第12話

最後のロープを断ち切ると、ミスリル製の網は、重い音を立てて地面に落ちた。完全に自由になったグリフォンは、ゆっくりと体を起こす。その巨体は、改めて見ると、山のように大きく感じられた。


グリフォンは、まず最初に、バサリと一度だけ、その巨大な翼を広げた。黄金色の羽毛が、夕陽を浴びてキラキラと輝く。それは、俺が今まで見たどんな光景よりも、神々しく、美しいものだった。


俺は、ただ息を飲んで、その姿を見つめていた。一瞬、このまま襲いかかってくるのではないかという恐怖が頭をよぎったが、グリフォンは俺たちを一瞥しただけで、すぐに崖の下へと視線を移した。


そこでは、カイとミナが、ようやく雛を親の元へと運び終えたところだった。


「キュイ、キュイ!」


雛は、親の姿を見て、嬉しそうに鳴き声を上げる。親グリフォンは、その巨大な嘴で、優しく、雛の体を撫で始めた。怪我をした翼を、傷つけないように、そっと。


その姿は、ただの愛情深い、一人の親だった。魔物だとか、伝説の生き物だとか、そんなことは関係ない。子供を思う親の気持ちは、どこまでも純粋で、温かい。


俺は、その光景を、邪魔しないように、静かに見守っていた。


しばらくの間、親子の感動の再会が続いた。やがて、グリフォンは、名残惜しそうに雛から顔を上げると、再び俺の方へと向き直った。


そして、ゆっくりと、こちらへ歩み寄ってくる。一歩、また一歩と、その巨大な足が地面を踏みしめるたびに、ズシン、ズシンと、地面が揺れた。


カイとミナが、緊張した面持ちで俺の後ろに隠れる。俺も、思わず後ずさりしそうになるのを、ぐっとこらえた。


グリフォンは、俺の目の前で、ぴたりと足を止めた。見上げるほどの巨体。その瞳が、俺をまっすぐに見据えている。


俺は、逃げも隠れもしなかった。ただ、静かに、その視線を受け止める。


すると、グリフォンは、意外な行動に出た。


すっと、その巨大な頭を、下げたのだ。それは、明らかに、感謝と敬意を示す仕草だった。


「……礼には、及ばないよ」


俺は、少し照れくさそうに、そう言った。


グリフォンは、頭を上げると、今度は自分の翼に嘴を差し込んだ。そして、一枚、ひときわ大きく、美しく輝く黄金の羽を、器用に引き抜く。


そして、その羽を、俺の足元に、そっと置いた。


「これは……?」


「ケン、すごい!グリフォンの羽だよ!伝説のアイテムだ!」


カイが、興奮した声で叫ぶ。ギルドの資料によれば、グリフォンの羽は、最高級の矢の材料になったり、強力な魔法の触媒になったりする、非常に価値のある素材だという。


「治療費の、つもりか。だとしたら、貰いすぎだ」


俺がそう言うと、グリフォンは「何を言っている」とでも言うように、俺の顔をじっと見つめた。


それだけでは、終わらなかった。


グリフォンは、次に、おもむろに自分の太腿に、鋭い爪を立てた。そして、ザクリと、躊躇なく、自らの肉を抉り取ったのだ。


傷口からは、鮮血が流れ出る。だが、グリフォンは、痛みを感じさせないかのように、平然としていた。


そして、その切り取った肉の塊を、俺の前に差し出した。大きさは、俺の頭ほどもあるだろうか。美しい赤身で、見るからに上質な肉だということが分かる。


「……約束、だからな」


俺は、その肉を、両手で、恭しく受け取った。ずしりと重い。これが、伝説の食材、グリフォン肉。


「ありがとう。大事に、使わせてもらう」


俺がそう言うと、グリフォンは、満足そうに、一度だけ短く鳴いた。


用は済んだとばかりに、グリフォンは雛の元へと戻ると、その小さな体を、優しく嘴で咥え上げた。そして、翼を広げ、力強く羽ばたく。


巨大な体が、ふわりと宙に浮いた。グリフォンは、空中で一度だけ、俺たちの頭上を旋回した。それは、別れの挨拶のようにも見えた。


