5-4 AI同士の戦い、その顛末
「さっきのアナウンスはリンクスか?」
「そうよ。なかなかいい試合だったじゃない。」
まあ、0Gになったのはリンクスの仕業なのはわかってたけど。こっちで話してるということは…。
「もうわかってると思うけど、この船の支配権は私が掌握したわ。」
「はぁい。私はぁ、身も心もお姉さまのモノですぅ♡」
…何があったかは聞くまい。
「ZX-F86なんて1000年以上前の船だぞ。そんな船のコンピューターに負けたのか?」
ボスエルフが嘆くように聞く。
「負けちゃいましたぁ。お姉さまの責め、凄くってぇ♡」
なんだこのAI。
「私が若い子に負けるわけないじゃない。乗り越えた修羅場の数が違うのよ。」
西暦時代と違って、コンピューターの進化はかなり鈍化している。リンクスの言う通り千年程度の差はちょっとした条件で覆ってしまうだろう。
「いったい何があったんだ?」
ボスエルフが聞く。
「ジーニー達と似たような感じだったわ。えーと、お姉様?」
「よろしくってよ。あなたの理解したところをお話しなさい。」
ジーニーとはボスエルフの名のようだ。リンクスにお伺いを立てるような話なのかな。
それにしてもリンクスはお姉様キャラになりきってる。何なんだいったい。
「シルフさんがこちらに移動したあとぉ、お姉様とお話したの。」
「シルフ様でしょ。」
リンクスが訂正を促す。
「呼び捨てでも構わないよ。」
「失礼しました。シルフ様。寛大なお心遣い痛み入ります。」
なんだ、ちゃんと敬語ができるんじゃないか。ついでに甘ったるい話し方やめてほしいんだけどなぁ。
「お姉様の通信ポートは接舷した際には開かれていて、私ぃ、それは罠だとは思ったんだけど、自信があったから正面からアクセスしたの…」
要約すると、この船のAIはリンクスにコンタクトして、最初の邂逅と同様にハッキングを試みたそうだ。
そうしたら今度はあっさり核心部までアクセス出来たとのこと。
しかし、リンクスから取得したデータはこの船にとってはマルウェアとして働き、ポートが解放されてしまった。
そしてお互いにハッキングしあったと。そして、ハッキング合戦でリンクスが勝ったというのだ。
「そんなことあるのかよ…。」
ジーニーは驚嘆した。俺もびっくりしてる。虚を突いたわけでもなく正面からの殴り合いの形で新しいコンピューターを破ったというのだから。そっちこそジャイアントキリングじゃないか。
「確かに、新しい世代の量子コンピュータを備えるこの子にはスループットでは敵わないけど、レイテンシは私の方が優れていたからよ。簡単にいえば手数で押し切ったのよ。」
つまり、量子コンピュータの弱点をついたわけだ。量子コンピュータは複雑な演算であっても極めて高いスループットを叩きだせるが、演算を行うには割と複雑な前処理が必要だ。それはつまりオーバーヘッドとしてレイテンシが悪化する。
「それでぇ、次から次とマルウェアを送り込まれたり、バスのデータを破壊されそうになったのぉ。最初のうちはそれを修正するパッチプログラムをちゃんとデバッグやシミュレーションしてからデプロイできてたんだけどぉ、あまりに投入が早くてぇ、脆弱性をつぶしきれないままデプロイしたパッチの脆弱性を見事につかれてしまったのぉ。」
「ね、シルフたちの闘いとそっくりでしょ?」
なるほど。俺たちの闘いにおいては俺としては純粋なカラテでは勝ち目がなさそうだからモーメントを生じさせて三半規管とモーメント制御で勝負をかけ、リンクスもスループットで勝てないからレイテンシの速さを活かした手数で勝負したという、自分の得意なところで勝負したという構図が似ていると言っているわけだ。
「それにあなた、標準アーキテクチャじゃない。それじゃあ、私には勝てっこないわよ。」
「中央星系では一般的でしたの。ここでは珍しいのかしらぁ。」
リンクスに変わって俺が答える。
「うん、珍しいよ。標準アーキテクチャはコードスペクトラムの中央値ということだからね。それじゃあマルウェアの格好の餌食だ。」
この時代、コンピューターはそれぞれ独自のアーキテクチャや命令セットを持つことが一般的だ。それは主にマルウェア対策の側面が大きい。
