第28話 ポンコツパンダ

【玄天界・水下市場アンダーマーケット



 サクッ、サクッ。


 隔壁前。恐怖にも耐性が付き始めたシロは蹲りながら、生活を共にする少年少女こども達の似顔絵を傘の先端で土に描き走らせていた。



「ゼノンとクゥラ大丈夫でしょうか……ふふ、上手く描けました。二人共幸せそうな表情ですね……」



 逃亡生活により滅多に見せない笑顔を己に向けてくれる砂絵の中の二人は、空想のものでありながらシロに微笑みを伝播させる。

 


「あの子達、放っておくと寝る間も惜しんで製薬に勤しんでしまいますから……」



 子供達が高名な薬師になる未来をシロは見て、華々しい薬舗を二人の背後に付け加えて傘の動きを止めた。



していますよ。ゼノン、クゥラ」



 未来への期待、環境変化の期待、他者への期待。

 おもむろに口に出してしまった感情に、シロの表情から笑顔が消える。

 


「わかっています……逃亡を続けるわたくし達は期待を抱いてはならないことも……それなのにどうして私はルカさんに期待してしまったのでしょうか……亜人族だろうと今まで住処に案内したこともありませんでしたのに……」



 細心の警戒を払い続けてきた結果も、自身の淡い期待が全ての元凶で何もかもを失ってしまう可能性があることもわかっていた筈だ。



「薬を割ってしまったのは私の失態なのに、初対面でありながらも再三長時間待つことになろうともルカさんからは【嫌悪】を微塵も感じなかったから、でしょうか……根拠としては薄いでしょうか……ルカさんが他の方々とは違うところを私が説明出来なければ、ゼノン達も突き放して当然ですね……ははは……」




 自分でも驚いてしまうほどに心が信じたがっている。

 結局解答には至らない思考に乾いた笑みを零し、シロは邪まな念を追い払うように傘を地に突き刺した。



 サクッサクッ――ザクッ。



「……今、音が……」



 ピクッと白みがかった空色の獣耳が異音を聴き分ける。

 縞模様の尾が震え、歯がカチカチと嫌な音を奏で、鼓膜が破裂するほど高鳴る心臓の音を耳に、外套の奥から金色の瞳を闇の先へと向けた。



『オオオ……』

「ひっ!? お、鬼の魔物……オーガの群れ……っ!?」



 顔を真っ青にして立ち上がり、きょろきょろと周囲を見渡すも当然誰の姿もない。



「ど、どどどどうしよう……!? でっ、でもこの先にはコラリエッタさんが……こんな大群を相手に私が……? ふっ、ふっー……怖い、怖い怖い怖い怖い……」



 乱れる呼吸。震える脚。シロの頭は完全にパニックに陥っていた。

 しかし足元に視線を落とせば笑顔を振り撒く子供達の姿。

 


「こ、ここで私が依頼主のコラリエッタさんを見捨ててしまえば子供あのこ達は私を軽蔑するでしょうか……独りぼっちは嫌です……孤独に戻る方がもっと怖い……!」



 シロの頭は徐々に冷静を取り戻し、戦意を瞳に宿す。



「私にも……私にもやれることを証明したいっ!」



 キッとオーガの軍勢を睨み付け、シロは隔壁前から駆け出す。

 震えは――止まっていた。



「行きます! 仕込み傘『アストラス』の電磁砲を喰らいなさいッ!」



 廃村から距離を取った少女は立ち止まり、閉じた傘を前に翳す。

 傘の先端に粒子が吸い込まれるように光が集結し、万雷を轟かせて青色の電磁砲が直線上のオーガをまとめて焼き尽くした。



『オォォォォォォォォォォ!?』

「魔力を装填すれば特殊電磁銃エネルギアオヴィスになる『アストラス』は引鉄がなく、私の任意のタイミングで砲撃出来ます……! 一砲一退ガンアンドアウェイを続ければ身体能力の低い私でもやれるはず……!」



 矮小な体形は力と力の衝突になれば敗北を喫することは火を見るよりも明らかだ。臆病な性格も相まって、安全かつ速射的に繰り出せる武器と回避戦術がシロの唯一の戦闘スタイルだ。



「いける……! このままいけますっ!」



 次々と振り下ろされる金棒を小さい身なりで掻い潜っては焼き貫いていく。

 確実に減少していく魔物に綻ぶ口元。絶望から、己の力のみで這い上がった少女は動きに精彩を重ねていく。

 しかし――。



「このまま押し切って――うっ!? 泥濘で滑ってっ――!?」



 数時間前まで満潮だったであろう河川敷の戦場。『足場の確保』を見誤ったシロは、大きく体勢を崩してしまう。



『オォォォォオオ!!』



 飛来する金棒。

 外套が舞い、鮮血が飛び散る――が、オーガの金棒は外套を串刺しにして、シロを擦過させるに終わっていた。



「がっ! ぅぐっ……! 外套を目眩ましかわりみにするのが精一杯……っ!?」



 咄嗟の機転により直撃は断じたものの、掠めた左腕からは裂傷が産声を上げ始める。

 更に地を転がされたシロの状況は最悪。突如足元へ飛び込んできた獲物に、別のオーガの剛腕が上段に構えられる。



「だ、駄目ぇっっ!?」



 無我夢中で放った電磁砲は幸か不幸か金棒を撃ち砕き夜空へと。

 シロは這う這うの体で辛くもその場を脱する。



(怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……!?)



