第9話 恋心
週末、約束した待ち合わせ場所の近くまでたどり着いた。
鼓動が少し早まっている。いつの間にか急ぎ足でここまで来ていたようだ。
スマホのカメラで乱れた髪を整える。
よしっ今日の私は可愛いのだと気合を入れてから、周囲を見回した。
先輩のことだ、もしかしたら早めに来ているかもしれない。
そう思って探していると、いつものように本を真剣な顔で読む先輩を見つけた。
いつもとは違う場所、違った姿で座る先輩は何だか新鮮で特別感に自然と心が躍る。
さっそく、先輩に声を掛けるのだった。
「こんにちは、先輩!ごめんさない、お待たせしましたか?」
何時から来ていたのだろうか。
約束の時間にはまだ早いが、待たせたかもしれないと思って謝る。
先輩がそっと頭を上げ、私に気づいて明るい表情になる。
「こんにちは、平野さん。俺が早く来ていただけだ。
それに本を読んでいたからな、待っていたつもりなはいよ。」
焦がすような気温とは裏腹に、穏やかな笑みで安心させるように言う。
言動はいつもの先輩だが、いつもとは違う状況と場所が新鮮で、つい笑ってしまう。
「ふふっ予想外の返答ですね。こういうときは、今来たところだって言うのがお約束じゃないんですか?」
浮足立った心にまかせて揶揄うように聞いてみる。
「うん?……確かにそういうのもあったな。んんっ、実は今来たところなんだ。」
少し考える素振りをして、声を整えてから戯けたように言う。
「あら、先ほど見かけたときは、本を読んでいませんでしたか?」
同じように先輩のお巫山戯に乗っかかり、芝居がかった調子になる。
すると、先輩が待っていたと言わんばかりにニヤリと口角を上げた。
「それは言わないのもお約束じゃないのか。」
してやったりといった表情に、一瞬呆気に取られるが悔しい気持ちが滲みだす。
「お約束で返してくるとはやりますね先輩。」
そう言って先輩の顔を見る。
真剣な顔で見合っていたが、どちらからともなく笑いがこみ上げてきた。
なんてことはない、くだらないやりとりに2人して笑い合う。
喧騒に穴が空いたような、2人だけの空間が出来上がっていた。
「さて、そろそろ行くか。」
そう言って立ち上がったのを見て、ついあっと声を上げてしまう。私服で会うのは初めてのはずだ。
昨日の夜、友人が眠気で曖昧な返事をしだすまで、付き合ってもらったのだ。
せっかくだから可愛いと言ってもらいたいけど、先輩にそんな事をわざわざ言わせるのは申し訳ない気持ちがある。
声を上げたのに黙り込む私に、心配した目で忘れ物かと聞く先輩に気持ちが焦る。
もえなるようになれと、服の端をつかんで先輩に見せるようにする。
「その……どうですか?」
鼓動が大きく聞こえる。蝉の声が妙に耳についた。
つい言葉足らずになった私に、首を傾げつつも仕草から服装について聞かれているのだと察した先輩が、自分の頭を撫でる。
「ああ……そうだな、その、平野さんと夏の雰囲気に合っていて似合ってる……と思う。」
慣れていないのだろう、珍しく言葉に詰まりながらも一生懸命に言葉を選ぶ。
こういうときは素直な先輩が本当にそう思っているのだと感じて、体全体の血の巡りが早まるのを感じる。
「そのっ!……可愛いですか?」
その言葉が聞きたくて、勢いにまかせて聞いてしまう。
「ああ……可愛い……な?」
顔をそらした先輩の耳は赤さから、お世辞ではないとわかる。
そんな姿と可愛いという言葉に、どうしようもなく心臓が飛び出しそうなほど高鳴る。
「ありがとうーーーございます。」
きっと私の顔は夏の暑さでは言い訳出来ないほど赤いのだろう。
先輩との沈黙は苦ではないはずなのに、今だけは気まずい雰囲気が流れていた。
ぎこちなく行こうかという先輩に、上擦った返事をしてついて行く。
