晴らしい。




平々凡々な毎日を何の変哲もなく送れる幸せに気づけないなんて実に馬鹿げている。変化なんて結局、ろくでもないことしかもたらさない。そう、例えば………




「さぁ君たち、なぜここに呼び出されたか……分かるかい?」




こういうことになるからである。




朝から私と同じように鬱々とした顔でこの学び舎まで足を運んでいた先生が口を開く。




「………待ってください、この件の元凶はどこですか?」




まぁどう考えてもあの件についてなのだが、諸悪の根源であるところの歩夢さんの姿は、この校長室内には見当たらなかった。




「逃げたよ。まさか国外逃亡寸前まで手配しているとは思わなくてね………」




………ここで『冗談ですよね?』と突っ込めないのがあの人の怖いところだ。だって本当にやりかねないし。なんならやってる姿がありありと脳裏に浮かぶ始末だ。




「それは置いといて………宗教団体を丸一個壊滅させた挙句、放棄された開発地区を半壊………よくもまあ派手にやらかしてくれたねぇ………」




「「す、すみませんでした………………」」




土下座!二人そろって、土下座!平謝りに平謝りを重ねろ!謝意を前面に押し出し、勝利をもぎと………………




「まあ秘密裏に処理したからそっちは大して大事にはなってないけどね」




…………る必要はなかったようだ。というかアンタもアンタで大概だな!?




正直、今回は危なかった。私の夢見た平穏な学生生活が水泡に帰していくすんでのところで何とかなったという印象だったのだが、それを秘密裏に処理!?権力ってこう使うんだね………




大人の闇を見たところで、一つ気になる点が生まれる。




「………『そっちは』ってことは、大事になっちゃった『こっち』があるってことですよね?」




「そうだ、やはり降星さんは賢いね。君がこんなことに加担していると聞いたときは何かの冗談かと思ったけど……」




「そんなことはどうでもいいです。肝心なのは私の平穏な学園生活がこの先も保持されるかどうか………ですから」




過去について、あまり私は触れてほしくない。既にできる限りの隠ぺいは済ませているが、やはり全能を前にしては隠せなかった。今、昔の私を知る数少ないこの最強が、私の未来に暗雲をもたらしかねない人物の内の一人なのだ。なので、あまり目立った行動はしたくなかったのだが………まあ案の定これである。




「………まだ、囚われているんだね。大丈夫、僕は人の嫌がることはしない主義なんだ。それに今の僕は教育者だ。生徒に汚い姿は見せたくないからね」




………………あくまで敵対することはないという意思表示か。この男が教育者としての矜持を持ち出す際は、その言葉は彼の全てをかけても真実だと伝えたいとき………と私は知っている。つまり、信頼に足るということだ。




「それならいいですけど………先生も固まっていることですし、話を進められてはどうですか?」




隣であまりの情報量の多さにフリーズしている先生を現実世界に引き戻し、話の続きを促す。




「………うおっ!?!?………あれ、サターシャ?俺は一体何を………」




「ちょっと頭がパーンってなっただけですよ。ほら、シャッキリしてください!」




「………じゃ、じゃあ話を戻すとしようか。大事になっちゃった、もとい大事になりかねない『こっち』は、君たちが連れ帰ってきた少女、『序列一位ホスト』のことだ。彼女は今もヴェルメイユ・ファミリア附属病院で眠っているが、命に別状はなかったそうだ」




そういえばそんなこともあったか………………あの後、私たちは彼女を病院へ預け、面倒を避けるためそそくさと逃げてきたわけなのだが、今考えると流石に無責任すぎたと思う。だが、彼女の無事もわかり、ほっと一息吐ける。




「良かったじゃないですか。そこに何の問題が?」




「彼女の身辺調査を行ったところ、あの宗教団体のルーツが分かってね。元は彼女の両親が発端となってできた組織らしく、当時はかなり過激なことをやっていたようだ。それがここ最近になって落ち着いてきたものだから僕も注視していたんだが、まさか代替わりしているとはね。でも、代替わりしていたって、組織ってそう簡単に変われるものじゃないんだ。そのまま調査を続けていったところ、一つ、厄介な事実が判明した」




「や、厄介な事実………?」




「そう、厄介な事実。端的に言うと、あの組織はサテライトの隠れ蓑として使われていたのさ」




それってかなりヤバいんじゃ………つまるところ、人間に擬態できたり、その他の能力で世間に溶け込めるサテライトたちがあそこでいろいろやってたってことでしょ?




