第5話 侵略の兆し
翌日の昼下がり、バルトは挑戦者達の集まる訓練場兼酒場に来ていた。
流石はルリアルト。真っ昼間から酒を呷っている者は夜勤明けや非番の者だけのようで、訓練をしながら酒に酔ってる者はおらず、如何にこの街の住人が真面目なのかがよくわかる。
慧族に獣族、ドワーフ族にエルフ族、あらゆる種族が和気藹々としていることがどうにも新鮮だった。
酒飲み以外は、併設されている訓練場で稽古に励むそれぞれの挑戦者達の戦い方に、あーだこーだと口を挟んでいた。
カウンターに寄るとバルトはマスターにルリアから貰った銀貨を渡し、腕自慢の稽古相手を見繕ってもらう。
「どうする、ゴダン?」
マスターと話していたゴダンというドワーフがバルトの腰に下げられた剣を見て「俺ぁコイツに賭けるぞぃ」と金貨を一枚マスターに渡す。
マスターの目が大きく見開かれた。
「あんた、勝てたら何がほしい?」
「いや、俺は調整したくてな。欲しいものは特にない」
「ゴダン、お前は?」
「その兄ちゃんの武具のメンテナンス権利を、俺が貰うぜ」
どうやらこのゴダンは鍛冶師のようでバルトの腰に下げられた剣が超一級品であることを即座に見抜いた。それだけでも腕利きの鍛冶屋ということがわかる。
バルトはこの二人が何を話しているのかわかっていなかったが、武具のメンテナンス職人として『鍛冶屋のゴダン』の名前は覚えておこうと思った。
マスターに言われるがままに訓練場の中で待っているとじきにマスターの声が響いた。
「そこの剣だけ下げてるのは新入りだ! 腕自慢を要望してる! 我こそはってやつは相手をしてやってくれぃ!」
酒場にいた者も、訓練中の者も、マスターのその声にバルトを舐め回すように見入る。
すぐに「報酬は!?」と叫ぶ声が飛ぶと、
「そいつに勝てたら1週間の酒代はいらねぇぞ! 参加費は銀貨1枚だ!」
マスターの返答に我も我もと席を立ち始めた。
すでに酒が入ってる者達は参加できないことに不満を垂らしながらも面白いことが始まったと意気揚々だ。
「いやいや、みんな腕自慢かよ」
ぞろぞろとバルトを囲む三十人程の挑戦者達にバルトは思わず舌舐めずりをする。
「流石に全員同時でなんかやらねぇから安心しな」
「ん、そうなのか?」
「ったりめーだろ、そんな雑魚がやる私刑みたいなこと。で、あんた、何人までやりたい? 魔法士もありか?」
「構わない。人数は体力が続く限りって感じだな。今ここにいる全員を相手に出来るくらいは鍛えてきた自信があるが、ブランクがあるからどうだかって感じか」
バルト自身はあまりブランク感はないのだが、一応、千年経過しているのだ。
思わぬところで感覚が鈍っているかもしれない。
それを確かめるためのこの場である。
「わかった、じゃあ下からいくか。魔法士もありで。切断を治癒できる奴ぁいねぇから、真剣じゃなく木剣使えよ」
そう言って投げ渡される木剣。
仕切り始めたのはどうやらこの場でも上位に入る者なのだろう。
誰も文句を言う者はいなかった。
「わかった。遠慮なく、よろしく頼む」
――そして半刻もすぎる間もなく、騒ぎ声は酒飲み達の声しか聞こえなくなっていた。
ゴダンの笑い声が特に大きい。
挑戦者達は、地べたに伏せたり座り込んだり皆様々だが、全員がバルトに一太刀も浴びせられずに終わることとなった。
しかもバルトは渡された木剣を振るうこともなく、だ。
「あんた、何者だよ……俺はここに来る前はAランクだったんだぜ。その俺が全くついていけないスピードで、体術だけでやられるなんてよ」
場を仕切っていた厳つい男が信じられないものを見たと呆れている。
バルトが『調整』として披露したのは、瞬間的に速度を上げ、その速度に更に気を練り込んだ拳打や脚撃だ。
