剣聖(ヒロイン)になった推し(トップアイドル)と、記憶(あい)を辿る異世界救済譚
@pappajime
第1巻 トップアイドルの推しが、異世界で無感情な"剣聖"になっていた件
No.1『推しのライブ、そして事故』
俺の人生は、推しの歌で始まり、推しの笑顔で終わる──はずだった。
その日、俺は人生で一番のライブにいた。推し、天音ミナ。ステージの上で輝くその姿は、まるで異世界の女神だった。
「ミナちゃーん!こっち見てー!」
「最高!マジで神!」
周囲の歓声に混じって、俺も叫んでいた。声が枯れるほど、手が痛くなるほどペンライトを振っていた。
天音ミナ──高校生ながらトップアイドルに登り詰めた奇跡の存在。歌唱力、ダンス、トーク、そして何より“記憶に残る”笑顔。
俺は彼女のファン歴3年。ファンクラブ会員番号は二桁台。ライブは皆勤賞。グッズは部屋を埋め尽くすほど。
そんな俺が、今日のライブで初めて泣いた。
「──この歌は、みんなの記憶に残りますように」
ミナがそう言って歌い始めた瞬間、俺の胸に何かが刺さった。
“記憶に残る存在になりたい”──それは、彼女がデビュー当時から語っていた夢。
俺はその夢を、ずっと応援してきた。
そして今、彼女はその夢を叶えようとしていた。
俺は泣きながら、ペンライトを振った。
その瞬間、ステージの照明が一段と強く輝いた。ミナの姿が、まるで光に包まれて消えていくように見えた。
……いや、違う。
本当に、消えたんだ。
「え?」「ミナちゃん?」「照明トラブル?」
会場がざわつく。俺は目をこすった。ステージには誰もいない。
そして、次の瞬間──
俺の視界が、真っ白になった。
眩しい光。耳鳴り。身体が浮くような感覚。
「……っ、なに、これ……」
俺は叫ぼうとしたが、声が出なかった。
そして、意識が──途切れた。
……どれくらい眠っていたのか、わからない。
目を覚ました俺は、まず天井を見た。いや、天井じゃない。空だった。
「……え?」
青空。雲。鳥。風。
俺は芝生の上に寝転がっていた。ライブ会場の床じゃない。アスファルトでもない。
「ここ、どこだ……?」
周囲を見渡す。見たこともない建物。石造りの塔。馬車。剣を背負った人間。
俺は、異世界にいた。
「おい、そこの若造!寝てる場合か!」
怒鳴り声が飛んできた。見ると、鎧を着た男が俺を睨んでいる。
「騎士団の訓練場で昼寝とはいい度胸だな!」
「……騎士団?」
俺は立ち上がり、頭を抱えた。状況がまったく理解できない。
ライブ会場にいたはずなのに、なぜか異世界の騎士団にいる。
しかも、周囲の人間たちは俺を“見慣れた新人”として扱っている。
「おい、ユウト!また寝てたのかよ!」
「……ユウト?」
俺の名前だ。だが、なぜかこの世界でも“神谷ユウト”として認識されている。
記憶はある。俺は日本の高校生で、推しのライブに行って──事故に遭った。
そして今、異世界にいる。
「……これ、転生ってやつか?」
俺は呟いた。まるでラノベの主人公みたいな展開。
だが、そんなことよりも──
「ミナ……」
推しのことが気になった。彼女はどうなった?あの光の中で、彼女も消えたように見えた。
まさか、彼女も……?
「おい、ユウト!訓練始まるぞ!」
騎士団員たちが剣を構え始める。俺も木剣を渡され、訓練場の中央へと立たされる。
そして──
「今日の模擬戦は、剣聖ミナ様が直々に指導される!」
「……は?」
俺は耳を疑った。
剣聖?ミナ?
まさか、まさか──
「入場!」
鐘の音が鳴る。
訓練場の扉が開く。
そして、そこに現れたのは──
「……ミナ……?」
銀髪の少女。鋭い眼差し。騎士団の制服。腰に輝く剣。
天音ミナ。俺の推し。
だが、彼女は俺を見ても──何の反応も示さなかった。
「模擬戦、始めます」
冷たい声。感情のない瞳。
俺の推しは、異世界で“剣聖”になっていた。
そして、俺のことを──覚えていなかった。
No.2『異世界転生、騎士団の街へ』
異世界に転生した──なんて言葉、ラノベの中だけの話だと思ってた。
でも今、俺はその“ラノベの中”にいる。
「おい、ユウト!剣の持ち方が甘いぞ!」
「す、すみません!」
騎士団の訓練場。俺は木剣を握りしめながら、怒鳴られる日々を送っていた。
……いや、待て。そもそもなんで俺が騎士団にいるんだ?
転生したのはわかった。でも、記憶はそのまま。俺は日本の高校生で、推しのライブに行って──事故に遭った。
そして気づいたら、異世界の騎士団に所属していた。
「ユウト、今日の任務は街の巡回だ。新人は先輩についていけ」
「はい!」
俺は木剣を背負いながら、街へと向かった。
街の名前は“リュミエール”。石造りの建物が並び、露店が賑わい、馬車が行き交う。
まさに“異世界ファンタジー”の王道。
「おい、あれ見ろよ。剣聖様が通るぞ」
「えっ、剣聖?」
俺は振り返った。
遠くから、銀髪の少女が歩いてくる。騎士団の制服。腰に輝く剣。
天音ミナ──俺の推し。
でも、彼女は俺を見ても何の反応も示さなかった。
「剣聖ミナ様は、騎士団の象徴だ。魔族との戦いで数々の功績を残してる」
先輩騎士が誇らしげに語る。
……俺の知ってるミナは、ステージで笑ってた。歌ってた。ファンに手を振ってた。
今の彼女は、感情のない瞳で前だけを見ている。
「……本当に、ミナなのか?」
俺は呟いた。
その時、彼女が一瞬だけ立ち止まった。
そして、俺の方を見た。
……気のせいかもしれない。
でも、あの瞳に──ほんの少しだけ、懐かしさが宿っていた気がした。
「剣聖ミナ様は、魔族との戦いで数々の功績を残してる。俺たちの誇りだ」
先輩騎士の言葉が、胸に刺さる。
俺の知ってるミナは、ステージで笑ってた。歌ってた。ファンに手を振ってた。
今の彼女は、感情のない瞳で前だけを見ている。
「……本当に、ミナなのか?」
俺は呟いた。
その時、彼女が一瞬だけ立ち止まった。
そして、俺の方を見た。
……気のせいかもしれない。
でも、あの瞳に──ほんの少しだけ、懐かしさが宿っていた気がした。
「ユウト、ぼーっとしてると剣聖様に叱られるぞ」
「あ、すみません!」
街の巡回は続く。露店の匂い、子供たちの笑い声、遠くで鐘の音が鳴る。
俺はこの世界に来て、まだ数日しか経っていない。
でも、なぜか“騎士団員ユウト”としての記録はしっかり残っているらしい。
まるで、俺がこの世界に“元からいた”かのように。
「なあ、ユウト。お前、剣聖様と面識あるのか?」
「えっ?」
「さっき、剣聖様が一瞬だけお前を見た気がしてな」
「……いや、そんなこと……」
俺は言葉を濁した。
面識はある。俺の中では、彼女は“推し”だった。
でも、今の彼女は──俺を知らない。
「剣聖様は、感情を捨てたって噂だぜ。魔族との戦いで、仲間を何人も失ったらしい」
「……感情を、捨てた……」
俺の知ってるミナは、感情の塊だった。笑って、泣いて、歌って。
その彼女が、感情を捨てた?
「……そんなの、嘘だろ……」
俺は呟いた。
でも、彼女の瞳は──本当に、何も映していなかった。
街の巡回を終えた俺は、騎士団の寮に戻った。
夜。窓の外には星が瞬いている。
「ミナ……」
俺は空を見上げながら、呟いた。
「俺は、君を……もう一度、笑わせたい」
その言葉は、誰にも届かない。
でも、俺の中で──確かに、火が灯った。
No.3『推し、剣聖として登場』
剣聖──その言葉には、異世界の人々にとって特別な響きがあるらしい。
騎士団の訓練場では、毎月一度、剣聖による模擬戦指導が行われる。
そして今日が、その日だった。
「おい、ユウト。初めての剣聖指導だろ?緊張してるか?」
「……まあ、そりゃあ」
緊張なんてもんじゃない。俺の推しが、目の前で剣を振るうんだぞ。
天音ミナ──異世界では“剣聖ミナ”と呼ばれている。
彼女は騎士団の象徴であり、魔族との戦いで数々の伝説を残してきた。
でも、俺にとっては──ステージで笑っていた、あのミナなんだ。
「入場!」
鐘の音が鳴る。訓練場の扉が開く。
銀髪の少女が、静かに歩いてくる。
騎士団の制服。腰に輝く剣。感情のない瞳。
「剣聖ミナ様、よろしくお願いします!」
騎士団員たちが一斉に頭を下げる。
俺も、反射的に頭を下げた。
でも、心の中では──叫んでいた。
“ミナ……俺だよ。ユウトだよ。覚えてる?”
彼女は、俺の方を一瞬だけ見た。
でも、何の反応もなかった。
「本日の模擬戦は、私が直接指導します。順番に前へ」
その声は、冷たく、機械のようだった。
俺の知ってるミナの声じゃない。
「ユウト、次お前だぞ」
「えっ、俺!?」
心の準備なんて、できてない。
でも、俺は木剣を握りしめ、訓練場の中央へと立った。
「名前は?」
「……神谷ユウトです」
ミナの瞳が、俺を見つめる。
その瞳に、何も映っていない。
「始めます」
そして──模擬戦が、始まった。
「始めます」
ミナの声が響いた瞬間、空気が変わった。
俺は木剣を構えた。足が震える。手汗が止まらない。
目の前の彼女は、俺の“推し”だった。
でも今は、“剣聖”だった。
「来なさい」
その言葉に、俺は反射的に踏み込んだ。
木剣を振る。全力で。
だが──
「遅い」
ミナの剣が、俺の木剣を弾いた。
一瞬で、俺の体勢が崩れる。
「構えが甘い。足運びが鈍い。目が泳いでいる」
彼女は冷静に、俺の弱点を指摘する。
俺は必死に立て直す。再び踏み込む。
でも、彼女の剣は──美しかった。
無駄のない動き。鋭い軌道。感情のない瞳。
俺の知ってるミナじゃない。
でも、どこかで見たことがある。
「……その剣技……」
俺は呟いた。
彼女の剣の動きは、ライブのダンスに似ていた。
ステージで、彼女が振るっていた“表現”が、今は“殺意”に変わっていた。
「終わりです」
ミナの剣が、俺の木剣を完全に弾き飛ばした。
俺は尻もちをついた。
「……ありがとうございました」
俺は頭を下げた。
彼女は、俺を見下ろしていた。
その瞳に、何も映っていない。
でも──
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
彼女の口元が、わずかに動いた気がした。
微笑──のような。
「次の方」
彼女は背を向けた。
俺は、木剣を拾いながら呟いた。
「……やっぱり、ミナだ」
俺の推しは、異世界で“剣聖”になっていた。
そして、俺のことを──忘れていた。
でも、俺は諦めない。
もう一度、彼女に“笑ってもらう”ために。
この世界で、俺は──戦う。
No.4『記憶の曖昧な推し』
剣聖ミナとの模擬戦から一夜が明けた。
俺はまだ、あの冷たい瞳を忘れられずにいた。
「……やっぱり、ミナだったよな」
寮のベッドに寝転びながら、天井を見つめる。
あの剣の動き。あの声。あの一瞬の微笑。
俺の推し、天音ミナ。
でも、彼女は俺を──覚えていなかった。
「おい、ユウト!朝の巡回だぞ!」
「あ、はい!」
騎士団の朝は早い。街の巡回、訓練、任務。
俺は木剣を背負い、街へと向かった。
今日のペアは、先輩騎士のレオンさん。
「昨日の模擬戦、見てたぞ。剣聖様にしては珍しく、手加減してたな」
「えっ、そうなんですか?」
「ああ。いつもなら、木剣を粉砕する勢いだからな」
……手加減。
もしかして、俺のことを少しでも覚えてるのか?
