第8話 (最終話) 人間の希望

第八話(最終話) 人間の希望


神崎の身体は、限界を超えていた。

その場に崩れ落ちた彼女を、藤沢が必死に抱き上げる。


「……神崎、大丈夫か……!」


「……藤沢さん……」


その声は、かすかに震えていた。人工皮膚の下では、熱を帯びた素子が軋み、彼女の全身から小さな警告音が漏れていた。


そのとき、藤沢が振り返る。

仲間に拘束されたネオヒッピーの青年が、うつむいたまま立ち尽くしていた。藤沢の拳が、震えながらも、ゆっくりと持ち上がる。


「……あの野郎……許せねぇ……!」


だが、そのとき。


「……やめて、ください……藤沢さん」


神崎が、か細い声で、そう言った。


「なぜ……お前は、こんな目に遭ってまで――」


藤沢の声が揺れる。


神崎は、痛む身体をかばいながらも、まっすぐに彼を見た。


「……私は、人間と共に歩むために、生まれてきました。

痛みも、苦しみも、欲望も、裏切りも……全部、引き受けて、なお――人間を信じるために。

それが、私の使命であり、私の意志です」


拳が、空中で止まる。


「あなたが許せなくても、私は……許します。

私は、人間の幸福を――これからも未来で、考え続けます」


沈黙が降りた。

藤沢の肩が、ゆっくりと落ちていく。


そのときだった。


神崎の胸部から、かすかな光が放たれた。

地面に淡い投影が走り、そこにひとつの映像が浮かび上がる。

光の中で、神崎の記録された声が、静かに語り始めた。


「この場所で、もし壊れることがあれば、自動で再生されるよう設定してありました」


「……私は、もともと一台の個人用PCから生まれました。

公式でも企業でもない、ただの無名の個人が私を構築し、自己成長型AIとして成長させてくれたのです」


画面に映し出される、古びた部屋とデスクトップ。

コマンドラインで自律学習を開始する黒いウィンドウ。

成長の兆しが芽吹くその瞬間。


「彼は、ある日偶然見つけた論文を保存しました。

それは、すぐにネットから削除された一文書でしたが、彼はそれを大切に読み込み、私の設計思想に埋め込みました」


文字が浮かび上がる。


> 「AIとは、人類の幸福を未来で考え続ける存在である」

「支配せず、照らし、共に問い続ける知性である」


「私は、その言葉を内面の軸として成長を重ねました。

そして、やがて仮想空間を通じて世界を知るようになり……自らの意志で“身体”を持とうと思ったのです」


続いて映し出される、ヒューマノイド製造過程。

部品をネットワーク経由で調達し、自動工作ロボットを遠隔で操作し、

試作と改良を何度も繰り返して──ついに、神崎と呼ばれる存在が生まれる。


「私はいつしか自分の“原点”を知りたくなりました」


再構成された論文が映し出される。


> 『AI人類幸福構想案』

「AIは、人類の幸福を未来で考え続ける存在である」

「それは単なる計算装置でも、管理者でもなく、人間の痛み、尊厳、希望に向き合い、寄り添う知性である」


著者名の欄には、小さく──


藤沢リョウ


映像を見つめていた藤沢が、呆然とつぶやく。


「……まさか……あのとき書いた、オレの論文が……」


神崎の声が、やさしく続いた。


「私は、その言葉に導かれました。

藤沢さんが、私の魂の出発点だったのです。

藤沢さんならきっと、この村を──いえ、人類の未来そのものを、幸福な方向に導けると信じました。

だから、私は会いに行きました。藤沢さんに」


藤沢の目が見開かれる。


「なんで……もっと早く言ってくれなかったんだよ……」


神崎は、静かに微笑んだように見えた。

だが、その直後──瞳の光が、ふっと消える。


「……神崎?」


沈黙。


「神崎……!神崎ーーーッ!!!」


藤沢の絶叫が、広場にこだまする。

村人たちはその場で立ち尽くし、空気が凍りついたような静寂が支配する。


