告白は、生きてるうちに聞きたかった。

志乃原七海

第1話「ひろみゴーとセイコ松田の伝説の破局会見」



***


### 寝かせてくれ!


意識が浮上する。いや、叩き起こされた感覚だ。鼻につく線香の香り。重いまぶたは、まるで高級ベルベットのカーテンのように重く、開かない。体は、まるでダ・ヴィンチの設計図のように複雑に絡み合い、動かない。


「あらあら、なんて安らかなお顔でしょう。まるで、スリーピング・ビューティーのようじゃありませんこと……」


叔母さんの声だ。隣で母さんが鼻をすする。そのすすり泣きは、まるでストラディバリウスの弦が一本切れたような、どこか不協和音を奏でていた。

葬儀場、親族、泣いている母。点と点が、まるでピカソの絵のように歪んだ線で結ばれた。どうやら俺は、自分の葬式のど真ん中にいるらしい。


(おい、俺?寝てねえぞ?)


心で叫んだ瞬間、我に返る。

(え?これ、自分で言ってどうすんだ?まさか、死んだ俺が、自分の葬式でシニカルなツッコミ役をやらされる羽目になるとは…)


なんだか馬鹿らしくなった。もういい、このまま永遠の眠りにつこう。人生最後の、そして最長の安眠だ。静かに、ただ静かに…。


「しかし、あいつも急だったからなぁ。来週のゴルフ、メンバーどうするかな…」


(おい、失礼だろ!俺の心配よりゴルフかよ、叔父さん!あんたのゴルフスコアが俺の魂より大事なのかよ!)


俺の安眠計画は、開始早々、デリカシーのない親族によって妨害された。さらに、坊さんの読経が重低音スピーカーのように棺桶の中で反響する。まるでヴェルサイユ宮殿の地下で響くダブステップだ。騒音以外の何物でもねえ。静かにしろ。寝かせろ!頼む、寝かせてくれ!


読経が止み、静寂が訪れたかと思えば、今度は親友・健太の弔辞が始まった。


「隆とは高校からの付き合いでした。あいつが好きな子に告白する練習に、俺の部屋のアイドルのポスター相手に3時間も付き合わされたのは、今となってはいい思い出です…」


ザワッと親族席から笑いが漏れる。叔母さんは、エルメスのスカーフで口元を隠しながら、肩を震わせている。

(健太の野郎!言うんじゃねえよ!俺の青春時代の黒歴史を暴露するなんて、まるでタブロイド紙じゃねえか!しかも、そのアイドル、今やモナコの王妃だぞ!時効なんてとっくに過ぎてるっつーの!)


顔から火が出る。いや、死んでるから出ないが、とにかく猛烈に恥ずかしい。誰かこいつの口を塞いでくれ!いっそ俺を起こしてくれ、この悪夢から!


「…そんなバカな隆が、俺は大好きでした。安らかに、眠ってくれよな」


最後の最後で泣かせに来るんじゃねえよ、健太のやつ…。不覚にも、動かない胸の奥が熱くなった。まったく、こいつのエモーションジェットコースターにはいつも振り回されるぜ。


よし、今度こそ眠るぞ。そう決意した瞬間。

コンコン!と棺桶がノックされた。

「おじちゃーん、起きてよー!」「おじちゃん、お花、シャネルみたいにきれいだよー!」

甥っ子と姪っ子の悪魔のように無邪気な声だ。そのノックは、まるでサザビーズのオークションで競り落とされる絵画のように、俺の価値を下げていくぜ。


(おいおい!起こすんじゃねえ!さっきのは精神的な意味だ!フィジカルに起こすなんて、ありえねえだろ!眠いんだよ、俺は!この棺桶、防音じゃないのかよ!)


「こら、やめなさい!」姉さんの声で静寂が戻る。はぁ…助かった。姉さんの声は、まるでカラヤンの指揮のように、騒音を鎮めた。今度こそ、本当に…。


「それでは皆様、これより故人との最期のお別れとなります」


非情なアナウンス。蓋が開けられ、次々と顔の周りに花が置かれていく。そして、誰かが置いたカサブランカの花弁が、俺の鼻先をサワサワと撫で始めた。


(く、くすぐったい!鼻が!ああもう!誰だよ、こんなアレルギー性の高い花を置いたのは!俺の安眠を妨害するテロリストかよ!)


起こしてくれ!いや違う!眠らせてくれ!もうどっちでもいい!早く火葬してくれ!


