第28話 天然ライト
第三フロア「静寂の洞窟」をオープンしてから数時間後。
夜の帳が下りた頃、誰よりも早く姫川千尋さんがやってきた。
彼女は、きさらぎ荘の前に立つと、101号室、102号室に並んで、新たにゲートとして機能している103号室のドアをすぐに見つけた。
「三つ目のゲート…? 仕事が早すぎて怖いくらいだわ」
彼女は、呆れと感心が入り混じったような表情で呟くと、その未知の扉に手をかけた。
「今度はどんなサプライズを用意してくれているのかしら。お手並み拝見といきましょう」
その声には、挑戦者を受け止める女王のような風格すら漂っていた。
彼女は、期待に胸を膨らませながら、ゆっくりと「静寂の洞窟」へと足を踏み入れていった。
俺は、この幻想的な空間が彼女の審美眼にどう映るのか、少しだけ緊張しながら見守った。
洞窟の中に足を踏み入れた瞬間、千尋さんの口から「はぁ…」と、感嘆のため息が漏れた。
彼女の目の前には、人工の光が一切ない自然の(?)光だけで照らし出された、神秘的な空間が広がっていた。
壁一面に広がる、青や緑に淡く光るキノコや苔。
ゆらゆらと漂う、虹色のクリスタルスライム。
そして、全てを包み込む静寂。
「綺麗…」
彼女は、まるで夢の世界に迷い込んだかのようにその場に立ち尽くし、うっとりと周囲を見回していた。
彼女は、壁に生えている光るキノコの一つにそっと指先で触れてみた。
その柔らかな光が、彼女の美しい指を幻想的に照らし出す。
その光景だけでも一枚の絵画のようだった。
しばらく、その神秘的な雰囲気を味わっていた彼女だったが、やがて、その瞳に、いつものプロフェッショナルな輝きが宿り始めた。
「…この光、使えるわ」
彼女は確信に満ちた声で呟いた。
次の瞬間、千尋さんはいつものように、手際よくブランド物のバッグからスマートフォンと撮影用の機材を取り出した。
しかし、今日はいつもと少し様子が違った。
彼女は、いつも使っている携帯用のLEDライトを取り出すと、その電源をオフにしてバッグにしまったのだ。
「まさか…」
俺の予感は的中した。
彼女は、この洞窟の「ひかりゴケ」や「クリスタルスライム」が放つ、自然な光だけを照明として、撮影に挑むつもりのようだった。
彼女はまず、青く光るキノコが密集している壁の前に立った。
その青い光が、彼女の白い肌をどこか儚げで、ミステリアスな雰囲気に照らし出す。
彼女は、その光に合わせてアンニュイな表情を作り、次々とポーズを決めていく。
次に、緑色の光を放つ苔の前に移動する。
今度は、まるで森の妖精か女神のような、神秘的で、それでいて優しい表情を浮かべる。
近くを漂ってきたクリスタルスライムを、そっと手のひらに乗せ、その虹色の光を天然のスポットライトのように顔に当てて、完璧な一枚を撮影していく。
その姿は、ただのインフルエンサーではない。
光を自在に操り、最高の作品を創り出す一流のアーティストそのものだった。
「もはや、ここ、専用の撮影スタジオじゃん…」
俺は、モニターの前で、彼女の仕事ぶりにただただ感嘆の声を漏らすしかなかった。
俺が「癒し」のために創り出した空間を、彼女は「美」を創造するための最高の舞台へと昇華させている。
納得のいく写真が撮れたのか、千尋は機材を片付けると、撮影した写真をその場でチェックし始めた。
その表情は、真剣そのものだ。
そして、最高の数枚を選び出すと満足げに微笑んだ。
「今日の投稿は、過去最高の『いいね』がもらえるかもしれないわね」
彼女は自信に満ちた声でそう呟くと、名残惜しそうに、もう一度、洞窟の美しい光景を目に焼き付け、静かにその場を後にしていった。
俺はすぐにSNSを確認し、彼女が投稿したばかりのファンタジー映画のワンシーンのような、幻想的で美しい写真が凄まじい勢いで拡散されていくのを呆然と眺めるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。