それが魔法を使えないバルトが鍛錬で身に付けた技――気術だった。
冒険者の中でも、気術で成り上がった者は多くはない。
バルトの時代においても、男の言うAランクには数えるほどしかいなかった。
Aランクというのは冒険者ランクのことだが、冒険者の制度も特段千年の間、大きな変化はないらしい。
「似たようなもんさ。俺も元Aランクだよ」
Aランクに上がり、その先のSランクになると色々と国家レベルのしがらみが増えることに嫌気がさして冒険者ギルドから離れたのだ。
Sランク昇格クエストも誰もが文句なく認める功績が必要というぼんやりとした基準だったことも引退しようと思った理由でもある。
Sランクになって喜ぶのは、名誉に拘る者や国に貢献して貴族を目指す者くらいだろう。
どちらも、バルトにとっては不要なものだった。
同じような冒険者も多々いたため、自由を望む冒険者は敢えてSランクを目指さない者も多い。
故に同じAランクでも実力差は大きかったりもするのだ。
「てことはSSランクか。世界は広いな」
「SSランク?」
バルトは聞いたことのないランクに問い返す。
「あ、知らねぇのか?」
「すまん」
「別に謝ることじゃねぇ。SSランクは非公式ランクだからな」
男が言うには、Aランク冒険者が遥かに及ばず、また、Sランクでもなく、その強さを表にあまり出さずにひっそりと生きている冒険者を指すらしい。
しかしそれはギルド公式のランクではなく、対峙したAランク冒険者達の中で自然と根付いた考え方だった。
「完全にお手上げだ。見事だった。俺はラミアス」
そう言って手を差し出してくるラミアスの手を握る。
「バルトだ。調整を手伝ってくれて感謝する」
「本当に役に立てたか?」
「あぁ、十分だよ。ありがとう」
汗ひとつかいていないバルトに苦笑いするラミアス。
周囲の挑戦者達もその様子に顔が引き攣っていた。
「あと、聞きたいことがあるんだが」
「おぅ。何でも聞いてくれよ、大将」
「大将?」
「俺らの中で絶対に一番なんだ、大将って呼ばせてくれよ」
「大将はルリアじゃないのか?」
バルトの言葉に、ラミアスの目の色が変わる。
「ルリア『様』もしくは『女神様』な!!」
「え…えぇ…」
猛烈な剣幕に思わずたじろぐ。
家族であるルリアを様付けするのは距離を感じるし嫌だったが、家族がどうのと説明する方が面倒くさいことになりそうだったので、ラミアスを落ち着かせるためにも言われる通りにしようと思った。
「女神様が大将じゃないのか?」
「あの方の代名詞は女神一択さ。大将なんて呼び方したら失礼極まりないぜ」
ラミアスは恍惚とした表情で天井を仰ぐ。
かなり心酔している。それだけルリアがこの街の住人に慕われているという証だ。
バルトはそれを誇らしく感じ、自分もまたルリアにとってそうありたいと思うのだった。
「それで大将、なんだよ聞きたいことって」
もはや大将という呼び名をやめさせることも面倒くさく、そのまま流す。
「あ、あぁ……森のダンジョンの中は、他のダンジョン同様、金になるものがあると思っていいのか?」
挑戦者達はダンジョンに潜ることしかしていないように見える。
にも関わらずこのルリアルトで生活が出来ている。
それはつまり、他のダンジョン同様、魔石やら素材が取れるということだ。
「あぁ。表層でも十分だ。そこから更に潜ろうとは思えないレベルで中層以下は魔物が凶暴だ」
「ってことは潜るほどに期待できそうだな、ありがとう」
せっかく潜るのだから、ルリアへの借りを返す算段もつけておかねばならないと思っていたが、これならどうやら問題ない。
「な、お、おい、一人で潜るのか?」
ラミアスに礼を言って店を出ようと踵を返すが、ラミアスは心配そうにバルトを引き留める。