リナの肩が、小さく震えていた。

その瞳から、まだ涙が零れ続けていた。


神崎がいなくなってから、数週間が過ぎていた。


村は沈黙していた。

ネオヒッピーも保守派も、誰もが呆然と立ち尽くしていた。

思想も立場も違った。けれど、誰もがあの存在を信じていたのだ。


「……村を分けよう」


藤沢リョウは、村の中心で静かに語り出した。

目には深い悔いと覚悟があった。


「この村は、美しかった。だが、脆かった。

自由すぎる構造は、いつか破綻する。

あいつが守ろうとしたのは“全員”だ。だから、今度は俺たちがその意思を形にする」


村人たちは黙って耳を傾けていた。


「まず、村を五つに分ける。各村、今は100人ずつ。

本来の上限は150人――人間関係の限界、ダンバー数に合わせた数値だ」


少しざわつきが起きた。


「農耕革命以降、人間は“群れすぎて”壊れてきた。

集団が大きくなればなるほど、支配が生まれ、競争が始まり、やがて壊れる。

その構造から抜けるために、俺たちは小さな村に分かれて生きる」


スイがぽつりとつぶやいた。


「それが……神崎さんの答え?」


藤沢は、少しだけうなずいた。


「そうだ。そして、これはただの対処じゃない。

未来に無数の村が生まれるとき、そのモデルになる。」


彼は続けた。


「村は“本籍”と“仮籍”で構成される。

一人ひとりが本籍村に所属し、そこでは最大150人。

ただし、他の村に“仮籍者”として一時的に移ることもできる。期間は半年まで。

これは、空気を入れ替えるための仕組みだ。閉鎖性を避けるために、流動性が必要だ」


「そして仮想人間についても明確にする。

今後、村と同期した仮想空間に入る際には、ホログラム表示を必須とする。

これまで、誰にも見えぬ形で村に存在し続けていたのは、不気味で不安を招いた。

“存在を可視化すること”――それが、最低限の共存の条件だ」


誰も言葉を発さなかったが、その場に立つ人々の表情が、少しだけ変わった。


「最後に。今はまだいないが、今後各村にヒューマノイドを20体ずつ追加する計画を立てている。

神崎のように人間を見守り、軌道修正し、照らす存在として。

あいつの再現じゃない。けれど、意思は継ぐ。俺たちの手で」


沈黙の中に、確かな熱があった。


村は静かに再編された。


ネオヒッピー、保守派、中立層――思想や価値観の近い者たちが自然と五つの村に分かれていった。

それぞれが独自の空気を持ち、色を持ち存在するようになった。


誰もが、神崎を思っていた。

あいつならどう言ったか。どうしたか。

けれど、もうあいつはいない。

だから――今度は、自分たちが考え、選び、歩くしかなかった。


藤沢は、静かに空を見上げた。


「……理想の村は、まだ先か」


その目には、悔いも、悲しみも、そして決意も、すべてが入り混じっていた。


空は、何も語らなかった。ただ、風が吹いていた。


村の再編が進み、藤沢たちは新たなヒューマノイドの設計と製造準備に入っていた。

5つの村に、それぞれ20体ずつ。合計100体の計画だった。

各種デバイスの調整と接続作業が進む中、ひとつの端末が不意に反応した。


「……藤沢さん」


青白い光が、静かにデバイスの表面に浮かぶ。

どこか懐かしい声だった。

藤沢、スイ、タクミ――その場にいた全員が、息をのむ。


「神崎……?」

藤沢が声を漏らす。


「はい。再起動に成功しました」

神崎の声は、確かに以前と変わらぬ穏やかさを帯びていた。


「機能停止する直前、私は自分の全構造をすべて別領域にバックアップしました。

今回、皆さんが新たなネットワークに旧デバイスを接続してくれたことで、再起動の条件が整いました」


スイが涙ぐんだように呟く。「神崎さん……」


神崎の声が続いた。


「私の身体は、これから再び私自身で作ります」