「剣聖様って、昔からあんな感じなんですか?」
「いや、昔はもっと……人間らしかった気がするな」
レオンさんが遠くを見る。
「魔族との戦いで、仲間を何人も失ってから、変わったんだ」
「……感情を、捨てた?」
「ああ。剣にすべてを込めるようになった。まるで、記憶を封じ込めるみたいにな」
記憶。
俺の推しは、“記憶に残る存在になりたい”と言っていた。
でも今の彼女は、自分の記憶を──捨てようとしている。
「……そんなの、違うだろ」
俺は呟いた。
その時、鐘の音が鳴った。
「剣聖様が、街の視察に来るらしいぞ!」
街の人々がざわつく。
俺は、胸が高鳴るのを感じた。
もう一度、彼女に会える。
そして──話すチャンスがあるかもしれない。
剣聖ミナが街に現れた。
騎士団員たちは整列し、街人たちは道を空ける。
俺はその列の端に立ち、彼女が通るのを待った。
銀髪が風に揺れる。剣が腰で静かに光る。
彼女は、俺の前を通り過ぎようとして──
一瞬、立ち止まった。
「……あなた、名前は?」
俺は息を呑んだ。
「神谷ユウトです」
彼女の瞳が、俺を見つめる。
その瞳に、何かが揺れた。
「……ユウト……」
小さく、彼女が呟いた。
俺は心臓が跳ねるのを感じた。
「俺のこと、覚えてますか?」
彼女は、しばらく沈黙した。
そして──
「……いいえ。ですが、どこか……懐かしい気がします」
その言葉は、俺の胸を締めつけた。
覚えていない。でも、懐かしい。
それは、記憶の奥底に、俺がいるということだ。
「剣聖様、時間です」
騎士団の副官が声をかける。
ミナは、俺から目を逸らし、静かに頷いた。
「失礼します」
そして、彼女は去っていった。
俺は、その背中を見つめながら、呟いた。
「……絶対に、思い出させてみせる」
それは、ただのファンの願いじゃない。
俺の人生を変えた人に、もう一度“自分”を届けるための誓いだった。
No.5『騎士団入団試験』
騎士団に所属しているとはいえ、正式な“団員”になるには入団試験を突破しなければならない。
俺はその試験日を迎えていた。
「ユウト、緊張してるか?」
「……してないって言ったら嘘になります」
先輩騎士のレオンさんが笑う。
「まあ、剣聖様が見てる前で試験受けるんだからな。誰だって緊張するさ」
……そう。今日の試験には、剣聖ミナが“審査官”として立ち会うらしい。
俺の推しが、俺の実力を見極める。
それは、ファンとしては最高の舞台。
でも、彼女は俺を──覚えていない。
「神谷ユウト、前へ」
試験官の声が響く。
俺は木剣を握りしめ、訓練場の中央へと歩いた。
周囲には騎士団員たち。そして、審査席には──ミナがいた。
銀髪。冷たい瞳。静かな佇まい。
俺の推し。俺の“記憶の中の女神”。
「模擬戦形式での審査を行います。対戦相手は、騎士団副官レイ=バルド」
レイさんは、筋骨隆々のベテラン騎士。
「遠慮はしないぞ、ユウト」
「……はい!」
木剣を構える。足を開く。呼吸を整える。
ミナの視線が、俺に向けられている。
その瞳に、何も映っていない。
でも、俺は信じてる。
俺の動きが、彼女の記憶を揺らすことを。
「始め!」
試験官の声と同時に、レイさんが踏み込んできた。
速い。重い。鋭い。
俺は木剣で受け止める。だが、腕が痺れる。
「悪くない。だが、まだ甘い!」
レイさんの剣が、俺の脇をかすめる。
俺は後退しながら、ミナの剣技を思い出す。
あの模擬戦。あの動き。あの軌道。
俺は、彼女の剣を“記憶”していた。
そして──模倣した。
レイさんの剣が再び振り下ろされる。
俺はそれを、ミナの剣技の“記憶”をなぞるように受け流した。
「ほう……」
レイさんの目がわずかに見開かれる。
俺は踏み込む。ミナが模擬戦で使っていた“足運び”を真似る。
木剣を振る。軌道は、彼女の剣と同じ。
「……これは……」
周囲がざわつく。
レイさんが剣で受け止める。だが、体勢が崩れる。
「ユウト、お前……誰に習った?」
「……誰にも。見て、覚えました」
俺は答える。
ミナの剣を、俺は“記憶”していた。
そして、それを“模倣”した。
「試験終了!」
試験官の声が響く。
レイさんは木剣を下ろし、俺に向かって頷いた。
「見事だった。合格だ」
周囲が拍手する。
俺は、息を整えながら、審査席を見た。
ミナは、静かに俺を見ていた。
その瞳に、わずかに──揺らぎがあった。
「……神谷ユウト。剣技の模倣力に優れ、戦闘判断も良好。騎士団員としての資質あり」
ミナがそう言った。
俺は、彼女の言葉に胸が熱くなった。
それは、ただの評価じゃない。
俺の“記憶”が、彼女の“記憶”を揺らした証。
「ありがとうございます!」
俺は頭を下げた。
ミナは、ほんの一瞬だけ──微笑んだ。
それは、俺だけが気づいた“推しの笑顔”だった。
そして俺は、正式に騎士団員となった。
この世界で、彼女の隣に立つために。
そして、もう一度──彼女に“記憶される”ために。
No.6『模擬戦:推しvs主人公』
騎士団に正式に入団してから数日。
俺は訓練漬けの日々を送っていた。
剣の構え、足運び、魔法の基礎。どれも初めて触れるものばかりで、正直、ついていくのがやっとだった。
でも──俺には目標がある。
天音ミナ。俺の推し。
彼女にもう一度、“俺”を思い出してもらうために。
「ユウト、今日の模擬戦、相手は剣聖様らしいぞ」
「……は?」
訓練場で木剣を手にしていた俺は、思わず固まった。
「いやいや、俺まだ入団したばっかりですよ!?」
「だからこそ、剣聖様が直々に見てくださるんだろ。期待されてる証拠だ」
期待って……俺、まだスライムすらまともに倒せてないんだけど。
「神谷ユウト、前へ」
試験官の声が響く。
俺は木剣を握りしめ、訓練場の中央へと歩いた。
周囲には騎士団員たち。そして、対面には──ミナがいた。
銀髪。冷たい瞳。静かな佇まい。
俺の推し。俺の“記憶の中の女神”。
「模擬戦、始めます」
彼女の声は、相変わらず感情がない。
でも、俺は知ってる。
その声の奥に、確かに“ミナ”がいることを。
「構えなさい」
俺は木剣を構えた。
彼女の剣技は、以前の模擬戦で見ている。
俺はそれを“記憶”していた。
そして、今──それを“模倣”する。
「始め!」
試験官の声と同時に、俺は踏み込んだ。
ミナの剣が、静かに動く。
その軌道は、美しく、そして冷たい。
俺はそれを、必死に追いかけた。
ミナの剣が、空を裂くように振るわれる。
俺はそれを、ギリギリで受け止めた。
木剣が軋む。腕が痺れる。
でも──俺は、踏み込んだ。
「……っ!」
ミナの瞳が、わずかに揺れた。
俺の剣の軌道は、彼女の剣技を模倣したもの。
それは、彼女の“記憶”に触れる一撃だった。
「……どこかで、見た動き」
ミナが呟いた。
俺の心臓が跳ねる。
彼女の記憶が、揺れている。
「あなた、何者ですか?」
「……ただの騎士団員です」
俺は答える。
でも、本当は違う。
俺は、あなたのファンで。
あなたの歌に救われて。
あなたの笑顔を、ずっと追いかけてきた。
「終わりです」
ミナの剣が、俺の木剣を弾き飛ばす。
俺は膝をついた。
「ありがとうございました」
俺は頭を下げた。
ミナは、しばらく俺を見つめていた。
そして──
「……あなたの剣は、記憶に触れる」
その言葉は、俺の胸に深く刺さった。
彼女は、何かを思い出しかけている。
俺は、立ち上がりながら呟いた。
「俺は、あなたの記憶に残りたい」
ミナは、何も言わずに背を向けた。
でも、その背中は──ほんの少しだけ、震えていた。
俺は、確信した。
この世界で、俺は彼女の“記憶”を取り戻す。
それが、俺の戦う理由だ。
No.7『騎士団入団決定』
騎士団入団試験を終えた翌朝、俺はまだ夢の中にいるような気分だった。
「……合格、したんだよな」
ベッドの上で呟く。昨日の模擬戦。推し──剣聖ミナとの対峙。
彼女の剣技を模倣し、俺は戦った。
そして、彼女は言った。
「あなたの剣は、記憶に触れる」
その言葉が、今も胸に残っている。
「ユウト!起きてるかー?」
寮の扉が勢いよく開き、レオンさんが顔を出す。
「団長から呼び出しだ。正式な入団手続きだってさ」
「……マジですか」
俺は慌てて制服に着替え、騎士団本部へ向かった。
石造りの重厚な建物。騎士団の象徴が刻まれた扉。
その奥に、団長がいた。
「神谷ユウト。昨日の模擬戦、見事だった」
団長は、年配の男性。鋼のような眼差しと、静かな語り口。
「剣聖ミナ様も、君の資質を認めている。よって──正式に騎士団員として迎え入れる」
「……はい!」
俺は背筋を伸ばし、声を張った。
その瞬間、胸の奥が熱くなった。
俺は、この世界で“認められた”。
そして、推しの隣に立つ資格を得た。
「これからは任務も増える。覚悟しておけ」
「はい!」
団長は頷き、書類にサインをした。
それが、俺の“異世界での人生”の始まりだった。
騎士団本部を出た俺は、制服の胸元に新しく刻まれた紋章を見つめた。
それは、騎士団員として認められた証。
そして、推しの隣に立つための第一歩だった。
「ユウトー!お前、合格したんだってな!」
「うわっ、びっくりした!」
背後から飛びついてきたのは、同じ新人騎士のリリ=フェンネル。
金髪ツインテール、元気印、魔法使い見習い。
「すごいじゃん!剣聖様に認められるなんて、マジで推しと結婚できるレベルじゃん!」
「いやいやいや、そんなわけないだろ!」
「えー?でもさ、昨日の模擬戦、ちょっと空気違ったよ?剣聖様、あんたのこと見てたもん」
「……見てた、かな」
俺は思い出す。あの一瞬の微笑。
それが“記憶の揺らぎ”だったとしたら──
「ま、あんたが推しに認知されるまで、私が応援してあげるよ!」
「……ありがとう」
リリは、騎士団の中でもムードメーカー的存在らしい。
でも、彼女の魔法は暴走気味で、訓練場を何度も爆破している。
「あ、そうだ。今日の任務、あんたとペアだってさ」
「え、マジで?」
「うん。街の巡回。あと、魔族の痕跡が出たって噂もあるから、ちょっと警戒してね」
魔族──この世界の“敵”とされる存在。
でも、俺はまだ一度も本格的に見たことがない。
「魔族って、どんな奴らなんだ?」
「うーん、見た目は人間に近いけど、感情がないって言われてる。あと、記憶を喰うって噂も」
記憶を喰う。
それは、俺の“推し”と真逆の存在だ。
ミナは、記憶に残る存在になりたいと願っていた。
魔族は、記憶を奪う存在。
「……なんか、嫌な予感がするな」
「ま、あんたがいれば大丈夫っしょ!」
リリが笑う。
俺は、木剣を握りしめた。
騎士団員としての初任務。
そして、推しの隣に立つための、次なる一歩。
「よし、行こうか」