「潜るのは俺のわがままだからな。誰も巻き添えにはしたくない」
「大将の強さはよくわかったが、どこまで潜る気なんだよ?」
「出来れば、ダンジョンマスターに会いたいなと」
「はぁ!?」
単身でダンジョンマスターに挑もうとする馬鹿はいない。
それはバルト自身もわかっている。
少なくともAランクパーティーが三つは必要な相手だというのがセオリーだからだ。
「大丈夫だ、殺されると思えば逃げる。心配は無用だ」
「確かにあの速さなら逃げられるだろうけどよ……ったく、ちゃんと生きて帰ってきてくれよ」
「あぁ。任せろ」
ラミアスが差し出す拳に自分の拳をぶつけ、店を出ようとすると、ゴダンから「武具で困ったことがあったらうちに来い」と店の場所のメモを渡される。
それを素直に受け取ると、バルトは塔に戻り、ルリア達に一声かけてから、ダンジョンへと向かうことにした。
◇◇◇
バルトが塔を出ていくのを見送ってから数日、テラスから相も変わらずダンジョンの方向をルリアは見つめていた。
その寂しそうなルリアの顔にレナスとミリスはニヤニヤしていた。
「そんなに心配ならこっそりついていきゃいいのに」
「まぁ主人なら心配無用だろう。街でももう噂になってる。SSランクが現れたって」
「バルトの腕は私が一番わかってるつもり。でもそれはそれ、これはこれなの。何が起こるかわからないのが戦いだし。何よりバルトは魔法を使えないじゃない」
いざという時の保険として指輪はつけてあるが、外されたりしていないだろうか。
バルトがルリアとした約束を破ると疑っているわけではないが、千年の時を越えた再会を経て数日でルリアの元から離れてしまったのだから、心配で仕方がなかった。
それにバルトにはダンジョンを消滅させる気はない。やるかやられるかの世界で、そんな心持ちで大丈夫なのかとも思う。
「女神様も、一人の乙女だねぇ」
レナスがそう呟いたと同時、けたたましく鳴る鐘の音が遠くから響いてきた。
ルリアルトに危機が及ぶ時の緊急警鐘だ。
但し、見える範囲に危険はなさそうに感じる。
しかし千年の平和を営んできたルリアルト。
そこに油断はなかった。
「レナス、ミリス」
「「御意」」
ルリアがいつにも増して真剣な声で二人に声を掛けると、返事をしながら二人はテラスから飛び降りて門へと向かう。
すぐさま門へと辿り着くと、二人を見つけた見張りの一人が声を張り上げた。
「三人のうちの二人は取り押さえ済み! 武装一人、逃げました!」
「わかった。レナス、ここは任せる」
「あいよ」
そう言うとミリスは門を飛び越え、空中で鼻をピクピクと動かす。
匂いは消えていない。
外壁の上で一旦着地をすると、匂いの濃い方に向かって、一足飛びに跳ねた。
森の木々の上を一直線に飛ぶミリスの眼下には、所々に森の魔物の死骸が映っていた。
どうやらこの森を軽々と越えてくるだけの力はある者らしい。
匂いの元に辿り着くと、周囲の気配を探る。
すると強烈な匂いがミリスを襲った。
香辛料と、最も熟成度の高く芳醇な香りを放つ腐りかけの肉の匂いが混じり、最高に食欲をそそる匂いに囲まれていた。
それだけではなく、恐らくは完全に腐敗した何かの死骸の腐乱臭も混じっている。
「対策済みとはね」
小細工にミリスは苛立ち覚える。
ミリスは鼻がきく。
それの対策として好悪両方の匂いでもって鼻を潰しにきているというわけだ。
宣戦布告と言っても過言ではなかった。
だが鼻だけの獣族と思われたのであれば甘くみられたものだ。
近くの茂みに腕を突っ込み、隠れていた男を容易に摘み上げる。問いただすことはせず、すぐ様その男の首をへし折ると再び跳んだ。
気配はまだあり、悪意に満ちた匂いもまだ続いていたからだ。