でも…………もしそうだとして、なぜ私たちが潜入した際に現れなかったのだろう?あそこで何らかのたくらみが行われていたのなら、そこにノコノコやってきた私たちは恰好の得物である。だというのに、私たちはサテライトに襲われることなく、無事に帰ってきた。無理にこじつけるとしたら、最後に起きた謎の爆発…………いや、やっぱりサテライトが扱うような高火力ってわけでもないし、何らかの罠であったと考えるのが妥当だろう。




「奴らは元から関わりのあった反社会的組織をつぶして回った………そして、人類滅亡主義を掲げていた教団を、慈善事業までしてしまうような団体にまで変化させたんだ」




「………何のために?」




「まさにそこが重要でね。奴らがそのような活動を行うことで得られるメリットを考えてみたが………皆無だったよ」




「つまり、何の意味も目的もなく、一宗教団体を健全にしたってことですか?」




「そういうことになるね。無遠慮、無目的、無関心………事態を悪化させる三つの無と僕は呼んでいるが、まあ厄介なもんだよ、意味不明ってのはね」




一息つくと、




「そこはもう考えるだけ無駄だろうね。君たちも感じているだろうけど、奴らは既にあそこを離れていたようだし。少女も無事で、後ほど事情聴取があるだけだ。そして、君たちの処遇についてだけど……」




「か、解職だけは………」




青ざめた表情で呟く先生。この人も大変だな……




「まさか、お咎めなしだよ。上は君たちの活躍を評価している。何せ世間的には人間の敵とすら表現される変革を望む者の団体をひとつ潰したんだからね。君たちには平和な日々が戻ってくるよ」




「「よかったぁ………」」




安堵のため息と共に体の力が抜け、二人でヘニャヘニャとへたり込む。




「クリストさんには後ほど伝えておくから。それじゃあ降星さんはより一層勉学に励んでくれ。君も、あのクラスの生徒たちを頼んだよ!」




「「はい!」」




こうして、事態は一応の収束を見せた。








ハズだった。







『先生、この後空いているかい?良ければ第三科学研究室まで来てくれ。待っているよ』




時は穏やかに流れ行き、観念して学園に顔を出した歩夢はこってりとヘイムダルさんに叱られてから数週間が過ぎた。ふとマジパを見遣れば、歩夢からのメッセージだ。




初めて送られてきた時に比べれば、端々に気の緩みが見えるメッセージだ。どうやら信頼して貰えたようで何よりである。




『すぐ行く』




と返信し、仕事を切りあげて職員室を出る。




「お、坊主。帰りか?」




と、呼びかけるのはエリオだ。今日も相変わらずフサフサな体毛をフサフサさせている。




「いや、ちょっと生徒に呼ばれてまして。そういうエリオさんは………」




その鋭い爪を生やした手には、何やら見覚えのあるものが握られていた。




「これか?ほれ、坊主にも一つやるよ」




「っと、な、なんですか?これ……」




手渡された短い棒状の物体を手に取り、眺める。見た感じは煙草に近い。もしかして危ない薬だったりするんだろうか?




