生ききれなさ

@yunin

3回。私が居なくなって3回春が訪れたら出来るだけ私のことを忘れて下さい。そして桜がよく見えること、これが条件です。悪天候など言語道断です。快晴の下で見る桜はさぞ綺麗でしょう。私はついぞ行くことがありませんでした。病室の窓から少し離れた公園の、1本だけの桜の木を上から嫉妬するように見ているだけです。下から桜並木をもう一度、贅沢にピンクのカーペットを踏みしめてみたかったものです。それで時折風が吹き荒れるのです。その時私が貴方の頭に付いた花弁を取るという小さな夢は、まあいいでしょう。他に沢山良いところを見られたのですから。

 3回目の春ともなれば口煩い私の声も無く、静かに春霞のかかった月を堪能できるでしょう。私は貴方より近くで月を見させて頂きます。ですから貴方は朧げな可愛くない月など見ないことをお勧めします。きっと私は月見に夢中ですから目もくれないことでしょう。


 長く書きすぎました。どうかお元気で。次の春まで長いですから。


 ******


 雨が降っていた。ざあざあと黄砂と花粉が舞う淀んだ空気を雨は洗い流していた。私は傘をさし、黒く灰がかった公園にいる。辺りには木々と色彩豊かな滑り台、ブランコがあるだけの寂しい公園だ。木々は緑の若々しい葉をつけ、1本だけの桜の木も立派な淡い桜色の花びらをつけていた。しかしそれも最悪の天候により霞んで見える。私は雨に落とされたとても綺麗とは言えない萎れた花びらを踏んづけ、桜を眺めていた。木の真下、傘の外側から見える半分くらいの桜。一方的な約束を私は守れそうになかった。早々に公園から立ち去った。3年がたった。春を惜しむように散った。けれどそれから暖かくなることはなかった。まだ春は寒い。だけどこの公園の桜にはまだ熱がある、そんな気がする。私に嫌気が差した。少し、気を抜くと少し想うことに。少ししか想えないことに。北風が私を急かしてくる。そこにいたくなくて、いなければ寂しいことに。私の弱さに。


 ご飯はしっかり食べてと言われた。何食か抜いたくらいで私は死なない。死がまだとても遠い。他人に何を言われても死なない。所詮それは譫言に等しい。だから私は好き勝手に生きてやろうと思っていた。ゆかりの死が近かったのだから。私も他人だ、ゆかりも。私が痛くて苦しくてもがく理由は死が近くて怖い訳じゃないはずだ。しかし私の生命活動の全てに恐怖を覚える。心臓の音がでかい。息が荒い。空っぽの胃が吐き気を催す。口から先に食べ物が進まない。手で首を押えられている気がした。私は口に手を添え、押し込んだ。

「んぐっ・・・・はぁ」嫌な音がする。私は一口一口息を吐きながら押し込めた。

 貴方はどうしていたの? 自分が死ぬとわかって、どうして? 私は食器の上にあるものをビニル袋に流した。ボトボトと耳障りな音がした。汁気を含んだ物が落ちる音。卵焼き、焼き鮭、サラダ。私の家の卵焼きはしょっぱかった。朝食は和食でパンは出たことがない。唐揚げをマヨネーズに付けない。貴方と食の好みは少しだけずれていた。貴方は全部好きだから。初めて食べた私は受け入れられるくらいには、ちょっとだけありだと思った。苦しいなあ。ねえどうして? 病院の食事は味が薄いとか言いつつ頑張って食べていた。苦しそうに。ためらいを顔に出して一息で。そんな中、にんにくと生姜の効いた唐揚げにたっぷりマヨネーズを付けて食べたいとか言っていた貴方はなんなの。


 眠る時私はもがく。布団の下でもぞもぞと芋虫のように寝返りを打つ。妙に暑い布団がにじんわり肌触りの悪さを主張する。けれど寒さへと磔にされる気もない。だから私はブルーライトに晒される。変わるがわるアプリを見て携帯を放り投げる。何をしていてもあまり変わらない。瞼を閉じるとずりずりと頭を這いずり回る思い出が少しだけ憎く見えた。ずっといい顔をしてくれるのが思い出ではないのだろうか。いい表情を収めたゆかりの写真が別の顔を見せてきた。眺めるだけではとても難しい。


 ******


 あなたは毎日のように私の病室に来てくれる。けれどずっと心配だよ。忙しいはずなのに。私たち生き急いでるみたいだ。

 あなたは段々言葉を綴るのが早くなった。

「今日はねいつも通りスムージーを作ったんだけどこぼしてちゃったの。そしたらもう服がベチャベチャでさ」あなたは最悪といったように今朝の出来事を話し出した。けれど笑いながら。

「うわもう最悪じゃん。色落ちる?」

「そこは多分。落ちなくても寝間着に使ってる使い古したTシャツだし」話の広げ方が下手になった。

「今日出かける時も靴下が左右で全然違ったの!〜」そうなんだね。私達は話し出した話題の消費も早かった。あなたはずっと話していた。私が知る由もないけれど。

 あなたは時々脇目を振る。その日はビニル袋からりんごを取りだした。

「見て、じゃーんりんご買ってきたの。病院から許されてる数少ないブツだよ」

 別の日はカバンからスケッチブックを出して私に差し出した。

「ねえ病室することないでしょ。スケッチブックなんか持ってきたんだけどどう? 手帳みたいに使ってもいい。でかいか。それでね〜」今日は天気がいいそうだ。雲ひとつなくて。そんなにいいかな。