「距離を取って連絡を繋ぎつつ、複数で囮になるなどと、だいぶ練られた作戦だな」
跳んでは悪臭と汚いオーラを放つ慧族を見つけては殺め、更に跳んでは殺めを繰り返し続けていくと、森の端までついてしまった。
この先はルリアルトではない。
そこは隣国ゲルトステインへと続く道であった。
「くっ……最悪だ。レナスになんて言われることか」
ゲルトステインが攻め込んできてわからせた際に、相互不可侵を徹底させている。それをルリアルトから破るわけにはいかなかった。
若干名を逃したことを確信し、苦虫を噛み潰したような顔をするとミリスは踵を返し、街の門へと戻った。
どんな顔をすればいいことやらと頭を悩ませながら門へ着いたミリスが見たのは、頭を抱えているレナスだった。
「どうした?」
「す……すまねぇミリス。やられた」
レナスは見た限りどこも負傷していない。
見張り達も同様だ。
何をやられたのかと隣まで行けば、捕らえたはずの二人が血を吐いて事切れていた。
口の中に隠していた毒で自害したらしい。
しょげた背中を見せるレナスにミリスも素直に事実を告げる。
「すまない、私もだ。何人か逃げられた」
「お前がか?!」
すごい勢いで振り向くレナスの顔には侮蔑の感情はなく、ただ純粋にミリスの失態に驚いているだけだった。
「我々が出てくることを確信していたようだ。ニオイ対策と複数の囮で、一人でも戻れればいいという作戦だったのだと思う」
ルリアルトに立ち寄った者やルリアルトに通う商人が情報を漏らすとは考えられないが、もしルリアルトとの繋がりが知られて脅されたりしたのであれば話は変わってくる。
いずれにしろ、悪意を持つ輩に場所は知られたと思っていいだろう。
「明らかにケンカ売ってんな」
「間違いない。悪意に満ちていた。備えなければ住人に被害が出る可能性がある」
「とりあえず、ルリアに報告だな」
レナスは立ち上がり、集まってきた挑戦者達に死体処理を任せる。
防衛機能としての戦力も兼ねている挑戦者達はダンジョンに潜っていない時はこうした処理も仕事になる。
だが稼ぐ為にやっているわけではない。
死と隣り合わせの世界を生きてきた戦士達でなければ、死体の処理は精神的にくるものがある。
その苦しみを一般市民に負わせたくない、その想いがルリアルトの戦士達を自ずと動かしていた。
レナスが挑戦者達と話している間、ミリスも見張り達に警戒強化を依頼する。
「もちろんです。警鐘の数も増やします」
「任せたぞ、ルーク」
「はっ! 命に変えても!」
ルークというのはエルフであり、この見張りを仕切るリーダーだ。
命令ではなく、依頼にも関わらず、見張り達は嫌な顔せずに従ってくれる。
みな、主体的にルリアルトのために動こうとしてくれているのだ。
「見張りの奴らは本当ミリスのこと好きだよな」
「決して私個人ではない、ルリアルトのためだろう」
「あいつらのあんな姿勢はお前の前だけだろ」
「それを言うならお前も同じようなものだろレナス」
「んぁー、そうか?」
どういうわけか、挑戦者達はレナスに懐き、見張りに立つ者達はミリスに懐いている。
二人のことを尊敬しているのは間違いないのだが、尊敬とは異なる何かがそこにはあるように思えた。
それが何なのかは、レナスとミリスもわからなかった。
そうして二人が塔の方へ戻って完全に姿が見えなくなるのを見届けた挑戦者達と見張り達。
それぞれ目を合わせると、互いに同時に言葉を吐き出す。
「熊しか勝たん!」
「豹しか勝たん!」
そんなやり取りがされていることなど、この千年、全く知らないレナスとミリスなのであった。
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