変わった人

匙湾 慶

プロローグ

「お前は本当に『変わった人』だな」


 昔からよく、周りにいる人からそう声をかけられていた。

 小さい頃はその言葉の意味がよく分からず、何が変わっているのか理解できなかった。

 だからといって日常に特に支障はなく、自分自身としては普通の生活を過ごしていた。


 そもそも、変わっているか、変わっていないか、こんな概念は酷く脆いもので構成されている。


 例えば、9匹の黒猫と、1匹の白猫がいるとしよう。その計10匹の猫が広い部屋にいるとして、「この部屋の中にいる猫で、変わった猫がいるとしたらどの猫でしょう」と、問われると、全員が白猫を選ぶだろう。理由を問われると、1匹だけ白色だから、と答えるに違いない。では逆に、9匹の白猫と、1匹の黒猫がいて、その計10匹の猫が広い部屋にいるとして、同じように「この部屋の中にいる猫で、変わった猫がいるとしたらどの猫でしょう」と問われると、全員が黒猫を選ぶだろう。理由を問われると、1匹だけ黒色だからと答えるに違いない。


 思考で置き換えるとこうなる。マジョリティの思考を持つ人間が変わっていない人、マイノリティの思考を持つ人間が変わった人と呼ばれる。

 もしマイノリティ思考の人間が、マジョリティ思考の人間よりも多くなった場合、今まで変わっていない人というのは、突如、変わった人へと変化する。


 決定因子は本質ではなく数だ。

 例え正しくなくとも、その数が多ければそれは正しいとされる。


 このことが世の中ではよく起こっている気がする。

 民主主義というのが良い例だろう。

 民主主義は最善とされる政治的判断方法と思われがちだが、実際には、一番マシなシステムと言われているらしい。

 少し考えたら分かることだが、多数の意見が必ずしも少数の意見よりも優れているわけではないのだから。


 小学生になって、クラスの友達や先生が、自分の言葉をきっかけに傷ついたり、困ったりする姿を見て、自分が『変わった人』なんだということを自覚し始めた。


 自分の思考がマイノリティであるということを。

 でもだからといって、自分を変えようとは思わなかった。

 マイノリティというのは、ただ人数が少ないだけなのだから。


『変わった人』というのが、悪いというわけではないのだから──。

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