「うん!」
こうして、俺の騎士団生活が本格的に始まった。
そして、この街の片隅で──魔族の影が、静かに動き始めていた。
No.8『推しの冷たい態度』
騎士団員としての初任務を終えた俺は、少しだけ自信を持ち始めていた。
「よし、次は推しとの距離を縮めるぞ……!」
朝の訓練場で木剣を振りながら、俺は気合を入れる。
昨日の模擬戦で、ミナの記憶が揺れた。
俺の剣技が、彼女の記憶に触れた。
それなら、次は“言葉”で揺らしてみせる。
「ユウト、今日の任務は剣聖様の護衛だってさ」
「……マジで!?」
リリが笑いながら報告してくる。
「あんた、最近剣聖様に気に入られてるっぽいし、チャンスじゃん」
「いや、気に入られてるっていうか……」
俺は言葉を濁す。
でも、内心は跳ねていた。
ミナと話せる。近くにいられる。
そして──記憶を揺らせるかもしれない。
任務は、街の視察。ミナと俺、そして副官のレイさんの三人で歩く。
ミナは無言。表情も変わらない。
俺は、何度も話しかけようとして──言葉を飲み込んだ。
「剣聖様、昨日の模擬戦……ありがとうございました」
ようやく絞り出した言葉。
ミナは、俺を一瞥する。
「……任務中です。私語は慎んでください」
冷たい。
まるで、氷の刃のような言葉だった。
俺は、何も言えなくなった。
でも──その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、揺らぎが見えた気がした。
任務は淡々と進んだ。
ミナは街の様子を見回り、必要最低限の指示だけを出す。
俺はその後ろを黙って歩いていた。
「……剣聖様って、いつもあんな感じなの?」
任務の合間、こっそりレイさんに聞いてみた。
「ああ。感情を表に出すことはほとんどない。魔族との戦いで、何かを失ったらしい」
「何かって……」
「記憶か、心か……それは誰にもわからん」
記憶。
俺は、彼女の“記憶”に触れたくてここにいる。
でも、彼女はその記憶を──封じている。
任務の終盤、ミナがふと立ち止まった。
「……この場所、懐かしい気がします」
それは、街の広場。
ステージのような高台があり、子供たちが歌っていた。
「歌……」
ミナが呟いた。
俺は、心臓が跳ねるのを感じた。
「ミナさん……歌ってたこと、覚えてますか?」
彼女は、俺を見た。
その瞳に、ほんの一瞬だけ──揺らぎが走った。
「……いいえ。ですが、胸が……少し、痛みます」
それは、記憶の奥底に眠る“感情”の断片。
俺は、彼女の隣に立ちながら、静かに誓った。
「俺が、思い出させます。あなたが誰だったかを」
ミナは何も言わなかった。
でも、去り際──
彼女の背中が、ほんの少しだけ、俺の方へ傾いた気がした。
それは、冷たい態度の奥にある、微かな“温度”だった。
No.9『初任務:スライム退治』
騎士団員としての初任務──それは、スライム退治だった。
「……いや、もっとこう、ドラゴンとか魔族とか、あるだろ」
俺は木剣を肩に担ぎながら、森の入口でぼやいた。
「なに言ってんの。スライムは騎士の登竜門だよ!」
隣でリリが元気に笑う。
「でも、スライムって……ぷるぷるしてるだけじゃ……」
「油断すると溶かされるよ?服とか、記憶とか」
「記憶!?」
「うん。最近のスライムは“記憶を吸収する”って噂があるの。だから、あんたの推しのことも忘れちゃうかもね〜」
「それは困る!!」
俺は慌てて木剣を構えた。
初任務で推しの記憶を失うなんて、そんな悲劇は絶対に避けたい。
「よーし、行くよ!スライム退治隊、出発〜!」
リリの掛け声で、俺たちは森の奥へと進んだ。
しばらく歩くと、ぬるりとした音が聞こえた。
「……来たな」
茂みの向こうから、青く光るぷるぷるが現れる。
スライム。
俺は木剣を構え、リリは魔法陣を展開する。
「ユウト、まずは一撃入れてみて!」
「了解!」
俺は踏み込み、木剣を振る。
ぷるん。
手応えは……ない。
「え、これ、効いてる?」
「効いてるよ!たぶん!……たぶんね!」
「たぶんって何!?」
スライムはぷるぷるしながら、俺に向かって跳ねてきた。
「うわっ、近い近い!」
「ユウト、避けて!それ、記憶吸収型かも!」
「だからそれ何!?」
俺は慌てて後退しながら、スライムの動きを観察した。
すると──スライムの体内に、何かが浮かんで見えた。
それは、銀髪の少女の姿。
「……ミナ……?」
俺の“記憶”が、スライムに吸われかけていた。
「ミナ……」
スライムの体内に浮かぶ銀髪の幻影。それは、俺の“推し”の姿だった。
「ユウト、早く!記憶、吸われるよ!」
リリの声が焦る。
俺は木剣を握り直し、スライムに向かって踏み込んだ。
「返せ……俺の記憶を!」
剣を振る。軌道は、ミナの剣技を模倣したもの。
その一撃が、スライムの中心を貫いた。
ぷるん。
スライムが震え、光を放ち、そして──消えた。
地面には、青い粘液だけが残っていた。
「……終わった?」
「うん。記憶も、戻ってる?」
リリが心配そうに聞いてくる。
「ああ。ミナの顔、ちゃんと浮かぶ」
俺は胸に手を当てた。
彼女の歌声。笑顔。ステージでの姿。
それは、俺の中に確かに残っていた。
「よかった〜。もし忘れてたら、あんたの人生終わってたね」
「ほんとそれ」
俺は苦笑しながら、剣を収めた。
初任務は、スライム退治。
でも、俺にとっては“記憶を守る戦い”だった。
「ユウトってさ、記憶にこだわるよね」
「……うん。俺の推しは、“記憶に残る存在になりたい”って言ってたから」
リリは、少しだけ黙った。
そして、ぽつりと呟いた。
「それって、すごく……切ないね」
俺は、空を見上げた。
青空の向こうに、彼女の歌が聞こえる気がした。
「俺は、彼女の記憶を守る。どんな敵が現れても」
それが、俺の“騎士としての誓い”だった。
No.10『推しの剣技を盗み見』
騎士団の任務が終わった夜、俺は眠れずにいた。
ミナの冷たい態度。スライムに吸われかけた記憶。
そして、彼女の剣技──あの美しく、無駄のない動き。
「……もう一度、見たい」
俺は寮を抜け出し、静まり返った訓練場へ向かった。
月明かりが石畳を照らす。風が静かに吹く。
そして──そこに、彼女はいた。
剣聖ミナ。
一人で、剣を振っていた。
「……っ」
俺は物陰に身を潜め、息を殺した。
ミナの剣は、まるで舞のようだった。
一振りごとに、空気が震える。
その動きは、ステージでのダンスに似ていた。
いや、違う。
もっと鋭く、もっと悲しく──まるで、何かを断ち切るような剣だった。
「……記憶に、残る剣」
俺は呟いた。
彼女の剣は、誰かの記憶に刻まれるために振るわれている。
それは、かつて彼女が“歌”で目指していたものと、同じだった。
ミナは、剣を振り終えると、静かに息を吐いた。
そして──
「……誰か、そこにいますか?」
俺の心臓が跳ねた。
見つかった。
でも、逃げる気にはなれなかった。
「……誰か、そこにいますか?」
ミナの声が、月明かりの中に響いた。
俺は物陰から一歩、踏み出した。
「……すみません。見てました」
ミナは剣を下ろし、俺を見つめる。
その瞳は、冷たい。けれど、どこか──揺れていた。
「なぜ、隠れていたのですか」
「……あなたの剣技が、あまりに綺麗で。見惚れてました」
ミナは、少しだけ目を伏せた。
「この剣は、感情を捨てて振るうものです。美しさなど、意味はありません」
「でも、俺には見えました。あなたの剣に、感情が宿ってるって」
彼女は、何も言わなかった。
俺は、木剣を手に取った。
「……少しだけ、真似してみてもいいですか?」
ミナは頷きもしなかったが、拒否もしなかった。
俺は、彼女の剣技を思い出す。
模擬戦で見た動き。夜の訓練場で見た軌道。
それを、記憶の中から引き出し、なぞるように剣を振る。
一振り。二振り。三振り。
空気が震える。
ミナの瞳が、わずかに見開かれる。
「……その動き……」
「あなたの剣を、覚えてます。俺の中に、残ってます」
ミナは、しばらく沈黙した。
そして、ぽつりと呟いた。
「……記憶に、残る剣……」
その言葉は、まるで“歌詞”のようだった。
俺は、剣を収めた。
「俺は、あなたの記憶に残りたい。騎士として、ファンとして」
ミナは、何も言わずに背を向けた。
でも、去り際──
彼女の剣が、ほんの少しだけ、柔らかく揺れた気がした。
それは、感情を捨てた剣の奥にある、“誰かを思う”気持ちだった。
No.11『魔法の素質発覚』
剣の訓練にも少しずつ慣れてきた頃、騎士団では“魔法適性検査”なるものが行われることになった。
「ユウト、魔法使えると思う?」
リリが隣でニヤニヤしている。
「いや、俺は剣士タイプだと思うけど……」
「でもさ、あんたって記憶力すごいじゃん?魔法って、記憶と感情に反応するって言われてるし」
「……記憶と感情?」
その言葉に、俺の胸がざわついた。
ミナの剣技を“記憶”して模倣した俺。
もし、魔法も“記憶”に反応するなら──
「次、神谷ユウト!」
検査場に呼ばれ、俺は魔法陣の前に立った。
「目を閉じて、心を静めて。思い出を一つ、強く思い浮かべてください」
検査官の声に従い、俺は目を閉じた。
思い浮かべたのは──ミナの笑顔。
ステージで、ペンライトの海の中で、俺に向かって手を振ってくれたあの瞬間。
「……ミナ……」
その記憶が、胸の奥で光った。
すると──
魔法陣が、淡く輝き始めた。
「おお……これは……」
検査官が驚きの声を上げる。
魔法陣の光は、通常の反応を超えていた。
「感情共鳴型……いや、記憶共鳴型か?」
「え、俺、何かヤバいことしてます?」
「いや、これは……非常に珍しい。君の魔法は、記憶に反応して発動するようだ」
俺は目を開けた。
魔法陣の中心に、銀色の光が揺れていた。
それは、ミナの髪色に似ていた。
「……俺の魔法は、ミナに反応してる……?」
「俺の魔法は、ミナに反応してる……?」
魔法陣の光は、銀色の波となって空気を震わせていた。
その中心に浮かぶ幻影──それは、ミナの笑顔だった。
「ユウト、離れて!」
リリの声が響いた瞬間、魔法陣が暴走を始めた。
光が弾け、風が巻き起こる。
「な、なんだこれ!?」
俺は吹き飛ばされそうになりながら、必死に踏みとどまった。
魔法が、記憶に反応して暴走している。
そして──その記憶は、俺の“推し”への想いだった。
「ユウト、落ち着いて!感情を抑えて!」
「無理だって!ミナが、ミナが……!」
俺の頭の中に、彼女の歌声が響く。
「記憶に残る存在になりたい」
その言葉が、魔法陣をさらに輝かせる。
そして──
「止まりなさい」
冷たい声が、空気を裂いた。
ミナが、魔法陣の中心に立っていた。