この気恥ずかしさが陽炎に溶けてくれたらなと思うのだった。
しばらくバスに揺られて、降りた先にある向日葵畑へと向かう。
向日葵畑が目に入った瞬間、圧倒された。
2m近い背丈に人の顔より大きな花が爛々と咲いていた。
頭上の太陽に負けず劣らず煌めいて、風に靡く姿はまるで押し寄せる恒星の波だ。
つい、空いた口に手を当てて見入ってしまった。
「いいだろう。この活力漲る向日葵畑。」
驚く私に満足そうに言う先輩にコクコクと頷くことしか出来ない。
「近づこう。畑の中に道があるんだ。」
そう言って先導する先輩に、連れられるままに付いて行く。
「この力強く咲く向日葵に囲まれて、深呼吸すると何だか活力を分けてもらえる気がするんだ。」
声を弾ませて言う先輩は明るいはずなのに、どこか儚くてそのまま向日葵の中に溶けていきそうな気がした。
だからだろうか、つい、先輩の服の裾をつかんでしまう。
先輩がどうしたと振り向いて聞いてくる。
「いえ……何だか先輩が居なくなりそうな気がして……。」
そう言う私の影は向日葵の影と交わっている。
先輩は不思議そうな顔をしていた。
「なんだ?置いて行ったりはしないさ。
今日はまだまだ見る所があるからな。」
少し勘違いした先輩が私を宥めるように優しく言った。
よかった、いつもの先輩だ。
そう感じると先ほどの陰りも霧散する。
「そうーーですよね。ちょっとぼんやりしてました。」
頭を振って気を取り直す。
「そうか、暑いからな写真撮ったら近くで休もうか。」
向日葵畑で何枚か写真を撮った後、近くのカフェに入る。
中は冷房が効いていて自然と力が抜けた。
「涼しい部屋に入ると改めて暑さを感じるな。」
アイスコーヒーを飲みながら言う。
「ですね。冷たい飲み物が体に染みます。
あっここからも、さっきの向日葵畑が見えますよ。」
窓側の席だとちょうど、向日葵が陽炎に揺れ動くのが見えた。
「おお、確かに。窓が額縁になって、空と道と向日葵を切り取った絵画みたいだな。」
絵画か……いいな。
風情のある景色ぐらいに思っていたけど、先輩にとってはどんなものも煌めいて見えるのだろう。
その事に羨ましいなと思った。
世界を美しく見据える目と、先輩の心に残る風景に少し暗い気持ちが宿る。
「良いですね、絵画!タイトルをつけるなら……シンプルに向日葵畑とか?」
自分を気持ちを誤魔化すように声のトーンを上げて話す。
「シンプルなのも余白があって良いな。俺がつけるなら……小窓の夏とか?」
若干、誇らしげに言う先輩にそれっぽいですねと返し、そのも夏らしい物といえばと他愛のないな話が続いていく。
すると、さっき向日葵畑で撮った写真の話になる。
「やっぱり、向日葵と少女の構図はいつの間にか無くなりそうな儚さと青春感があって美しな。」
感慨深そうに言う先輩。さっき撮ったのだからそこに写る少女は私だ。
構図の情緒的な話をしているのだから、私自身のことを言っているわけでないとは分かっていても、体が熱を帯びる。
「そ、そうですね。夏ってどうしてか、懐かしさというか物憂げな感じもありますよね。」
私の熱でグラスの氷が溶け出す前に、違う話へと道を逸らす。
「確かにあるな、明るすぎる陽射しのせいか?光が強い分、陰も濃く写ってしまうのかもな。」
「ああ、何となくわかります。明るさで彩度が上がって、記憶に残るから懐かしさみたいなものも感じるのかも?」
こうして穏やかに会話していると、今日が休日で2人でお出掛けに来ているというのを忘れそうになる。
それぐらい、一緒にいるのことが当たり前になってきていた。
そして、長居したカフェを出て今日の目的である夏らしいものを探しに色々な場所を巡ったーーー。
「ちょうど木陰になっていて、風が気持ち良いな。」