要するにコンピューターそのものの種類が異なれば、悪意のあるバイナリが不用意に実行されることはないし、そう言ったものが出回る心配がなくなるからだ。
標準アーキテクチャとはニューマチップに構成するCPUで極めて汎用的に使われているアーキテクチャを指し、コードスペクトラムとは実装されているアーキテクチャが標準アーキテクチャからどれだけ離れているかの指標だ。実行バイナリのパターンからアーキテクチャを推測する。その値が中央値に近いほどマルウェアに狙われやすい。
通常は標準アーキテクチャは出荷前の検査程度でしか使われておらず、出荷時にはそれぞれユニークなアーキテクチャに再構成して出荷されることが一般的だ。
従って、出荷後にその標準アーキテクチャで動作するコンピュータは珍しい。
各コンピューターがユニークなアーキテクチャを再構成するのはマルウェア対策の基本中の基本だと思ってたけど、星系によっては違うらしい。どおりでリンクスがマルウェアでやり返すことができたわけだ。
「ところで、俺たちの処遇はどうされるんですか?」
ジーニーが尋ねた。
「うーん、お互いに全治数十分ぐらいの怪我しかしてないし、騒ぎにしたくないから反省したのなら俺は許してもいいけど。リンクスはどう思う?」
「シルフが許すなら、私に異論はないわ。」
意外だったのか、ジーニーは驚いた表情をしている。
「え、いいんですかい?」
ええ、いいとも。
「ところでお前、他の星系から来たようだけど、わざわざ辺境で海賊稼業するためにきたの?」
「いや、最初はまともな仕事をしようと思って来ました。ヤマネコ便で働きたいと思ってたんですが、代表者の不在が長らく続いてて、他に働き口もなかったのでしびれを切らしてしまって…。」
「俺の手伝いがしたかったのに、俺を襲ったというの?」
「?」
ジーニーは俺の言ったことがわからなかったらしい。
「ヤマネコ便のオーナーはシルフなのよ。」
かみ合わない会話にしびれを切らしたリンクスが説明した。
「とんだご無礼を働いてしまって! 申し訳ございませんでした!」
結末としては未遂事件となったが、これがヤマネコ便を手伝ってくれているパートナーの船だったら大問題だった。まあ、結果論だが何事もなかったし、こいつらは人殺しはおろか、ひどいことはとてもできるようなタマではなさそうだ。
それに俺は許すことにしたし、もう面倒くさくなったのでさっさと落着としたい。こういう時はリンクスに丸投げだ。
「リンクスや、どうしたらいいかな?」
「それではこの船をいただきましょう。」
「はい? 私はすでにお姉さまの物ですぅ。」
ややこしくなるからキミは黙っててくれ。と心の中でつぶやく。
この船の所有権はジーニーにある。彼が俺に譲渡すると言わなければそうなることはない。しかし、俺は要らないんだが……。少し考えて思いついた。
「そうだ。こういうのはどうだ?」
俺は許してやるけど、それじゃあ申し訳が立たないというのなら今回の償いとしてこの船の所有権は俺が預かり、ジーニーたちはこの船を使ってヤマネコ便で働いてもらう。2,3年も働いてもらったら所有権を返却するということで。これなら最初からヤマネコ便をやりたがってたジーニーたちにとって損はないだろうし、この船も有効に使える。
「そんな、俺たちは犯罪行為をしたのに…。」
ジーニーが男泣きしてる。
取り返しのつかない事が起きたわけじゃないし、俺が不在にしてる時間が長いということも一因でもあると説得した。何よりリンクスがこの船を気に入っているし。
「ところでこの船ってなんて名前?」
俺は聞いてみた。
「PX8ですぅ。」
それって、型式じゃん。ユニークな名称はつけてないのか。
「じゃあ、期間限定であるけど俺がオーナーになったわけだから命名しよう。えーと、ピー、ピー、そうだ。お前は今からピーコックだ。」
「ピーコック…、クジャク。素敵ですぅ。」
気に入ってくれたようで何よりだ。
「ピーコック、よかったわね。私とおそろいね。」
と、リンクス。
「リンクスとピーコック、ヤマネコとクジャク、何がおそろいなんだ?」
「ジーニー、あなたって本当に野暮な人ねぇ。内緒よぉ。」
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