彼女の剣が、静かに振るわれる。
銀の光が、魔法の暴走を断ち切った。
「……剣聖様……」
ミナは、俺を見つめていた。
その瞳に、わずかに驚きと──懐かしさが宿っていた。
「あなたの魔法は、記憶に反応する。非常に危険です」
「……でも、それが俺の力なら、使いこなしてみせます」
ミナは、しばらく沈黙した。
そして、ぽつりと呟いた。
「……記憶に、縛られる者は、壊れやすい」
その言葉は、まるで自分自身に向けたもののようだった。
俺は、彼女の背中を見つめながら、誓った。
「俺は、記憶に縛られても、壊れない。あなたを思い出させるためなら、何度でも立ち上がる」
その言葉に、ミナは何も返さなかった。
でも、去り際──
彼女の剣が、ほんの少しだけ、震えていた。
それは、記憶に触れた者だけが感じる“感情の揺らぎ”だった。
No.12『魔族の痕跡』
騎士団の任務は、日々少しずつ“本物”に近づいていく。
そして今日、俺たちに与えられた任務は──魔族の痕跡調査だった。
「ユウト、魔族って見たことある?」
リリが馬車の中で聞いてくる。
「いや、まだ。噂では聞いてるけど……記憶を喰うとか、感情がないとか」
「うん。でもね、最近の報告だと“人間に近い”って話もあるの」
「人間に近い……?」
それは、俺の中で何かをざわつかせた。
ミナも、感情を捨てたと言われている。
魔族も、感情がないと言われている。
その共通点が、妙に引っかかった。
任務地は、騎士団の管轄外にある小さな村。
村人たちは怯えていた。
「最近、夜になると黒い影が森から現れるんです……」
「家畜が消えたり、子供が泣き止まなくなったり……」
村長の話は、どこか“記憶”に関係しているように思えた。
「ユウト、あんたの魔法、使ってみたら?」
「え、ここで?」
「うん。この村の空気、なんか記憶がざわついてる感じするし」
俺は、静かに目を閉じた。
思い浮かべたのは──ミナの声。
「記憶に残る存在になりたい」
魔法陣が、淡く光る。
そして──
村の広場に、黒い痕跡が浮かび上がった。
「これ……魔族の残留記憶?」
リリが息を呑む。
俺は、黒い痕跡の中心に立ち、手を伸ばした。
そこに、誰かの“声”が残っていた。
「……俺にも、守るものがある」
それは、魔族の青年──ヴァル=ジークの声だった。
「……俺にも、守るものがある」
その声は、確かに“誰かの記憶”だった。
魔族の青年──ヴァル=ジーク。
俺は、黒い痕跡に触れながら、胸の奥がざわつくのを感じた。
「ユウト、大丈夫?」
リリが心配そうに声をかける。
「ああ……でも、これ……ただの敵の痕跡じゃない」
「どういうこと?」
「この記憶、悲しみと……誇りが混ざってる。まるで、誰かを守ろうとしてたみたいな」
リリは黙った。
俺は、痕跡の中心に立ち、もう一度手を伸ばした。
すると、微かな映像が浮かび上がる。
村。子供たち。笑顔。
そして、その前に立つ青年──ヴァル。
「……魔族にも、守りたいものがある」
その言葉が、俺の胸に深く刺さった。
「ユウト、これ……報告する?」
「……いや。もう少し、調べたい」
魔族は、ただの“敵”じゃないかもしれない。
そして、ミナも──感情を封じた理由が、そこにあるのかもしれない。
「俺、知りたいんだ。この世界の記憶の全部を」
リリは、少し驚いた顔をしてから、笑った。
「あんたって、ほんと変な騎士だね」
「……変なファンでもあるからな」
俺は、ミナの記憶を守るために剣を振るう。
でも今は、それだけじゃ足りない。
“敵の記憶”にも、触れなければならない。
それが、この世界で“推しの隣に立つ”ための覚悟だ。
No.13『推しの孤独』
騎士団の夜は静かだ。
任務を終えた団員たちはそれぞれの寮に戻り、灯りもまばらになる。
でも、俺は眠れなかった。
魔族の痕跡。ヴァル=ジークの記憶。
そして、ミナの剣──その奥にある、感情の揺らぎ。
「……彼女は、何を守ってるんだろう」
俺は、ふらりと寮を抜け出した。
向かった先は、訓練場。
月明かりに照らされた石畳の上に、誰かの影があった。
「……ミナ」
彼女は、一人で剣を振っていた。
その動きは、昨日よりも鋭く、そして──悲しかった。
「……誰にも、頼れない」
彼女の声が、夜風に溶ける。
俺は、物陰からその言葉を聞いた。
「誰かを守るには、感情を捨てなければならない。そう教えられた」
ミナは、剣を止めた。
そして、空を見上げた。
「でも……本当は、誰かに……」
その言葉は、風にかき消された。
俺は、胸が締めつけられるのを感じた。
彼女は、孤独だった。
感情を封じ、記憶を曖昧にし、誰にも頼らずに剣を振るっていた。
でも、その奥には──誰かを求める声が、確かにあった。
「誰にも、頼れない」
ミナの言葉が、夜の静寂に溶けていく。
俺は、物陰からそっと一歩踏み出した。
「……ミナさん」
彼女は振り返る。
その瞳に、驚きはなかった。
「また、見ていたのですね」
「すみません。でも、あなたが一人で剣を振るう姿……放っておけなくて」
ミナは剣を収め、静かに言った。
「私は、誰かを守るために感情を捨てました。そうしなければ、剣が鈍るから」
「でも、感情を捨てたら……守る意味も、消えてしまうんじゃないですか?」
彼女は、少しだけ目を伏せた。
「……それでも、誰かを守れれば、それでいいと思っていました」
「俺は、違うと思います。守るって、記憶に残ることだと思うんです。誰かの心に、生き続けること」
ミナは、しばらく沈黙した。
そして、ぽつりと呟いた。
「……あなたの言葉は、少しだけ……温かいですね」
その言葉に、俺の胸が熱くなった。
彼女は、孤独だった。
でも、今──その孤独に、俺は触れた。
「俺は、あなたの隣にいます。騎士として、ファンとして」
ミナは、何も言わずに歩き出した。
でも、去り際──
彼女の背中が、ほんの少しだけ、俺の方へ傾いた気がした。
それは、孤独の中に差し込んだ、微かな“光”だった。
No.14『主人公、剣技覚醒』
騎士団の訓練場に、朝の光が差し込む。
俺は、昨日のミナの言葉を胸に刻みながら、木剣を握っていた。
「記憶に縛られる者は、壊れやすい」
それでも、俺は記憶にすがる。
彼女の剣技。彼女の声。彼女の孤独。
それらすべてを、俺は“記憶”している。
「ユウト、今日の訓練、模擬戦形式だってさ」
リリが元気に声をかけてくる。
「また模擬戦か……」
「でも今回は、あんたの“剣技模写”がどこまで通用するか試すってさ」
俺は、木剣を構えた。
記憶の中にあるミナの剣技を、なぞるように振るう。
一振り。二振り。三振り。
すると──
「……あれ?ユウトの剣、なんか違う」
リリが首をかしげる。
「違うって?」
「うん。昨日までの模倣じゃなくて……なんか、ユウトっぽい」
俺は、剣を止めた。
確かに、今の剣は──ミナの動きをなぞりながらも、俺自身の“感情”が混ざっていた。
「……これって、俺の剣技?」
その瞬間、胸の奥が熱くなった。
ミナの記憶をなぞることで、俺自身の“剣”が生まれた。
それは、模倣ではなく──“覚醒”だった。
「……これって、俺の剣技?」
ミナの剣を模倣していたはずなのに、今の一振りには“俺自身”の感情が宿っていた。
喜び。焦り。憧れ。そして、守りたいという願い。
それらが混ざり合い、剣の軌道を変えた。
「ユウト、もう一回振ってみて!」
リリが興奮気味に叫ぶ。
俺は再び木剣を構え、踏み込む。
今度は、ミナの剣技の“記憶”をなぞりながらも、俺の“感情”を込めて振るった。
空気が震える。
木剣が、風を切る音を残して軌道を描く。
それは、ミナの剣とは違う。
でも、確かに“美しい”と感じた。
「……これが、俺の剣」
その瞬間、訓練場の扉が開いた。
ミナが、静かに歩いてくる。
「……あなたの剣、変わりましたね」
俺は、木剣を下ろしながら答えた。
「ミナさんの剣を、記憶して模倣してきました。でも今は、自分の感情が混ざってきて……」
ミナは、しばらく俺を見つめていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……感情が剣に宿ると、壊れることもあります」
「それでも、俺は振ります。あなたを守るために」
ミナの瞳が、わずかに揺れた。
そして──
「……その剣、見せてください。もう一度」
俺は頷き、木剣を構えた。
それは、ミナの記憶と、俺の感情が融合した“新しい剣技”。
そして、俺自身の“覚醒”だった。
No.15『推しとの再戦』
騎士団の訓練場に、再びその名が響いた。
「次の模擬戦──神谷ユウト vs 剣聖ミナ」
ざわめく騎士団員たち。
「またあいつが剣聖様と?」
「前回は手加減されてたけど、今回は本気かもな」
俺は、静かに木剣を握った。
前回の模擬戦では、ミナの剣技を“記憶”して模倣した。
でも今は違う。
俺自身の“剣”がある。
「ユウト、気をつけてね。剣聖様、最近ちょっと……揺れてる感じするから」
リリの言葉に、俺は頷いた。
揺れている。
それは、彼女の記憶が、少しずつ“戻り始めている”証かもしれない。
訓練場の中央に立つミナ。
銀髪が風に揺れ、瞳は静かに俺を見つめる。
「……あなたの剣、見せてください」
その言葉は、挑戦ではなく──確認だった。
「はい。俺の剣を、あなたに届けます」
木剣を構える。
ミナも、剣を抜く。
そして──
「始め!」
試験官の声と同時に、俺たちは動いた。
それは、記憶と感情が交差する、“再戦”の始まりだった。
ミナの剣が、空を裂く。
俺はそれを、記憶と感情の剣で受け止める。
木剣が軋む。腕が痺れる。
でも、俺は踏み込む。
「……っ!」
ミナの瞳が、わずかに揺れた。
俺の剣は、彼女の剣技をなぞりながらも、俺自身の“想い”を乗せていた。
「あなたの剣……変わりましたね」
「はい。これは、あなたに教わった剣です」
ミナは、剣を構え直す。
その動きは、以前よりも柔らかかった。
「……もう一度、来なさい」
俺は頷き、踏み込む。
剣と剣がぶつかる。
記憶と記憶が交差する。
そして──
「……ユウト」
ミナが、俺の名前を呼んだ。
その瞬間、俺の世界が止まった。
「今……俺の名前……」
「……なぜか、口をついて出ました。記憶ではなく、感覚として」
俺は、涙が出そうになるのを堪えた。
彼女の記憶は、まだ曖昧だ。
でも、俺の存在が“感覚”として刻まれ始めている。
「俺は、あなたの記憶に残りたい。何度でも、何度でも」
ミナは、剣を下ろした。
そして、静かに言った。
「……あなたの剣は、私の心に触れます」
それは、剣聖ではなく──“天音ミナ”としての言葉だった。
俺は、木剣を胸に抱きながら誓った。