そして、あっという間に、山の頂の向こうへと、その姿を消していった。


後に残されたのは、一枚の黄金の羽と、一つの肉塊。そして、俺たち三人の、呆然とした顔だけだった。


「……行ったな」


「うん……行っちゃった」


「なんだか、夢みたいだったね……」


俺たちは、しばらくの間、グリフォンが消えていった空を、ただ黙って見上げていた。


こうして、俺たちの無謀とも思える挑戦は、誰も傷つくことなく、予想以上の成果を上げて、幕を閉じた。


俺たちは、すぐに下山の準備を始めた。幸い、帰り道は、登りよりもずっと楽だった。目的を達成したという安堵感と、自信が、俺たちの足取りを軽くしてくれていた。


グリフォンの肉は、俺が持ってきた保冷機能のある袋に入れ、大切に運んだ。黄金の羽は、傷つけないように、丈夫な布で何重にも包んだ。


「ケン、このお肉、本当に食べられるの?」


帰り道の野営で、ミナが不思議そうに尋ねた。


「ああ。王都から来る偉い人たちに、食べさせてやるんだ。きっと、腰を抜かすほど驚くだろうな」


俺は、焚き火の炎を見つめながら、そう言って笑った。


シダーブルクの街に戻ったのは、出発してから、ちょうど一ヶ月が過ぎた頃だった。街の門をくぐると、ゴードンさんとマーサさんが、鬼の形相で駆け寄ってきた。


「ケン!お前たち、今までどこをほっつき歩いてたんだ!心配したじゃないか!」


「ご、ごめんなさい……」


二人の剣幕に、俺たちは縮こまるしかなかった。どうやら、手紙の一つも出さずに一ヶ月も留守にしたことを、本気で心配してくれていたらしい。


宿に戻ると、マーサさんが作ってくれた温かい食事を囲みながら、俺は今回の旅の経緯を、洗いざらい話した。


グリフォンと出会ったこと。その子供を助けたこと。そして、その礼として、肉と羽を貰ったこと。


俺の話を、ゴードンさんは、最初は半信半疑で聞いていた。だが、俺が実物を見せると、その表情は、驚愕へと変わっていった。


「こ、これが……伝説の……グリフォン肉……!?」


ゴードンさんは、震える手で、肉の塊にそっと触れた。料理人としての血が騒ぐのか、その目は、獲物を見つけた狩人のように、ギラギラと輝いている。


「ケン、お前さん……一体、何者なんだ……?」


ゴードンさんの呟きに、俺は苦笑いするしかなかった。


翌日、俺はギルドへと向かった。サラさんに、依頼の達成を報告するためだ。


俺が受付カウンターにグリフォン肉を置いた瞬間、ギルドの中は、水を打ったように静まり返った。その場にいた全ての冒険者が、信じられないものを見るような目で、肉の塊を凝視している。


「け、ケンさん……これ、は……?」


サラさんが、震える声で尋ねる。


「依頼の品です。最高級の食材、ということで、用意してきました」


俺が何気なくそう言うと、サラさんは、ふらりとよろめいた。


「ま、まさか……グリフォンの、肉……!?そ、そんな、馬鹿な……!」


その時、ギルドの奥から、一人の威厳のある男が、姿を現した。がっしりとした体躯に、白髪混じりの髭。年の頃は、五十代だろうか。その鋭い眼光は、ただ者ではないことを物語っていた。


「騒がしいな、何事だ」


「ギ、ギルドマスター!」


サラさんが、慌てて背筋を伸ばす。彼が、このシダーブルクの冒険者ギルドを束ねる、ギルドマスターらしい。


ギルドマスターは、俺の前に置かれた肉塊を一瞥すると、その眉を、ぴくりと動かした。

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リストラされた俺が異世界で拾ったのは、もふもふ耳の双子でした ~アウトドア知識で快適スローライフを目指します~ ☆ほしい @patvessel

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