「ですね。それに、川の流れる音がに癒されます。」
川沿いを散策したり。
「わわっ、ウォータースライダー楽しそう!人も沢山で賑わっていますね。」
「ああ、子どもや家族、友達同士、カップルなんかの楽しむ声も夏らしいな。」
賑やかなプールを眺めたり。
「ぐわっ、頭がキーンとなって……。」
「ふふっ、気をつけないとですよ。あっ先輩どうですか、私の舌は水色でふか?」
道端のかき氷屋さんに入ったり。
「太陽を反射してキラキラしてますね。」
「だな、それに規則的な波の音が心地いい。」
海岸でベンチに座りぼんやりしていた。
あ
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、最後の地元近くにる神社へと着く。
鳥居から上に行く階段の両脇に紫陽花が咲き誇っていた。
灯籠のように煌めく紫陽花はまるで、来訪者を出迎えるようだった。
「綺麗……それに場所も相まって神秘的です。」
綺麗。純粋にそう思えて口から溢れる。
「そうだな、毎年、大きな綺麗な紫陽花が咲くんだ。」
秘密を教える少年のように嬉しそうな笑みを浮かべる。
毎年来る場所。そんな先輩の日常の一端となれたようで嬉しく感じる。
「上から見るのも乙なもんだ。上がって見よう。」
そう言う先輩に付いて行くとポツポツといつの間にやら、陰っていた空から雨粒が落ちてくる。
湿気た土の匂いが強まった。
「取り敢えずあそこに避難しよう。」
先輩に引かれて、神社の軒下へとお邪魔する。何とか濡れることは免れた。
だか、軒下はあまり広くないため、距離が近くなる。
いつか一緒に傘を共にしたときを思い出してしまった。
あの時よりも近い肩が触れ合う距離に鼓動の音が大きくなっていく。
どうしよう……私の肩から心音が伝わっていないだろうか。
先輩のほうを見ようにも、熱を帯びた顔を見られるのは恥ずかしい。
「すぐに止むといいんが、寒くはないか?」
そう言う先輩に大丈夫だと私が答えてから、お互いにしばらく無言となる。
雨が降る音に包まれて、虫の鳴き声すら聞こえない。
喧騒から切り離された2人だけの空間は、静かだけど温かく何物にも代え難いもので、いつまでも続けばなと思った。
先輩はどうなんだろうと思い横をチラリとと見る。
真っ直ぐ前を向いて、物思いに耽るように遠くを見つめていた。
その横顔が、いつも部室で見るものと同じで出会ってから今日までの日々がよぎる。
真剣に考えるときの眉間の皺。
笑うときに目を閉じる癖。
失敗を穏やかに受け入れてくれるところ。
感想を語るときの言葉。
電気越しの声。
そんな色んな先輩の姿を思い出した瞬間、
好きだなーーーそう自然と心の底から溢れた。
気づいたらもう止まらない。
彼の隣を歩きたい、彼にもそう思ってもらいたい。
これが恋なんだと思ったら何というか腑に落ちた。
相変わらず心臓はうるさいが、今はそれさえも心地いいものに感じる。
思いに浸っていると雨が止んで、雲間から光が射し込む。
2人でいたい私の願いは届かなかったみいだ。
「また、降られる前に帰ろうか。」
そう言って、軒から離れた温かさに寂しさを感じる。
「そうですね……。あっ!雨に濡れた紫陽花がーー。」
濡れた紫陽花が光を反射して、美しさを増していた。
まるで、祝福されているかのようだ。
「……綺麗だ。雨上がりの景色も好きだな。」
少し言葉を失っていた先輩がそう言った。
「私も好きです。」
まだ、この恋心は伝えられないけど先輩が私を好きになってくれる日を夢見て、はにかみながら真っ直ぐ恋を隠した好きをと伝えるのだった。
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