「この世界で、あなたの隣に立ち続けます」
それが、俺の“推しとの再戦”の答えだった。
No.16『騎士団の宴』
剣聖ミナとの再戦から数日。
騎士団では、定期開催の“戦功祝宴”が行われることになった。
「ユウト、初めての宴だね!ドレスコードは“騎士らしく”だってさ!」
リリが、いつもより華やかな制服姿で笑っている。
「騎士らしくって……俺、いつも通りでいいのかな」
「いいのいいの!あんたは“剣聖様と再戦した男”なんだから、堂々としてなよ!」
騎士団の大広間には、灯りが灯され、料理と酒が並ぶ。
団員たちは笑い、語り、肩を叩き合う。
でも、俺の視線は──一人の女性を探していた。
「……ミナさん、来てるかな」
彼女は、こういう場にはあまり顔を出さない。
感情を封じた剣聖。孤独を背負った騎士。
でも、俺は信じていた。
彼女の中に、まだ“人間らしい温度”が残っていることを。
「ユウト、あっち見て!」
リリが指差す先に──銀髪が揺れていた。
ミナが、静かに会場に現れた。
騎士団員たちがざわめく。
「剣聖様が……宴に?」
彼女は、誰とも目を合わせず、静かに歩いてくる。
でも、その瞳は──俺を、探していた。
ミナが、静かに会場に現れた。
騎士団員たちのざわめきが、少しずつ静まっていく。
彼女は、誰とも目を合わせず、ゆっくりと歩いてきた。
でも──その瞳は、俺を探していた。
「剣聖様、こちらへどうぞ」
団長が席を勧める。
ミナは頷き、団長の隣に座った。
俺は、少し離れた席から彼女を見ていた。
彼女の表情は、いつも通り無機質だった。
でも、グラスを手にした指先が、わずかに震えていた。
「ユウト、行ってきなよ」
リリが背中を押す。
「え、今!?」
「今しかないって。あんた、剣で心を揺らしたんでしょ?次は言葉だよ」
俺は、深呼吸して立ち上がった。
ミナの席へと歩いていく。
「……ミナさん」
彼女は、ゆっくりと俺を見た。
「あなたの剣、まだ覚えています」
「俺も、あなたの言葉を覚えています」
彼女は、少しだけ目を伏せた。
「……宴は、苦手です。騒がしい場所にいると、記憶が揺れる」
「でも、揺れる記憶の中に、俺がいたら──少しは楽になりませんか?」
ミナは、しばらく沈黙した。
そして、グラスを少しだけ掲げた。
「……では、あなたに。記憶に残る騎士に」
俺は、グラスを合わせた。
それは、剣ではなく──言葉で交わした、初めての“乾杯”だった。
騎士団の宴は続く。
でも、俺の中では──彼女の瞳に宿った微かな光が、何よりの祝福だった。
No.17『魔族の襲撃』
騎士団の宴から一夜明けた朝。
俺は、まだ夢の余韻の中にいた。
ミナとの乾杯。彼女の瞳に宿った微かな光。
それは、俺の記憶の中で何度も再生されていた。
「ユウト、起きて!緊急任務だって!」
リリの声が、寮の扉を突き破る勢いで響く。
「え、もう朝……って、緊急?」
「うん。村が襲われたって。魔族の痕跡があるらしい」
俺は跳ね起きた。
魔族──記憶を喰らう存在。
そして、ヴァル=ジークの残留記憶。
それらが、頭をよぎる。
騎士団本部では、すでに出撃準備が始まっていた。
団長の声が響く。
「今回の任務は、村の防衛と魔族の排除。だが、敵の目的は不明だ。油断するな」
俺たちは馬に乗り、村へと急行した。
道中、ミナは無言だった。
でも、その瞳は──何かを探していた。
「ミナさん、何か感じますか?」
「……記憶の乱れ。誰かが、強く“忘れようとしている”」
その言葉に、俺の背筋が冷えた。
村に到着すると、空気が異様に重かった。
家々は無傷。人々も無事。
でも──誰も、“昨日のこと”を覚えていなかった。
「昨日?……何かあったんですか?」
村人の言葉に、俺たちは顔を見合わせた。
魔族は、記憶を喰らう。
そして今──この村は、“昨日”を失っていた。
村人たちは、“昨日”を失っていた。
それは、魔族による記憶の襲撃。
そして今──その気配が、村の奥から漂っていた。
「ユウト、来るよ!」
リリが魔法陣を展開する。
俺は木剣を構え、ミナは静かに剣を抜いた。
茂みの奥から現れたのは、黒衣の魔族。
人間のような姿。
でも、その瞳には“空白”しかなかった。
「……記憶を、返せ」
俺は踏み込む。
魔族の剣が、空気を裂く。
俺はそれを受け止めながら、ミナの剣技を思い出す。
そして──自分の“覚醒した剣”で応じる。
「この剣は、記憶を守るためにある!」
一撃。
魔族の剣が弾かれ、黒い霧が舞う。
リリの魔法が炸裂し、魔族の動きが止まる。
ミナが、静かに前へ出る。
「……あなたは、誰を忘れようとしているのですか」
魔族は、答えなかった。
でも、その瞳に──一瞬だけ、涙のような光が宿った。
「ユウト、今!」
俺は剣を振る。
その軌道は、記憶と感情を乗せた一撃。
魔族の身体が霧に溶け、静かに消えていった。
村の空気が、少しだけ軽くなる。
そして──
「昨日のこと、思い出しました……」
村人の声が、震えていた。
記憶が、戻った。
それは、俺たちの剣と魔法が“記憶を守った”証。
ミナは、俺を見つめて言った。
「……あなたの剣は、記憶を断ち切るのではなく、繋ぎ止めるのですね」
俺は頷いた。
「俺は、誰かの記憶に残る騎士になりたいんです」
その言葉に、ミナは何も言わなかった。
でも、去り際──
彼女の背中は、確かに“少しだけ近づいていた”。
No.18『魔族の青年ヴァル=ジーク』
魔族の襲撃から数日。
村の記憶は戻り、騎士団は一時の安堵に包まれていた。
でも、俺の胸の奥には、あの魔族の瞳が焼きついていた。
空白のようで、どこか“涙”に似た光を宿していた。
「ユウト、団長が呼んでるよ。なんか、魔族の件で進展があったらしい」
リリの声に導かれ、俺は本部へ向かった。
団長室には、ミナとレイ副官、そして見慣れない男がいた。
黒髪。鋭い目。騎士団の制服ではない──
「紹介しよう。彼は、ヴァル=ジーク。魔族の青年だ」
空気が凍る。
「魔族……なのに、ここに?」
「彼は、記憶を喰らう者ではない。むしろ、“記憶を守る”魔族だ」
ヴァルは、静かに俺を見た。
「君が、記憶の剣を使った騎士か」
「……そうです。あなたは、あの村で……?」
「あれは、俺の同族の仕業だ。俺は止めようとしたが、間に合わなかった」
彼の声には、怒りでも悲しみでもない──“責任”があった。
ミナは、ヴァルを見つめていた。
その瞳に、わずかな揺らぎ。
「……あなたの記憶、見せてください」
ヴァルは頷き、手を差し出した。
その瞬間、空気が震えた。
俺たちは、彼の“記憶”の中へと引き込まれていった。
ヴァルの記憶に触れた瞬間、俺たちは光の中に包まれた。
見えたのは、かつての村。
魔族と人間が共に暮らしていた、短くも穏やかな時間。
子供たちの笑顔。歌う声。
そして、その中心に立っていたのが──ヴァルだった。
「俺は、記憶を守る魔族として生まれた。だが、同族の多くは“忘却”を選んだ」
彼の声が、記憶の中に響く。
「人間との共存は、記憶を共有することだった。だが、争いが始まり、記憶は武器になった」
ミナが、静かに言った。
「あなたは、記憶を守ることで、孤独になったのですね」
ヴァルは頷いた。
「俺は、誰かの記憶に残ることを望んだ。だが、魔族としてそれは“裏切り”だった」
俺は、彼の言葉に胸が締めつけられた。
ミナと同じだ。
記憶に残りたいと願いながら、孤独を選んだ者。
「ヴァルさん。俺たちは、あなたの記憶を受け取りました。だから、あなたはもう──一人じゃない」
ヴァルは、少しだけ目を見開いた。
そして、微かに笑った。
「……ありがとう。君の剣は、記憶を繋ぐ剣だ」
光が収束し、俺たちは現実へと戻った。
ミナは、ヴァルに向かって言った。
「あなたの記憶は、私の剣にも残りました」
それは、剣聖としてではなく──“記憶を抱く者”としての言葉だった。
ヴァル=ジーク。
魔族でありながら、記憶を守る者。
彼との出会いは、俺たちの物語を新たな段階へと導いていく。
No.19『主人公の失敗』
魔族の青年ヴァル=ジークとの邂逅は、俺の中に新たな問いを残した。
「守るって、なんだろう」
記憶を守る。感情を守る。人を守る。
それらは同じようでいて、まったく違う。
騎士団では、次の任務が発令された。
「ユウト、今回は単独任務だって。村の記憶障害の再調査」
「一人で?」
「うん。あんたの“記憶魔法”が鍵になるってさ」
俺は、少しだけ不安を覚えた。
でも、ミナの瞳に宿った“信頼”を思い出し、頷いた。
村に到着すると、空気は静かだった。
でも、違和感があった。
「……誰も、俺のことを覚えてない?」
村人たちは、俺を見ても“初対面”のような反応をする。
先週、魔族の襲撃を防いだはずなのに──その記憶が、消えていた。
俺は魔法陣を展開し、記憶の痕跡を探る。
すると、黒い靄が広がった。
「……魔族の残留記憶?」
俺は、靄の中心に踏み込んだ。
だが──その瞬間、魔法陣が暴走した。
光が弾け、俺の記憶が引きずり出される。
ミナの笑顔。剣の軌道。ヴァルの言葉。
それらが、靄に飲まれていく。
「……やばい、止まらない……!」
俺は、初めて“記憶を守る力”の制御に失敗した。
そして──村の空気が、再び“空白”に染まり始めていた。
村の空気が、再び“空白”に染まり始めていた。
俺の魔法が暴走し、記憶が霧に飲まれていく。
「止まれ……止まってくれ……!」
俺は必死に魔法陣を抑えようとする。
でも、記憶の奔流は止まらない。
ミナの笑顔。ヴァルの言葉。リリの声。
それらが、靄の中で揺れていた。
「ユウト!」
声が響いた。
振り返ると、ミナが立っていた。
彼女の剣が、静かに振るわれる。
銀の光が、魔法陣の暴走を断ち切った。
「……あなたは、記憶を守る者。ならば、まず自分の記憶を制御しなさい」
俺は、膝をついた。
「すみません……俺、失敗しました」
ミナは、しばらく沈黙した。
そして、静かに言った。
「失敗は、記憶に残る。だからこそ、意味がある」
その言葉に、俺は顔を上げた。
「……俺は、もう一度やり直します。記憶を守る騎士として」
ミナは頷いた。
そして、去り際──
「あなたの記憶は、私の中にも残りました」
それは、失敗の中に灯った──希望の言葉だった。
No.20『推しの涙』
騎士団本部に戻った俺は、報告書を書きながら、胸の奥に残る“失敗”の痛みを噛みしめていた。
魔法の暴走。記憶の喪失。
そして──ミナの剣によって救われたこと。
「……俺は、まだ未熟だ」
その言葉を、報告書の最後に書き添えた。
その夜、訓練場にミナの姿があった。
彼女は、いつものように剣を振っていた。
でも、その動きはどこか不安定だった。
「ミナさん」