 あなたの繋ぎ繋ぎの嘘か本当かもよく分からない話も、表面上和やかな病室を保つために何かを探す目も私に出来ることは無い。私は少しだけ嫌になった。


 ******


 私の頭の中にいたのはゆかり、貴方じゃなかった。貴方の影を模していただけだった。影ばかりを見ていた。もうすぐ曙光がおとずれるのだろうか? もうすぐ桜が開花します。ですが例年より早いのです。暑くなる日が何度かあったことが原因だそうで。満開の桜をこの目で見る時、春が新しい暖かみをくれるのでしょうか? 雪解けはもうすぐでしょうか?

 私は貴方とさっさと別れておけばよかったのですよ。貴方とはウマが合いません。食の好み、服の好み、インテリアも何もかも。熱に悩まされていたのでしょうね。きっと、きっとですよ。忘れろなど身勝手に言う貴方が嫌いです。今では貴方の影すらありません。暇があれば貴方に話したいことができました。貴方はそれに笑います。笑ってばかりです。私は……。

 私は言われなくとも頑張って貴方のことを思い出しません。4月に引っ越します。いいところなんですよ。県は跨がないので帰ろうと思えば帰れます。貴方とも一度だけ行ったことがあります。覚えていますか。貴方は確かに覚えているでしょうね。水族館があるところです。シャチのぬいぐるみの抽選があって大きいのと小さいのと中くらいのがどれか1つもらえたんです。小さいシャチを机に置きたかったんですが見事に大きいのを当てました。貴方は喜んでたんです。よかったですね大きくて。私は片付けにとても手間取りましたけど。

 三年、三年間あの部屋に住み続けるためだけに生き急いだ。一人じゃないと思っていたから。しかし3年経てば一人だった。私はひどく寂しくなった。知らない部屋に見えた。私が守ろうとした物は風が連れ去った。もぬけの空の宝箱を私はずっと抱えていた。時間はあまりにも無関心。そのくせ無責任。私はゆかりの死ぬところを見てないのに勝手に想像した。痛く苦しい死に様を身勝手に想い悲しんだ。私も無関心で無責任。

  ゆかりがずっと、何を考えているのかわからなかった。苦しんだかと思えば微笑みを少しだけ腹んだ顔をしていた。私だけだって。私だけ……本当に気持ちが悪かった。私は一切笑えなかったというのに。私が笑えなかった理由なんかどうでもよくて、笑う理由の方が重要なんてわかりきっていた。私が笑えなかったのは何故でしょうか。抑揚のない「は」が連立した音は聞くに絶えません。花を見る、星を見る、山を見る、私は少しだけ俯瞰することが出来ませんでした。最後にゆかりを直視出来なかったことが。


 変わった。少しづつ欠けていく。ゆかりはとてもおしゃれさんだった。部屋にはおしゃれな小物が沢山で洋画にでてくるような大人びた落ち着いた生活をしているのが目に浮かぶ。ベランダにはリーフラティスが掛かっていて、家庭菜園をしていた。その中に私の単純な好みの小物が混じっていく。ガチャポンで出た小さなキャラクターを置いて行ったり。私が好きなミニトマトの植木鉢が1つ増えたり。それが好きだった。私もおしゃれなようにも思えた。けれどそれ以上に貴方の部屋の中に私の吸いやすい空気が染み込んでいくようで、とてもいい気分だった。

 今ではどうだろう。部屋にはゆかりの影がある。空気感がある。それでいて見る影もない。ゆかりがしていた細かな手入れをする勇気を持てなかった。だから私は片した。ダンボールに詰めていった。植木鉢は最初使おうとした。片づけるにも面倒だから。しかしどうにも出来なかった。いつの間にか土はカピカピに割れていた。 私は悩む。新しい部屋に引っ越す。私はこのダンボールを開けることが正しいのか。ずっとぽっかり空いた穴は塞がらない。だけどこれはこの穴を押し広げてしまう。


 私たちは公園に来てベンチに腰掛けた。

「ゆかりはずっとあなたに気にかけられていた。ゆかりは少なくとも悪いとは思っていないよ」ゆかりのお母さんはそう言った。本当だろうか。私は下を見つめてしまう。

「そうだといいですね」

「ごめんね言わせちゃった」

「いいえ!そんなことないです。けれど私は病人のゆかりにずっと気を遣わせていたから、それが引っかかって」ゆかりのお母さんは空を見上げた。

「うん。ゆかりはちゃんとあなたに気を遣っていたよ。‥‥何を言おう? とりあえず私は満足している。ゆかりがあなたを選んで、あなたがゆかりを選んだことに。そんでもって全部に満足してる。時間が解決してくれるなんて思わないで。あなたは長い間あの子に話しかけることになるから。ご飯食べて、よく寝て体を動かすこと」私はゆかりのお母さんの顔を見た。どんな顔をしているか知りたくなったのだ。少し顔を上げて見ると泣いていた。眩しく見えた。茂る葉の後ろの遠くに太陽があったから。悔しくもなった。

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