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「ねえ、まってよ! まってってば! えへへへへへへへへへへへへ!」

「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」

「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」

「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」


 走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。壊れそうな脳に、肺に、脚に、何度もそう命令する。


「そのリボン、かわいいね! どこでかったの? えへへへへへへへへへへへへ!」

「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」

「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」

「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」


 振り返るな。追い付かれるな。遠くへ逃げろ。遠くへ。遠くへ。遠くへ。遠くへ。


「すりおろさせて! すりおろさせてよ! えへへへへへへへへへへへへ!」

「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」

「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」

「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」「えへへへへへへへ!」


 視界が、ぐらりと傾いた。転んだ……? ぼたぼたと、汗か涙かわからない体液が、地面に零れ落ちた。

 どす黒い血の色をした一つ目が、わたしの恐怖に歪んだ顔を映し出している。




「……すりおろしてもいいとおもうひと?」


「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」

「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」

「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」「いいとおもいます!」


「わかった。そうしたら、すりおろすね……」




「どうして、うまくいかないんだろう……」


 涙でびしゃびしゃになった視界で、不思議そうに微笑んでいるかみさまを見た。


「これでも、けっこうがんばったつもりだったんだよね。きみにさいかいするまでに、いっぱい、すりおろしたの。せん、いや、にせん……? まあ、とにかく、がんばったつもりだったんだよね、ぼく」


 むくれたように、それでいてどこか楽しそうに、かみさまは雑談するような調子で告げる。


「ねえ。きみってさ、かなりヘンだよ。どうしてかみさまのぼくが、みえるわけ? どうしてかみさまのぼくから、かんしょうされないわけ? おかしいよね。おかしい、おかしいよ。えへへへへへっ」


 どこか子どものように屈託なく笑うかみさまに、わたしは身体の震えが止まりそうになかった。


「もっと、もっと、きみのことがすきになっちゃった。ねえ、ぼくのはなよめになってよ。つぎのしがつなんて、どう? ぼく、はるのにおいがすきなんだ、えへへへへっ。はなよめになってくれたら、きみも、ぼくのことをすりおろしていいよ。ぼくも、きみをすりおろせるようになるように、がんばるからさ」


 いいとおもいます、という声が何重にも重なって聞こえる。空中には数え切れないほどの生首が浮いていた。みんな、笑っていて、頭とか目とか鼻とか頬とか口とかに、すりおろされた痕があった。


「それじゃ、またね。ぼくの、みらいの、はなよめ――」


 そんな言葉と共に、かみさまと数多の生首は、一瞬で姿を消した。

 肉の香りも、もう、しなくなっていた。




 わたしはふらふらとした足取りで、夕暮れの町を歩いている。今日の夕焼けはどこか真っ赤だった。何度ハンカチで拭っても、わたしの目からは涙が壊れてしまった蛇口のように、ずっと流れ落ちていた。


 どうして、かみさまを認知してしまうんだろう。

 どうして、かみさまから干渉されないんだろう。


 恐怖でぼろぼろになった脳にそんな疑問が浮かび、そして蜂蜜が頭の中で優しく微笑う。



 ――でも、どうでもいいか。

 この力があるから、蜂蜜を愛することができているのだから――



 かみさまを認知してしまうから、みつばちさまの存在を信じることができた。

 かみさまから干渉されないから、みつばちさまによって殺されずにいられる。


 気付けばわたしは大きな笑い声を上げていた。笑い声を上げることができたなんて、一体いつぶりだろうか。すれ違う人に怪訝な顔をされながら、わたしは大声で笑い続ける。


 五分ほど経って、笑うのをやめた。

 もう一度笑おうとしても、いつものように口角が無理やり上がるだけだった。

 代わりに、


「……蜂蜜、」


 口から、愛しい人の名前が零れ落ちた。


「あなたに、会いたいです……」


 両手に顔を埋める。美しい蜂蜜の姿を、暗い視界で何度も再生する。

 可愛い。可愛い。可愛い。とっても、可愛い。


 指の隙間から真っ赤な夕陽が見える。蜂蜜の唇のような、きれいな赤だった。

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