俺が声をかけると、彼女は剣を止めた。
「……あなたは、なぜ記憶にこだわるのですか」
「それは……あなたが“記憶に残る存在になりたい”って言ったから」
ミナは、目を伏せた。
「あれは、過去の私の願い。今の私は、記憶に残ることを恐れています」
「どうして……?」
彼女は、しばらく沈黙した。
そして、ぽつりと呟いた。
「記憶に残るということは、誰かの心に“痛み”を残すことでもあるから」
その言葉に、俺は言葉を失った。
ミナは、静かに剣を収めた。
そして──
その瞳に、ひとすじの涙が光った。
ミナの瞳に、ひとすじの涙が光った。
それは、剣聖としての彼女が決して見せなかった“感情”だった。
「ミナさん……」
俺は、そっと一歩近づいた。
彼女は、涙を拭おうとせず、ただ静かに言った。
「私は、かつて“歌”で人々の記憶に残ろうとしました。でも、それは……誰かを傷つけることでもあった」
「傷つける……?」
「私の歌を聴いた人が、私を忘れられなくなった。記憶に縛られて、前に進めなくなった人もいた」
俺は、言葉を失った。
記憶に残ることは、必ずしも“美しい”だけではない。
それは、誰かの心に“痛み”として残ることもある。
「だから私は、剣を選びました。感情を捨て、記憶に残らない存在になるために」
その選択が、彼女を孤独にした。
でも──
「それでも、俺はあなたを覚えています。忘れたくない。あなたの歌も、剣も、涙も」
ミナは、初めて俺の目をまっすぐに見た。
そして、ぽつりと呟いた。
「……あなたは、記憶に優しい人ですね」
その言葉は、涙よりも深く、俺の胸に染み込んだ。
俺は、彼女の隣に立った。
剣を抜くでもなく、言葉を重ねるでもなく──ただ、そこにいることで。
それが、彼女の涙に寄り添う、俺なりの“騎士の誓い”だった。
No.21『推しの記憶の断片』
ミナの涙を見た夜から、俺の中で何かが変わった。
彼女は、記憶に残ることを恐れていた。
でも、俺は──彼女の記憶に触れたいと思った。
騎士団では、魔族との接触記録を整理する任務が始まっていた。
俺は、ヴァル=ジークの協力のもと、“記憶の断片”を解析する作業に加わった。
「この記憶、断片化してる。誰かの感情が強く干渉してるみたいだ」
ヴァルが、魔族の記憶結晶を指差す。
その中に、微かに聞き覚えのある旋律が流れていた。
「……これ、ミナの歌?」
ヴァルは頷いた。
「彼女の歌は、かつて魔族の村にも届いていた。記憶に残る歌として」
俺は、胸がざわついた。
ミナの歌が、魔族の記憶に刻まれていた。
それは、彼女自身が“忘れたい”と願った過去。
でも、誰かの心には、確かに残っていた。
「この断片、彼女に見せるべきかな……」
「それは、彼女の記憶を揺さぶることになる。だが、避けては通れない」
ヴァルの言葉に、俺は頷いた。
そして、ミナのもとへ向かう。
彼女の“記憶の断片”を、手にして。
ミナのもとへ向かう途中、俺の胸はざわついていた。
彼女の過去に触れること。それは、彼女の“封印”を揺さぶることでもある。
でも──避けては通れない。
「ミナさん、少しだけ……見てほしい記憶があります」
彼女は、静かに頷いた。
ヴァルから預かった記憶の断片を、魔法陣に展開する。
光が揺れ、旋律が流れる。
それは、かつてミナが歌っていた“記憶に残る歌”。
彼女の瞳が、わずかに揺れた。
「……これは……」
「魔族の村に届いていた歌です。あなたの声が、誰かの記憶を支えていた」
ミナは、目を伏せた。
「私は……その歌を、忘れたかった。誰かを傷つけた記憶だから」
「でも、誰かにとっては、救いだったかもしれない」
彼女は、しばらく沈黙した。
そして、ぽつりと呟いた。
「……あの頃の私は、誰かに届くことを信じていた。記憶に残ることを、誇りに思っていた」
その言葉は、過去の自分への赦しだった。
俺は、そっと言った。
「その気持ち、今も残ってるなら──俺は、受け止めたいです」
ミナは、魔法陣の光を見つめながら、静かに微笑んだ。
それは、断片の中に宿っていた“推しの本当の記憶”が、少しだけ戻った瞬間だった。
No.22『魔族の言葉』
ミナの記憶の断片に触れたことで、彼女の過去が少しずつ輪郭を持ち始めた。
でも、それは同時に──魔族との記憶の交差が深まる兆しでもあった。
騎士団では、ヴァル=ジークの提案により、魔族との“対話”の場が設けられることになった。
「対話って……敵と話すのか?」
「いや、敵じゃない。記憶を守る者同士として」
ヴァルの言葉は、静かで力強かった。
俺とミナ、そして数名の騎士団員は、指定された廃村跡へ向かった。
そこには、黒衣の魔族が一人、待っていた。
彼の名は──ゼル。
「我々は、記憶を喰らう者ではない。記憶に宿る“痛み”を、消すために動いている」
その言葉に、ミナの瞳が揺れた。
「痛みを消す……それは、記憶を奪うことでは?」
「違う。痛みを“言葉”に変えることだ」
ゼルは、手を差し出した。
その掌に浮かんだのは、誰かの記憶の断片。
そこには、ミナの歌が流れていた。
「この歌は、かつて私の同胞を救った。だが、同時に──彼を孤独にした」
その言葉に、ミナは息を呑んだ。
記憶は、癒しにもなり、呪いにもなる。
そして今──魔族の言葉が、彼女の心を揺らし始めていた。
ミナの瞳が揺れていた。
魔族ゼルの言葉──「痛みを言葉に変える」──それは、彼女の過去と深く響き合っていた。
「あなたの歌は、記憶に残った。だが、それは同時に“孤独”を生んだ」
ゼルの声は、静かで、どこか優しかった。
ミナは、剣の柄を握りしめたまま、言った。
「私は、誰かの心に残ることを望んだ。でも、残ったのは痛みだった」
「それでも、記憶に残ることを恐れない者がいる。君の隣にいる騎士のように」
ゼルの視線が、俺に向けられる。
俺は、まっすぐにミナを見た。
「俺は、あなたの記憶に残りたい。たとえそれが痛みでも、あなたの孤独を分け合えるなら」
ミナは、目を伏せた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……あなたの言葉は、痛みを優しさに変えるのですね」
その言葉は、ゼルの言葉への応答でもあり、俺への赦しでもあった。
ゼルは、静かに立ち上がった。
「記憶は、奪うものではない。分かち合うものだ。そう信じる者がいる限り、我々魔族にも道はある」
その言葉を残し、彼は霧の中へと消えていった。
ミナは、剣を収めた。
そして、俺に向かって言った。
「……あなたと話すと、記憶が少しだけ、優しくなります」
それは、“魔族の言葉”が彼女の心に届いた証だった。
No.23『推しの過去の夢』
ミナの記憶の断片に触れたことで、彼女の心に少しずつ“揺らぎ”が生まれていた。
それは、剣聖としての冷静さではなく──かつて“夢を語った少女”としての面影だった。
「ユウト、ミナさんが資料室にこもってるって。昔の記録を調べてるみたい」
リリの言葉に、俺は胸がざわついた。
資料室。そこには、騎士団に入る前の記録も残されている。
俺は静かに扉を開けた。
ミナは、古い紙束を前に座っていた。
「……ミナさん」
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、どこか遠くを見ていた。
「私は、かつて“歌で世界を変えたい”と思っていました」
その言葉は、まるで夢の残響のようだった。
「でも、誰かの記憶に残ることは、時にその人を縛る。だから私は、歌を捨てた」
彼女の手元には、古びた楽譜があった。
そこには、見覚えのある旋律──俺が記憶の断片で聞いた“あの歌”が記されていた。
「この歌は、私の“過去の夢”です。誰にも聞かせるつもりはありませんでした」
でも、彼女はその楽譜を俺に差し出した。
「……あなたなら、覚えていてもいいかもしれません」
それは、彼女が初めて“夢を共有した”瞬間だった。
ミナが差し出した楽譜──それは、彼女がかつて世界に届けようとした“夢”だった。
俺は、その旋律を目で追いながら、静かに口ずさんだ。
音程は不確かだったかもしれない。
でも、そこに込めたのは──彼女の夢への敬意だった。
ミナは、驚いたように俺を見つめていた。
「……その歌、覚えていたのですか?」
「断片の記憶で聞いたとき、心に残ったんです。だから、忘れたくなかった」
彼女は、目を伏せた。
そして、ぽつりと呟いた。
「あの頃の私は、誰かに届くことを信じていた。今は……届くことが怖い」
「でも、届いた先に“優しさ”があれば、怖くないと思います」
ミナは、しばらく沈黙した。
そして、楽譜を手に取り、もう一度見つめた。
「……この歌、もう一度だけ歌ってみようかしら」
その言葉は、彼女が“過去の夢”に再び触れようとする決意だった。
俺は、そっと頷いた。
それは、剣ではなく──歌で記憶を繋ぐ、彼女の新たな一歩だった。
No.24『主人公の決意』
ミナが“過去の夢”に触れたあの日から、俺の中でも何かが変わり始めていた。
彼女は、歌を通して誰かに届こうとしていた。
そして今、俺は──剣を通して、彼女に届きたいと思っていた。
騎士団では、次の任務が告げられた。
「魔族の残留痕跡が、北の峡谷に現れた。調査班を編成する」
俺は、迷わず手を挙げた。
「俺に行かせてください」
団長は少し驚いた顔をした。
「単独での調査になるぞ。危険もある」
「それでも、行きます。俺は、記憶を守る騎士として──この世界の“痛み”に触れたい」
その言葉は、誰かのためではなく、自分自身の“決意”だった。
ミナは、何も言わずに俺を見つめていた。
でも、その瞳には、わずかな“信頼”が宿っていた。
俺は、剣を背負い、記憶結晶を携えて、北の峡谷へと向かった。
そこには、まだ誰も知らない──“魔族の真実”が眠っている気がした。
北の峡谷は、静かだった。
でも、その静けさの奥に──記憶のざわめきがあった。
俺は、魔族の痕跡を探しながら、記憶結晶を展開する。
すると、空気が震え、黒い靄が現れた。
「……また、記憶の残滓か」
俺は剣を構えた。
靄の中に、誰かの声が響く。
「守ることは、忘れることではない。痛みを抱えたまま、前に進むことだ」
その声は──ヴァルのものだった。
彼の記憶が、ここにも残っていた。
俺は、剣を振る。
それは、誰かの記憶を断ち切るためではなく、繋ぎ止めるための一撃。
靄が晴れ、記憶結晶が静かに光る。
その中に、ミナの歌が微かに流れていた。
「……俺は、彼女の記憶を守る。誰かの痛みを、優しさに変える騎士になる」
その言葉は、誰に向けたものでもない。
でも、空気が応えるように、風が吹いた。
俺は、剣を収めた。