「危ない薬……だなんて考えちゃいねえだろうな?違うぜ、これはお菓子だ。そもそも匂いに敏感な人狼は薬なんかやれねえしな。実は、俺は昔からこれが好きでな……っておい、何笑ってんだ坊主」




「いや、ちょっと懐かしくて………」




手に持ったお菓子を見る。そう、まんまアレである。




「お前も食ったことがあったのか?まぁなんでもいいが………時に坊主、最近はなんかきなくせえ感じがするぜ。特に今日は異常だ」




人狼であるエリオは普通の人間より感覚が鋭い。俺には何の異常も感じられないが、彼がそう言うのならそうである可能性が高い。十二分に注意させてもらうとしよう。




「忠告……と、このお菓子、ありがとうございます。エリオさんもお気をつけて!」




「おう、生徒が待ってるんなら早く行ってやりな。このお菓子なら何時でもやるからよ!」




見た目からは想像のできない気さくさ、これがエリオ・フルアスの本質である。ほら見てよ、手まで振っちゃってるよ可愛いよ。







だだっ広い校舎をひたすらに歩き、ようやく第三科学研究室にたどり着いた時。




「あれ、先生?どうしてここに……」




「サターシャ?お前こそどうして……」




教室の前でウロウロするサターシャに出会った。




「いや、私は歩夢さんに呼ばれてきたんですけど、よく考えたらこの部屋入るの初めてで、どうしたらいいか分かんなくって、それで……」




コミュ障というのは、どうやら満足に入室すらできないようだ。




「部屋に入るくらいで手間取っててどうすんだ……ほら、実は俺も歩夢に呼び出されてきたんだ。一緒に入ろうぜ」




「あ、はい……」




鍵の空いた扉をガラガラと開く。




「おーい歩夢、来たぞー」




奥の方からパタパタと音が聞こえたと思うと、普段の白衣ではなく、ラフな、言ってしまえば寝巻きにしか見えない服装で出てきた。いつものメガネは少しズレており、なんというか、ちょっと可愛らしい感じになっている。




「いやぁ、実に二週間ぶりに仮眠を取っていたんだけど、ちょっと二人に会いたくなって……あっ、ちょっと!どこに行くんだい!?」




「二週間ぶりの睡眠を邪魔するほど落ちぶれた覚えは無いからな!別にまた面倒事押し付けられそうとか思ってないから!いやほんとに!」




「ええ、ええ!先生の言う通りですよ!二週間も寝てないなんてバカの極みですし、今日は、いや今日とは言わず明日も明後日も思う存分床についていてくださいよ!別にもう巻き込まれたくないとか微塵も思ってませんから!」