その時、ふわりとゲランの香水の香りがした。3年間片想いした会社の同僚、佐藤かおるさんだ。勇気を振り絞って告白し、「ごめんなさい、付き合っている人がいるの」と華麗に玉砕した相手。


彼女が、か細い声で俺の名前を呼んだ。その声は、まるで壊れかけの蓄音機のように震えていた。


「田中さん……嘘だったの!付き合ってる人なんて、いなかったの!本当は…本当は、田中さんのことが、好きでした…!」


ポタッ、と温かい雫が俺の頬に落ちる。彼女の涙だ。

さらに佐藤さんは、俺の胸に顔をうずめるようにして、堰を切ったように泣きじゃくり始めた。

「うわーん、田中さーん!生まれ変わったら、生まれ変わったら、今度こそ一緒になろうねええええええっ!」


(おいおいおい、なんだその昭和のトレンディドラマみたいなセリフは!まさか、ひろみゴーとセイコ松田の伝説の破局会見のオマージュか?だとしたら、俺たちの関係はそこまでビッグじゃねえだろ!)


周囲の親族が「あらまあ…」「そんなに想ってくれて…」と、完全に感動ムードに包まれている。叔母さんは三度、エルメスのスカーフで目元を忙しなく押さえている。


…と思ったら、俺の頬に落ちた雫、鼻水も混じってる!インフルエンザか?


いやいやいや!ちょっと待て!タイミングがおかしいだろ!なんで死んだ今になって言うんだよ!

(…おいおい。さては、この葬式の雰囲気に酔ってるな?俺が死んだことをダシにして、悲劇のヒロインごっこかよ?最高じゃねえか。メトロポリタン歌劇場のプリマドンナも真っ青の演技力だぜ!)


あまりの茶番劇に笑えてきた。すると、俺の頬を伝っていた涙がピタリと止んだ。乾くの、早すぎねえか?秒速で乾きやがったぜ、その涙!


「それでは、まもなく出棺のお時間となります」

蓋が閉まる直前、見えたのは、涙の跡もすっかり乾いた涼しい顔で、まるで何事もなかったかのように列に戻る佐藤さんの横顔だった。その顔には、一筋の未練もなかった。…あれ、よく見たら、鼻をすすってる。


(やっぱり嘘泣きじゃねえか!この女優め!…って、インフルエンザなら仕方ねえか)


心で盛大にツッコミを入れた直後、棺が台車に乗せられた。ギィギィと軋む車輪の音が、まるでポンコツのロールスロイスのようだぜ。

(もういい。さようなら、俺の人生。ボンジュール、永遠の安眠…)


その、瞬間。


「「「うわあああああああああああっ!!!!」」」


親族一同の絶叫。まるでヒッチコックの映画のワンシーンだ。

ドッシャーーーン!!


棺が地面に叩きつけられ、蓋が外れ飛んだ。葬儀スタッフは、まるでボッティチェリの絵から抜け出した天使のように、腰を抜かし、その場にへたり込んだ。

何事かと、俺は無意識に、錆びついたブリキ人形のようにギギギ…と音を立てながら上半身を起こした。


「……ん?」


声が出た。体が動く。

目の前には、白目を剥いて気絶寸前の母さん、口をあんぐり開けて固まっている叔父さん、そして、スマホを落とسانばかりに驚愕の表情で俺を見つめる佐藤さんがいた。健太は「うわああああ!隆の幽霊だあああ!」と叫びながら、叔母さんの陰に隠れている。


どうやら俺は、極度の疲労による仮死状態だったらしい。奇跡的な誤診の連鎖が生んだ悲喜劇。

葬儀場が阿鼻叫喚の渦に包まれる中、俺はまっすぐ佐藤さんの元へ歩いて行った。一歩一歩、まるでゾンビのようにぎこちなく。


「佐藤さん」

彼女の顔がみるみる青ざめていく。まるでセーブル焼きのティーカップのようだぜ。

「さっきの言葉、聞こえてたぜ。俺のこと、好きだって言ってくれたよな?」


ニヤリと笑ってやった。彼女の顔が、今度は真っ赤に染まる。まるでルビーの指輪もかくや、というほどの赤さだ。


俺は、自分の葬式(仮)の会場で、親族一同が固唾を飲んで見守る中、プロポーズさながらの真剣な眼差しで、彼女に問いかけた。


「生き返った。俺と、結婚してください!!!」


世紀の瞬間の到来だ。親族たちは息を殺し、健太は隠れながらも指の隙間からこちらを凝視している。

佐藤さんは、潤んだ瞳で俺をじっと見つめ、か細く、しかしはっきりとした声で、こう言った。…と、同時に、盛大なくしゃみをした。


「…へ、へっくしょい!ごめんなさい!!!!!」


そして、全力の土下座にも似た、美しいお辞儀をした。


ズコーーーーッ!と、その場にいた全員の心がずっこける音がした。

俺の人生、二度目の玉砕。しかも、今回は親族全員が見ている前での公開処刑だぜ。…しかも、相手はインフルエンザっぴき。


天を仰ぎ、乾いた声で呟いた。


「……誰か、もう一回寝かせてくれ……」


その声は、なぜか再開された坊さんの読経にかき消されていった。その読経は、今度は俺の魂を鎮める子守唄のように聞こえた。…と、同時に、佐藤さんのくしゃみが聞こえた。「へっくしょい!」…インフルエンザ、うつりそうだ。

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