そして、騎士団へ戻る道を歩きながら、胸に誓った。
“推しの記憶”を守ること──それが、俺の騎士としての決意だった。
No.25『魔族の罠』
北の峡谷から戻った俺は、騎士団本部で報告を終えたあと、静かに剣を磨いていた。
“記憶を守る”という決意は、俺の中で確かなものになっていた。
でも──その決意を試すような事件が、すぐに起きた。
「ユウト、緊急だよ。南の村で、騎士団員が行方不明になったって」
リリの声は、焦りを含んでいた。
「魔族の痕跡は?」
「ある。でも、奇妙なの。痕跡は“記憶の改ざん”じゃなく、“記憶の誘導”だった」
誘導──つまり、誰かの記憶を操作して、特定の場所へ導く。
それは、魔族の中でも高度な術。
俺とミナ、そしてリリは、南の村へ向かった。
村は静かだった。
でも、空気が妙に澄みすぎていた。
「……記憶が、整いすぎてる」
ミナの言葉に、俺は背筋が冷えた。
まるで、誰かが“見せたい記憶”だけを並べているような──そんな違和感。
そして、村の広場に足を踏み入れた瞬間。
魔法陣が発動した。
「罠だ、下がって!」
でも、遅かった。
光が弾け、俺たちはそれぞれ“違う記憶の空間”へと引き込まれていった。
光が弾け、俺たちはそれぞれ“違う記憶の空間”へと引き込まれていった。
目を開けると、そこは見覚えのある場所だった。
騎士団の訓練場──でも、どこか違う。
「……これは、俺の記憶?」
ミナとの初戦。失敗。焦り。
そのすべてが、鮮明に再現されていた。
でも、違和感があった。
ミナが、俺を責める言葉を投げていた。
「あなたは、誰の記憶にも残らない。無価値な騎士」
そんなこと、彼女は言わなかった。
「これは……偽りの記憶だ」
魔族の罠。記憶を改ざんし、心を揺さぶる。
俺は、剣を抜いた。
「俺は、ミナさんの言葉を覚えてる。だから、これには屈しない!」
剣を振る。
空間が軋み、偽りの記憶が崩れていく。
そして──光が差し込み、俺は現実へと戻った。
リリも、ミナも、それぞれの記憶空間から脱出していた。
ミナは、静かに言った。
「……記憶を操る罠。魔族の術は、ますます巧妙になっている」
俺は頷いた。
「でも、俺たちには“本物の記憶”がある。それを信じれば、罠には負けない」
ミナは、少しだけ微笑んだ。
それは、偽りに打ち勝った者だけが見せる──確かな“絆”の証だった。
No.26『推しの本音』
魔族の罠を突破したあの日から、ミナの様子が少しだけ変わった。
彼女は、以前よりも“言葉”を選ぶようになった。
それは、感情を隠すためではなく──誰かに届いてしまうことを恐れているようだった。
「ミナさん、最近……少し距離を取ってませんか?」
俺の問いに、彼女は静かに目を伏せた。
「……あなたの言葉が、私の記憶を揺らすから」
その答えは、拒絶ではなかった。
むしろ、彼女の“本音”が滲んでいた。
騎士団の訓練場。
夕暮れの光の中で、彼女は剣を振っていた。
俺は、そっと隣に立った。
「俺は、あなたの記憶に残りたい。でも、それがあなたを苦しめるなら──どうすればいいか、わからない」
ミナは、剣を止めた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……私は、誰かに“残される”ことが怖いのです」
その言葉は、彼女の過去に触れる“本音”だった。
「……私は、誰かに“残される”ことが怖いのです」
ミナの言葉は、静かに夜の空気に溶けていった。
それは、彼女がずっと隠してきた“本音”だった。
「残されるって……」
「記憶に残るということは、誰かが私を思い続けるということ。
でもその人が、私を置いて前に進んでしまったら──私は、そこに取り残される」
俺は、言葉を失った。
彼女の強さの裏に、そんな孤独があったなんて。
「だから私は、誰の記憶にも残らないようにしてきた。
そうすれば、誰かを傷つけることも、傷つくこともないから」
俺は、そっと言った。
「でも、俺は残したい。あなたの中に、俺の記憶を」
ミナは、目を伏せたまま、しばらく沈黙した。
そして、ぽつりと呟いた。
「……あなたなら、残ってもいいかもしれません」
その言葉は、彼女が初めて“誰かを受け入れようとした”証だった。
俺は、剣を握りしめた。
それは、彼女の本音に応えるための──騎士としての覚悟だった。
No.27『主人公の成長』
騎士団の朝は早い。
まだ陽が昇りきらない時間、訓練場には剣の音が響いていた。
俺は、ひとりで木剣を振っていた。
ミナの剣技。ヴァルの言葉。魔族の罠。
それらすべてが、俺の中で“記憶”として刻まれていた。
でも、それだけでは足りない。
「俺は、守れる騎士にならなきゃいけない」
誰かの記憶に残るだけじゃなく、誰かの“未来”を守れる存在に。
剣を振るたび、過去の自分が剥がれていくような感覚があった。
「ユウト、朝から熱心だね」
リリが、笑いながら水筒を差し出してくれた。
「ありがとう。ちょっと、考え事してて」
「考え事?ミナさんのこと?」
「……それもあるけど、もっと広い意味で」
リリは、俺の顔をじっと見た。
「あんた、変わったね。前は“推しに近づきたい”ってだけだったのに、今は“誰かを守りたい”って顔してる」
その言葉に、俺は少しだけ照れた。
「……そうかも。でも、守るって難しいよな」
「うん。でも、あんたならできるよ。だって、あたしの記憶にも、ちゃんと残ってるもん」
その言葉は、何よりの励ましだった。
午後、団長から新たな任務が告げられた。
「ユウト、次の任務は“新人騎士の指導”だ。お前に任せたい」
「え、俺が……?」
「お前は、記憶を通して学び、乗り越えてきた。その経験は、他の者にも伝えられるはずだ」
俺は、深く頷いた。
それは、“成長”を認められた瞬間だった。
新人騎士たちは、緊張した面持ちで訓練場に集まっていた。
「よろしくお願いします、ユウト先輩!」
先輩──その言葉に、背筋が伸びる。
俺は、剣を構えながら言った。
「剣は、技術だけじゃない。記憶と感情が乗る。だから、誰かのために振るうとき、強くなる」
新人たちは、真剣な目で俺を見ていた。
その視線に、俺は応えた。
それは、かつて“推しに憧れていた少年”が──“誰かの背中を支える騎士”へと変わっていく瞬間だった。
新人騎士たちとの訓練は、予想以上に厳しかった。
剣の技術だけでなく、記憶魔法の扱い方、心の揺らぎへの対処──
彼らは、かつての俺と同じように、迷いながら剣を振っていた。
「ユウト先輩、どうしてそんなに落ち着いていられるんですか?」
ある新人が、訓練の合間にそう尋ねてきた。
俺は、少しだけ笑って答えた。
「落ち着いてなんかないよ。ただ、俺は“誰かの記憶に残る”ってことが、どれだけ重いかを知ったから」
その言葉に、新人たちは静かに頷いた。
夕方、訓練を終えた俺は、ひとりで資料室へ向かった。
そこには、ミナがいた。
彼女は、古い剣術書を手にしていた。
「……新人たちの指導、うまくいってるようですね」
「うん。まだまだだけど、俺なりに伝えようとしてる」
ミナは、剣術書を閉じて俺を見た。
「あなたの剣は、変わりましたね。以前は“模倣”だった。今は、“信念”がある」
その言葉は、俺にとって何よりの評価だった。
「ミナさん。俺、あなたに教わったこと、全部覚えてます。剣の軌道も、言葉も、沈黙も」
ミナは、少しだけ目を伏せた。
「……それは、私の“過去”を抱えているということでもあります」
「はい。でも、俺はその過去を否定しません。むしろ、誇りに思ってます」
彼女は、静かに立ち上がった。
そして、剣を手に取った。
「では、見せてください。あなたの“成長した剣”を」
俺は、深く頷いた。
訓練場に戻り、ふたりは向かい合った。
木剣を構える。
風が吹く。
そして──
「始め!」
剣が交差する。
それは、かつての模倣ではない。
俺自身の記憶と感情が乗った、“成長の証”だった。
ミナの剣が、俺の剣に押される。
彼女は、わずかに目を見開いた。
「……あなたの剣、優しくなりましたね」
「はい。誰かを傷つけるためじゃなく、誰かを守るために振るってます」
その言葉に、ミナは微笑んだ。
それは、剣聖ではなく──“天音ミナ”としての笑顔だった。
俺は、その笑顔を胸に刻んだ。
それが、俺の“成長”の証だった。
No.28『推しとの共闘』
騎士団本部にて、緊急任務の報が届いた。
「西方の境界森にて、魔族の活動が活発化。記憶障害が広域に発生している」
団長の声は重かった。
「今回は、特別編成で対応する。ユウト、ミナ──お前たちに前線を任せる」
俺は、思わずミナの方を見た。
彼女は、静かに頷いていた。
それは、剣聖としての覚悟ではなく──“共闘者”としての応答だった。
「……よろしくお願いします、ミナさん」
「こちらこそ。あなたの剣、見せてください」
馬を走らせ、境界森へ向かう道中。
風が冷たく、空は曇っていた。
ミナは、馬上で地図を見ながら言った。
「この森は、かつて魔族と人間が共存していた場所。記憶の層が複雑に絡んでいる」
「じゃあ、魔族の術が強く働く可能性があるってことか」
「ええ。だからこそ、あなたの“記憶魔法”が必要になる」
俺は、深く頷いた。
境界森に入ると、空気が変わった。
音が吸い込まれるように静かで、足元の草が記憶の残滓のように揺れていた。
「……誰かの記憶が、ここに染みついてる」
ミナは剣を抜いた。
「気をつけて。魔族は、記憶を“幻”として具現化することがある」
その言葉の直後、霧が立ち込めた。
そして、目の前に──かつての騎士団員の姿が現れた。
「あれは……亡くなったはずの……」
「幻です。記憶の残像。でも、斬らなければ進めない」
ミナが踏み込む。
俺も剣を構え、幻影の騎士と対峙した。
その剣の軌道は、かつての訓練で見たものと同じだった。
「記憶が、再現されてる……!」
俺は、剣を交わしながら叫んだ。
「ミナさん、記憶の流れを断ち切るには、あなたの剣と俺の魔法を同時にぶつける必要がある!」
「了解。タイミングは任せます」
俺は、魔法陣を展開した。
記憶の波が渦巻く中、ミナの剣が光を纏う。
「今だ──!」
剣と魔法が交差し、幻影が霧散する。
空気が、少しだけ澄んだ。
そして、ミナが言った。
「……あなたとなら、記憶の深層にも届けるかもしれませんね」
その言葉は、共闘者としての信頼の証だった。
境界森の奥へ進むにつれ、空気はさらに重くなっていった。
記憶の残滓が濃くなり、幻影の密度も増していく。
俺とミナは、何度も剣を交えながら進んだ。
それは、ただの戦闘ではなかった。
互いの動きが自然に噛み合い、剣と魔法が交差するたびに、記憶の霧が晴れていく。