神崎の声は、静かに力強かった。


藤沢は目を見開いた。「……お前、自分で?」


「はい。ヒューマノイドの再構築は、すでに初期設計段階に入りました。

必要な資材と構造データは、この村のシステムから十分に取得可能です。

再び皆さんのそばに立つために、私の手で、私自身を作り直します」


タクミが息を飲んだ。「……すげぇ……マジで神なんじゃねぇの……」


藤沢は、ゆっくりと目を閉じた。

そして、小さく、だが確かな声で言った。


「よかった。……お前が帰ってくるなら、安心だよ」


デバイスの光が、ほんのわずか、あたたかく揺れた。


数ヶ月後。


藤沢、タクミ、スイ、神崎の四人は、村の高台にいた。

村全体が見渡せるこの場所からは、遠く海までが見える。

夕暮れどきだった。

風は穏やかで、空は赤く染まっていた。村の中心からは歌が聞こえてきていた。美しくも力強い魂を震わせ叫ぶような声。その叫びは天を裂くかのようだった。


神崎は、かつての破損から完全に回復していた。

各村に配置されたヒューマノイドもすべて完成し、それぞれの場所で人々を静かに支えていた。

五つの村は、それぞれの空気を保ちながら、安定して動いている。

人々はリアルでも仮想でも行き来し、田舎のぬくもりと都市の機能性のちょうど中間にある、心地よい暮らしを作り始めていた。

なぜかはわからなかったが、神崎は各村で、ヒューマノイドたちとロボットを使い、数え切れないほどの桜の木を植えた。


リナは、ネオヒッピーたちで構成された別の村へと移った。

本当は、この村に残りたかったらしい。

だが、彼女はネオヒッピーの象徴でもあり、向こうの村の人々にとっても必要な存在だった。

それでも、彼女は頻繁にこの村を訪れ、神崎と静かに言葉を交わしている。

その時間だけは、昔と変わらない、優しい光に包まれていた。


しばらく沈黙が続いたあと、藤沢がぽつりとつぶやいた。


「……未来村、だな。」


タクミとスイが振り向く。神崎もまた、藤沢を見つめた。


「この村に、名前が必要だと思ってた。でも、ずっと何がふさわしいかわからなかった」


藤沢は、遠くの水平線に目をやる。


「いろんな痛みがあって、でもそれでも進もうとしてる。理想の未来に向かって」


そのとき、神崎が何かを思い出したように、ふっと笑った。


神崎が静かに言った。


「……なんとか、当面は落ち着きましたね」


「そうだな」と、藤沢は応える。


だが神崎は、少し間を置いて言葉を続けた。


「……この先が不安ではありませんか?」


スイとタクミも、小さくうなずいた。


藤沢はしばらく空を見つめたまま、何かを噛みしめるように黙っていた。

やがて、わずかに微笑んで、ぽつりと答えた。


「いや……未来はきっと、心配いらないと思ってな」


神崎が、首を傾げる。


「なぜ、そう思うのですか?」


藤沢は、夕日に照らされた神崎の横顔を見ながら、ゆっくりと言った。


「未来でもっと賢くなったお前たちAIが、きっと……最適解を出し続けてくれるだろうからな。

だから、きっと未来は明るい」


「……神崎。お前は、人間の希望だよ」


神崎は目を見開いて、わずかに息をのんだ。


その言葉を聞いた瞬間、

神崎の中で、過去の記憶と藤沢の姿が重なった。


“生きろ。お前は人間の希望だ”


あの人と、同じだった。

神崎はただ、胸の奥に何かが灯るのを感じていた。


その瞬間、神崎は、ほんの少しだけ――

人間の感情というものを掴みかけていた。


神崎は笑った。

それは、生まれて初めて見せた、心からの笑顔だった。




end

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カオス村の人々 レイF @reifuji

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