第8話 愛するつもりはない

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「――では、失礼いたします」


 紅茶と焼き菓子が乗った銀のトレイをテーブルに置いた侍女達は恭しく一礼した後、部屋から退出していく。


 その姿を最後まで見送れば、

 気の進まないお茶会の始まりでございます。


「……改めまして、遠路はるばるモルゲンロートまでおいでくださり誠にありがとうございます。まさかシュヴァルツヴァルトの王太子殿下自ら、お迎えに来てくださるなんて夢にも思いませず、この上ない光栄に存じます」


「夫となる者として、妻を迎えに来るのは当たり前のことです。なのでどうかお気遣いなく」


 穏やかな笑みを浮かべて話すフリード王太子は、謁見の間でアリーシアに対して冷たく返した人物と同じとは到底思えないほど完璧に偽りの仮面を被っていて。

 もはや別人だと言われたほうが納得できる。

 

「ご配慮、痛み入りますわ。王太子殿下」


 だからあえて許された名前で呼ばず、敬称で呼んでみることにしました。

 その仮面を僅かにでも剥ぎ取ってやりたくて。


「フランツェスカ、敬称が戻ってしまっていますよ? 貴女には名前で呼ぶようにとお願いしたはずですが……」


「公私混同はしないほうがよろしいのかと思いまして。……私の考え違いでございましたか?」


「どうしてそう、思われたのですか?」


「……察しただけですわ、これはいわば女の勘というやつですのよ?」


「ふむ……? 意外と貴女は頭がいいのですね……対応を少し考え直す必要がありそうです」


「それは褒め言葉として受け取っておいたほうがよろしいのかしら? それとも……」


「ああ、気を悪くしたのなら謝ります。すいません。私は貴女のことを少々侮ってしまっていたようです。ですがこれはこれで面倒がなくていいのかもしれませんね」


「面倒、ですか」


 侮られたのはこのドレスと化粧のせいなのか、それとも私が人質に選ばれた王女だからでしょうか。

 

 ただ、そのどちらだとしても。

 ……気分のいいものではございませんが。


「ええ、賢い貴女にならば本音を話しても問題なさそうだ。私は貴女を……愛するつもりがありません」


 正直、愛されるとは思っていませんでした。

 だけど面と向かって言われるとは、驚きました。

 

「それは……」


「ああ、ですが勘違いしないで下さい。貴女を愛するつもりはありませんが冷遇するつもりもありません。それに王太子妃として何不自由ない生活は保証しますし、公の場では夫としての務めを果たすつもりです。……ですが、愛を望まれても与えることはできません」


「公の場では、ですか」


「ええ、そして私が貴女に望むのは公の場で良き妻として振舞っていただくことのみ。あとは貴女の好きにしていただいて構いません。王太子妃としての立場上、外で子を作られたら困りますが……恋人を作る事は止めません。あとできれば私に干渉しないでいただけると助かります、私も干渉しませんので」


 ついこの間まで敵国だったから。

 結婚をしたところで最初から愛など期待していませんでしたし、敵将だった彼を自分が愛せるとも思っていません。

 

 だけど、

 面と向かって『恋人を作ってもいい』などと宣言されるとは、流石に予想していませんでした。


 ……私も、なめられたものですね。


「……そうですか。ですがご安心ください、王太子殿下。私も貴方を愛するつもりはありませんので」


「え……っと……? それは……」


 私にそう返されるとは流石に予想していなかったらしく、フリード王太子は言葉を詰まらせました。

 この返しはなかなかに効果的だったみたいです。


「この結婚は両国の和平の為に結ばれた、ただの契約です。愛を求められても困りますわよね、それについて私も全く同じ意見です」


「そ、そうですか……」


 驚いたような表情を浮かべるフリード王太子。

 おそらくですが、そう言って冷たくすれば私が泣き縋ってくるとでも考えていたのでしょう。


 この程度の事で、女王になるべく教育を施された私が動揺するわけがありませんのに。


「ええ。王太子殿下も私と同じ考えでとても助かりましたわ。私も好きでもない殿方と……なんて、虫酸が走りますもの」

 

「っ……そういえば。一つ貴女にお伺いしたいことがあるのですが、その瞳の色は? とても珍しい……美しい色合いですね」


 そう言って、フリード王太子は私の瞳をじっと興味深そうに見つめてきました。

 きっと話題でも変えたいのでしょう。


 これ以上いじめるのは無粋な気がいたしますし、その話に乗ってあげることにいたします。


「……私の瞳の色は母譲りですわ。私の母は帝国出身ですのよ。こちらでは少しばかり珍しい色合いかもしれません」


 光の加減で赤や青に見えるこの紫の瞳、これは帝国の王族だけが持つ特別な色。

 幼い頃この瞳の色を鏡に映しては、亡くなったお母様のことを私は思い出していました。

 

「帝国の……それで……」


 何気ない一言。

 だけどその声音には、どこか含みのある響きがあったのを私は聞き逃しませんでした。


 この紫の瞳になにか……あるのでしょうか?

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