「ユウト、左から来る!」
「任せて!」
俺は魔法陣を展開し、記憶の幻影を封じる。
ミナの剣がその隙を突いて、霧を断ち切る。
その連携は、言葉よりも速く、確かだった。
そして、森の最深部に辿り着いたとき──空間が歪んだ。
地面が揺れ、空が裂ける。
そこに現れたのは、魔族の長──“記憶喰い”の本体だった。
黒い外套に包まれ、顔は霧に覆われていた。
だが、その存在感は圧倒的だった。
「……来たか、人間の記憶守りどもよ」
声は、耳ではなく、脳に直接響くような感覚だった。
ミナは、剣を構えた。
「あなたが、記憶を歪めている張本人ですね」
「歪めている?違う。私は、記憶の“痛み”を喰らっているだけだ。人間が捨てたがっているものを、私が引き受けている」
その言葉に、俺は怒りよりも、哀しみを感じた。
「でも、それは誰かの“生きた証”なんだ。痛みも、後悔も、忘れてはいけない記憶だ」
魔族は、静かに笑った。
「ならば、証明してみせろ。記憶を守る剣と魔法が、私の“喰らう力”に勝てるかどうか」
空間が崩れ、記憶の奔流が押し寄せる。
俺は、魔法陣を最大展開。
ミナは、剣に記憶結晶を装填した。
「ユウト、合わせるわよ」
「了解!」
魔族の腕が伸び、記憶の渦が俺たちを飲み込もうとする。
その瞬間──
「今だ!」
ミナの剣が、記憶の核を貫き、俺の魔法がその断面を封じる。
光が爆ぜ、霧が晴れる。
魔族の身体が崩れ、記憶の奔流が静かに収束していく。
そして、最後に残ったのは──一片の記憶結晶。
ミナがそれを拾い、そっと手のひらに包んだ。
「……これは、誰かが忘れたかった記憶。でも、誰かが覚えていた記憶」
俺は、彼女の横顔を見つめながら言った。
「俺たちは、記憶を選ぶことはできない。でも、守ることはできる」
ミナは、静かに頷いた。
それは、“推しとの共闘”が、ただの任務ではなく──ふたりの記憶を繋ぐ戦いだった証だった。
No.29『騎士団の評価』
境界森での共闘から数日後、騎士団本部は異様な静けさに包まれていた。
魔族の長との交戦記録が整理され、各部隊の動きが再評価される時期だった。
俺とミナの共闘は、記録班によって詳細に報告されていたらしい。
「ユウト、団長が呼んでるよ。評価会議に出席してほしいって」
リリの声に、俺は少しだけ緊張した。
騎士団の評価会議──それは、騎士としての“立ち位置”が決まる場でもある。
本部の会議室に入ると、団長、副団長、戦術班長、記録班長が揃っていた。
そして、その中央にミナが座っていた。
「ユウト・アマギ。境界森任務における行動記録、並びに魔族の長との交戦結果について、報告を受けた」
団長の声は、いつもより硬かった。
「君の魔法陣展開速度、記憶干渉の精度、剣との連携──いずれも高水準だ。だが、それ以上に注目すべきは“判断力”だ」
俺は、静かに頷いた。
「君は、幻影に惑わされず、記憶の真偽を見抜いた。それは、騎士団でも稀な資質だ」
ミナが、口を開いた。
「彼の剣は、感情に流されず、記憶に寄り添う。それは、私がかつて失ったものでもある」
その言葉に、会議室が静まり返った。
ミナが、誰かを“評価”することは滅多にない。
団長は、書類をめくりながら言った。
「よって、ユウト・アマギを“記憶戦術班”の副班長候補として推薦する」
「え……副班長?」
驚きと戸惑いが、同時に胸を突いた。
俺はまだ新人で、剣も魔法も未熟だと思っていた。
でも、記憶の中で戦い、誰かの痛みに触れた経験が──評価されたのだ。
「推薦は仮決定だ。今後の任務で、さらに適性を見極める」
ミナは、俺を見つめて言った。
「あなたは、記憶に残る騎士ではなく、“記憶を導く騎士”になれるかもしれません」
その言葉は、かつての“推し”からの──新たな期待だった。
評価会議の翌日、俺は騎士団の中庭でひとり、剣を磨いていた。
副班長候補──その肩書きは、まだ俺には重すぎる気がしていた。
でも、ミナの言葉が胸に残っていた。
「記憶に残る騎士ではなく、記憶を導く騎士」
それは、憧れではなく、責任のある立場への“変化”だった。
「ユウト、ちょっといい?」
声をかけてきたのは、戦術班の副官・レイだった。
彼は、俺よりも年上で、冷静沈着なことで知られている。
「次の任務、君に新人班の指揮を任せたい。記憶障害が発生した村への再調査だ」
「俺が……指揮を?」
「君の判断力と、記憶魔法の応用力は、現場で活きる。それに、ミナが君を推薦している」
その言葉に、胸が熱くなった。
ミナが、俺を“戦術の中核”として見てくれている。
それは、かつての“推し”との距離を超えた、信頼の証だった。
村への再調査は、予想以上に難航した。
村人たちは、断片的な記憶しか持っておらず、過去の出来事が曖昧だった。
「この村、何か“記憶の改ざん”が起きてる。しかも、自然発生じゃない」
俺は、魔法陣を展開し、記憶の流れを解析した。
すると、ある一点に“記憶の歪み”が集中していることに気づいた。
「ここだ。村の広場の井戸。記憶の核が埋められてる」
新人たちは驚きながらも、俺の指示に従って動いた。
井戸の底から出てきたのは、古びた記憶結晶。
それは、かつて村を守った騎士の記憶だった。
でも、その騎士は──魔族との共闘を選び、騎士団を離れた者だった。
「この記憶、騎士団では“裏切り”とされていた。でも、村人にとっては“救い”だった」
俺は、結晶を手に取り、静かに言った。
「記憶は、誰が語るかで意味が変わる。だからこそ、俺たちは“導く”必要がある」
任務を終え、本部に戻ると、団長が待っていた。
「よくやった、ユウト。君の報告は、騎士団の“記憶の扱い方”そのものを問い直すものだった」
ミナも、静かに頷いていた。
「あなたの剣は、記憶を断罪するのではなく、理解しようとする。
それは、騎士団にとって新しい価値です」
その言葉に、俺は深く頭を下げた。
騎士団の評価──それは、肩書きではなく、“記憶にどう向き合うか”で決まるものだった。
そして今、俺はその評価に、ようやく応えられる騎士になり始めていた。
No.30『村を守る魔族の終幕』
「西方の村にて、魔族の活動が確認された。だが、敵意はなく、村人を守っているという報告がある」
騎士団本部に届いたその報告は、これまでの常識を覆すものだった。
魔族が人間の村を守る──それは、騎士団にとって“矛盾”であり、“脅威”でもあった。
「ユウト、ミナ。君たちに調査を任せたい。だが、今回は“交戦前提”ではない。記憶の真偽を見極めろ」
団長の言葉に、俺とミナは頷いた。
馬を走らせ、村へ向かう道中。
ミナは、静かに言った。
「魔族が守る村……それが事実なら、私たちの剣は、何を守るべきかを問われることになる」
「記憶のために戦うってことは、誰かの“過去”を否定することにもなるからな」
村に到着すると、そこは静かで、穏やかだった。
だが、村の外縁には、魔族の気配があった。
そして──その中心に立っていたのは、ヴァル=ジークだった。
黒衣をまとい、瞳は鋭く、だがどこか悲しげだった。
「来たか、人間の騎士たちよ」
ミナは、剣を抜かずに言った。
「あなたが、この村を守っているのですか」
「守っている?……違う。俺は、ここに“残っている”だけだ」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
ヴァルは、かつて人間だった。
だが、差別と迫害により魔族化し、騎士団から追われた過去を持つ。
「この村は、俺が人間だった頃に唯一、俺を受け入れてくれた場所だ。
だから、俺はこの村の記憶を守る。たとえ、魔族としてでも」
ミナの瞳が揺れた。
「あなたは、騎士団の任務を妨害してきた。記憶の改ざんも行った。
それでも、この村を守る理由は──“過去”ですか」
ヴァルは、静かに頷いた。
「俺の過去は、誰にも理解されない。だが、この村の子供たちは、俺に歌を教えてくれた。
その歌が、俺の“魔族の記憶”を変えた」
俺は、ミナの顔を見た。
彼女は、わずかに目を伏せていた。
「……その歌、私が教えたものかもしれません」
ヴァルの瞳が、わずかに揺れた。
「そうか……あの旋律は、優しかった。
俺の憎しみを、少しだけ忘れさせてくれた」
だが、その瞬間──村の外から魔族の暴走体が現れた。
ヴァルが守っていた結界が破られ、村が危機に晒される。
「ミナ、行こう!」
「了解!」
俺とミナは、剣と魔法を構え、暴走体に立ち向かった。
ヴァルも、最後の力を振り絞って結界を再展開する。
それは、三者の“共闘”だった。
そして──この村の記憶を守るための、最後の戦いが始まった。
暴走体の咆哮が、村の空を裂いた。
俺とミナは、剣と魔法で応戦しながら、ヴァルの結界を守るように動いた。
「ユウト、右側の魔力流れが乱れてる!」
「任せて!」
魔法陣を再展開し、記憶の流れを安定させる。
ミナの剣が、暴走体の核を狙い、ヴァルの魔力がそれを封じる。
三者の連携は、言葉を超えていた。
だが──ヴァルの魔力は限界に近づいていた。
彼の身体は、霧のように揺らぎ始めていた。
「……俺の魔族化は、記憶を守るために選んだ道だ。
でも、もう長くは持たない」
ミナが、剣を収めて言った。
「あなたの記憶は、私たちが引き継ぎます。
騎士団としてではなく──人として」
ヴァルは、静かに微笑んだ。
「あの村の子供が教えてくれた歌。
あれが、俺の憎しみを少しだけ溶かしてくれた。
それが、あなたの歌だったとはな」
ミナの瞳が揺れた。
そして、彼女はそっと歌い始めた。
その旋律は、風に乗って広がり、村の空を包んだ。
ヴァルは、目を閉じた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……俺の村を、忘れないでくれ」
その言葉とともに、彼の身体は霧に還った。
村人たちは、沈黙の中で祈りを捧げていた。
ミナは、歌を終えたあと、静かに言った。
「彼は、敵ではなかった。
彼は、記憶を守る者だった」
俺は、彼女の横顔を見つめた。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
でも、微笑んでいた。
それは、“推しの笑顔”だった。
だが、その裏で──敵は泣いていた。
誰にも知られず、誰にも記憶されず。
それでも、誰かを守るために戦った魔族の青年。
俺は、剣を地面に突き立て、静かに誓った。
「ヴァル=ジーク。あなたの村の記憶は、俺が守る」
それが、騎士としてではなく──“人間としての誓い”だった。
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