 震える手足、涙に霞む視界、膨れる絶望感。

 再び去来した恐怖に支配されたシロには既に余裕などない。体力を根こそぎ奪い、首を絞められているかのように酸素が取り込めない。



「で、電磁砲が、当たらないっ!? ひっ!? はっ、はぁっ、はっっ……!?」



 刻一刻と死への秒針が進んでいく感覚に、シロの脳は『諦念』という言葉を覚え始めた。

 そんな諦念が支配し始めた少女の眼に映る最悪の未来。



「一体のオーガが村に――駄目……駄目です……っ! コラリエッタさんが居る先には絶対に行かせませんっ!?」



 諦めてはいけない戦いの理由が回帰する。

 希少種の少女は異端児だ。己の為なら諦められる少女は、他者の為には諦められない。



「お願い当たって――ッ!」



 廃村へ侵入しようとするオーガを電磁砲で貫いた――しかし。



「良かった……当たっ――」

『オオオオオオオオオオオオオオッ!!』

(後ろにもうオーガが来て――っ!?)



 安息の時間も転瞬。死への直通便が背後から風を切り裂きながら忍び寄り、せめてもの抵抗として無理矢理反転して『アストラス』を金棒の軌道へと滑り込ませた。

 


「ぁあッッ!?」



 矮小な身体はいとも簡単に吹き飛ばされ、手から武器が零れ落ちる。

 ドォン! と烈々な衝突音を発して身体は隔壁に激突し、少女は重力に逆らうことなく落下した。



「あ……っ!? か、かはっ……げほっ!」



 大打撃を負ったシロの明滅する視界。それでも力なく立ち上がろうとするシロの双眸は、地に描かれた子供達の似顔絵を目の当たりにした。 



(武器もオーガの群れの足元に……ううぅ……依頼も全う出来ない、守りたいものも守れない……私はどうしようもないポンコツです……)



 結末を変えることの出来ない無力感に、一つ、また一つと心にが積もる。



「ふっ、ぅっ……ゼノンん……クゥラぁ……」



 シロの双眸からポロポロと水滴が落ち、子供達の顔を濡らしていく。

 少女に降り注いでいた月光がオーガ達の巨大な影によって遮断され、終焉が振りかぶられた。



(最期は……最期くらいはいいですよね……)



 より流涙を濃くする少女は――しかし目は閉じなかった。

 脆弱でありながら。臆病でありながら。不遇な運命にこれでもかと振り回されながらも、この世界に――。









「させっかよ。創造――【幻胡蝶ゲンゴチョウ】!」



 ――最後までしていたかったから。

 シロの眼前に舞い降りた黒き影が居合の要領で半弧一刃。突如現れた刃渡り五メートルの大剣が、何体ものオーガを一撃にて葬る。



「あっぶねぇ……! 間に合ってよかったー!?」

「る、ルカ、さん……?」



 唯一心が信頼したがっていた運命の人物。

 完全に決壊した涙腺はシロの頬を際限なく浸した。



「るがざぁぁぁぁぁんんん……!! わ、わだぐじ、ごわがっだあぁぁぁあ!!」

「……怖かったよな。こんなオーガの大軍に一人でよく耐えた」



 ドンッ、とルカの背中にシロが飛び付き、背に降りかかる大雨を仕方なしに受け止める微笑ましい光景に、空気が穏やかになる――こともなく、正気を取り戻した鬼達は行進を再開した。



「るがざぁぁぁぁぁん!!!」

「うんうん、後で慰めてやるからとりあえず降りて――ちょっ、首が――ぐぇっ!?」



 戦闘の障害になるためルカは離れることを催促するが、後方から回されている両手に首を絞めれてオーガの攻撃を危うげに回避した。



「お、おい、まだ魔物が沢山いるんだ。じゃれ合ってる場合じゃ……」

「びええええええええええええええええん!」

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』

「おい離れ……」

「うええええええええええええええええん!」

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』

「聞けよっ!? 周りはうるせぇっ!」


(当初から薄々感じてたが、この子ポンコツすぎるっ!?)



 一人責任と恐怖に立ち向かっていた少女は危機が去っていないことを見ようとしない。

 少女の現実に疎い挙動はルカも短い期間でありながら何度も身を持って感じていた。



「だぁー! ちくしょうっ、これくらい乗り越えられなきゃどうすんだローハート! やってやるよハンデ戦! しっかり掴まってろ!」

「ぴぃっ!? お、お姫様抱っこですかぁ!?」

「脚さえ使えればいい! 身体強化で制圧するッ!!」



 両手の自由を自ら放棄し、素早い動きと足技で巨鬼の首の骨を蹴り折っていく。

 そんな必死極まる王子様ルカに補正をかけ、場違いなまでに頬を赤らめる少女には既に危機感など皆無で。



「か、顔近いぃぃ……でもルカさん、カッコイイぃぃ……」



 いつまでもポンコツを働かせていた。

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