「思ってるのか……もしかして呼んだの間違いだったかな……というかあの子は……」




何やらブツブツ呟く歩夢。ちょっとからかいすぎただろうか。




「冗談だよ、お前が出会い頭にからかってくるもんだからつい、な」




「そうですね、いくら歩夢さんでも二週間寝なかったら死にますよね!」




「え?二週間寝てないのは本当なんだけど……」




「「寝ろ!今すぐに!」」







「死地についてきてくれた二人に、改めてお礼をと思ってね。本当に、ありがとう」




深々と頭を下げる歩夢。………まさかこいつがこんな殊勝なことをするなんて思ってもみなかった。




「き、急にどうしたんですか……?やっぱり寝てないせいで頭が働いてないんじゃ……!!」




「いいや、至極まともだよ。元気ハツラツって感じさ」




にへら、と笑ってみせる歩夢。その目にはかなり目立つクマが出来ており、どうやら寝ていないのは本当のようだった。




「それにしても、まさかあのタイミングで反乱が起きるとはね。一応起きうる限りの状況に対処したつもりだったけど、私も詰めが甘かったよ」




そんなことは無い。あの一瞬で退避を選択した歩夢の手腕は流石と言わざるを得なかった。俺でもあまりの唐突さに対応が一瞬遅れるほどだったし。




「まぁ過ぎたことはもういいか。今日は二人にお礼がしたくて呼んだわけだけど、何か私にして欲しいこととかないかい?できる限り要望には答えるよ」




ん?今なんでもって……




「あ、あのっ!私から一つお願いがあるんですが……」




「なんだい?」




メガネの位置を直しつつ、歩夢が問いかける。




「その……あの……わ、私と、とととともだちに………!!!」




サターシャがどもりながら要望を伝えると、歩夢はふっと微笑んで、




「私たちはもう、既にその友達とやらになっているつもりだったんだけど………君は違ったのかい?」




………いいねぇ、青春じゃないか。




「………どぅええ!?!?」




真っ赤になりながら謎の言語で喋り出すサターシャを微笑ましく思いながら、うんうんと頷いていると、歩夢がこちらに寄ってくる。




「先生は………何かないのかい?なんでもいいんだよ?」




椅子を立ち、俺の隣に腰かけ直して、まるでしなだれかかるように身を寄せてくる歩夢。




………普通ならちょっといい雰囲気になりそうな所だが、俺の教師としての理性と、隣で暴走機関車と化しているサターシャのおかげでそんな欲望は微塵も湧いてこなかった。




「……俺は、特にないかな。あっ、強いて言うならクラスの皆と仲良くしてやってくれ。あいつらもお前のこと勘違いしてるだろうからな。こんなに面白いやつだと知ったら、あいつらほっといちゃくれないぜ?」




俺が要望を伝え終えると、歩夢はその身を離し、小さく頷いた。




「ああ、分かった。先生からのお願い、しかと受けとったよ」




楽しそうに微笑む歩夢。




……これで、間違ってないよな?




今後のことも考えて当たり障りのない返事にしておいたが……正直そういう経験のない俺にとって、こういうのはかなりキツイ。




これで俺の思い上がりとかだったら投身自殺ものだが。




「さて、用事も済んだことだし、これ以上拘束するのも二人に悪い。サターシャくんもちょっと私ではどうしようもないし、先生にお任せしていいかい?」




「ああ、分かった。それじゃあ、またな、歩夢」




ようやく鎮火しつつあるサターシャを小脇に抱え、部屋を出る。




「ああ、ま・た・い・つ・か・」




第三科学研究室の中で、小さく手を振る彼女の顔が、少し悲しげに見えたのは俺の見間違いだろうか。




多分、そうなのだろう。




俺達は、第三科学研究室を後にした。








恐らく、これが最後であろうとは知らぬまま。







皆が去った後、私は一人、斜陽が差し込む第三科学研究室に留まっていた。




少し、嫌な予感がしていた。強いて言うなら天才の勘である。なんだか言葉に出来ないような、漠然とした不安。




何か、抜け落ちているような。何か、無くしてしまったような。何か、忘れているような。




その瞬間、カチッ、と無機質な音が部屋に響いた。音源は、棚を隔てた窓の方からだ。




……行ってはいけない。そんなことは分かっている。だが、そんなことでどうにかなるような気もしなかった私は、知的好奇心のままに、棚を迂回した………










爆弾があった。




時限式、四つのコード、プラスチック爆弾、大きさからして威力はちょうどこの部屋を吹き飛ばせるくらい、そして………




表示されているのは、刻一刻と減っていき到達してしまった、『1』の数字。




……ここまでか。




私は懐からマジパを取りだし、事前に用意していたあるメッセージを送信する。




ああ、結構、死神ってのは働き者なようだ。それとも、これもまた天才の抱える宿命か。




酷く引き伸ばされた時間の中で、私はぼんやりと、無くしていたものの正体に気づいた。




ああ、先程二人がやってきた時、一緒にいたもう一人の少年……二人には見えていないようだったし、私も起きたばかりだったから幻覚でも見たのかと思ったが………




あれは、人だったのか。




それに、何か見覚えがあると思ったら、ついこの間、同じようなことがあったじゃないか。




だなんて、思いながら。




私は死を、受け入れた。







正気に戻ったサターシャと共に廊下を歩いていると、不意にマジパがメッセージを受信した。




慌てて取り出してみると、そこには歩夢からのメッセージがあった。




『先生、今までありがとう。これが届いたということは、私はもうダメだろう。私の研究成果も、全てこの部屋にあるから、もしもの事を考えて、全データをファイル化し、先生に送っておくよ。それと、サターシャくんによろしく。君は、私の人生で一番の友達だ、ってね』




最後に小さくウインクの絵文字が付いたそのメッセージを読み切る前に。




青く、晴れ渡る空に似合わない。




焦げ臭い爆音が鳴り響いた。

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