33
「ねえ、まってよ! まってってば! えへへへへへへへへへへへへ!」
「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」
「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」
「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」
走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。壊れそうな脳に、肺に、脚に、何度もそう命令する。
「そのリボン、かわいいね! どこでかったの? えへへへへへへへへへへへへ!」
「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」
「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」
「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」
振り返るな。追い付かれるな。遠くへ逃げろ。遠くへ。遠くへ。遠くへ。遠くへ。
「すりおろさせて! すりおろさせてよ! えへへへへへへへへへへへへ!」
「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」
「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」
「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」
視界が、ぐらりと傾いた。転んだ……? ぼたぼたと、汗か涙かわからない体液が、地面に零れ落ちた。
どす黒い血の色をした一つ目が、わたしの恐怖に歪んだ顔を映し出している。
「……すりおろしてもいいとおもうひと?」
「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」
「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」
「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」
「わかった。そうしたら、すりおろすね……」
「どうして、うまくいかないんだろう……」
涙でびしゃびしゃになった視界で、不思議そうに微笑んでいるかみさまを見た。
「これでも、けっこうがんばったつもりだったんだよね。きみにさいかいするまでに、いっぱい、すりおろしたの。せん、いや、にせん……? まあ、とにかく、がんばったつもりだったんだよね、ぼく」
むくれたように、それでいてどこか楽しそうに、かみさまは雑談するような調子で告げる。
「ねえ。きみってさ、かなりヘンだよ。どうしてかみさまのぼくが、みえるわけ? どうしてかみさまのぼくから、かんしょうされないわけ? おかしいよね。おかしい、おかしいよ。えへへへへへっ」
どこか子どものように屈託なく笑うかみさまに、わたしは身体の震えが止まりそうになかった。
「もっと、もっと、きみのことがすきになっちゃった。ねえ、ぼくのはなよめになってよ。つぎのしがつなんて、どう? ぼく、はるのにおいがすきなんだ、えへへへへっ。はなよめになってくれたら、きみも、ぼくのことをすりおろしていいよ。ぼくも、きみをすりおろせるようになるように、がんばるからさ」
いいとおもいます、という声が何重にも重なって聞こえる。空中には数え切れないほどの生首が浮いていた。みんな、笑っていて、頭とか目とか鼻とか頬とか口とかに、すりおろされた痕があった。
「それじゃ、またね。ぼくの、みらいの、はなよめ――」
そんな言葉と共に、かみさまと数多の生首は、一瞬で姿を消した。
肉の香りも、もう、しなくなっていた。
わたしはふらふらとした足取りで、夕暮れの町を歩いている。今日の夕焼けはどこか真っ赤だった。何度ハンカチで拭っても、わたしの目からは涙が壊れてしまった蛇口のように、ずっと流れ落ちていた。
どうして、かみさまを認知してしまうんだろう。
どうして、かみさまから干渉されないんだろう。
恐怖でぼろぼろになった脳にそんな疑問が浮かび、そして蜂蜜が頭の中で優しく微笑う。
――でも、どうでもいいか。
この力があるから、蜂蜜を愛することができているのだから――
かみさまを認知してしまうから、みつばちさまの存在を信じることができた。
かみさまから干渉されないから、みつばちさまによって殺されずにいられる。
気付けばわたしは大きな笑い声を上げていた。笑い声を上げることができたなんて、一体いつぶりだろうか。すれ違う人に怪訝な顔をされながら、わたしは大声で笑い続ける。
五分ほど経って、笑うのをやめた。
もう一度笑おうとしても、いつものように口角が無理やり上がるだけだった。
代わりに、
「……蜂蜜、」
口から、愛しい人の名前が零れ落ちた。
「あなたに、会いたいです……」
両手に顔を埋める。美しい蜂蜜の姿を、暗い視界で何度も再生する。
可愛い。可愛い。可愛い。とっても、可愛い。
指の隙間から真っ赤な夕陽が見える。蜂蜜の唇のような、きれいな赤だった。
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