第11話

「グルルルルッ!」


網にかかったグリフォンは、憎悪に燃える瞳で崖の上の俺たちを睨みつけていた。その凄まじい力で暴れるたびに、ミスリル製の網が不気味にきしみ、固定している岩がメリメリと音を立てて崩れていく。


「まずい、このままじゃ網が破られる!」


俺の叫びに、カイとミナは顔を青くしながらも、必死に石を投げ続けていた。だが、そんなものは巨大なグリフォンにとって、小石をぶつけられる程度の挑発にしかならない。むしろ、その怒りを煽るだけだ。


どうする。このままでは、網が破られるのも時間の問題だ。そうなれば、怒り狂った伝説の魔物に、俺たちはなすすべもなく引き裂かれるだろう。


俺は必死に頭を回転させる。何か、何か打開策はないのか。俺の武器は、知識と発想力だ。正面からの力比べで勝てる相手じゃない。


グリフォンの目を見ているうちに、俺はふと気づいた。その瞳に宿っているのは、純粋な怒りだけではない。そこには、焦りと、そして深い悲しみのような色も混じっているように見えた。


そうだ。こいつは、ただ罠にかかって怒っているだけじゃない。自分の子供が巣から消え、その行方が分からないことに、取り乱しているんだ。


親としての、当然の感情。その気持ちは、俺にも痛いほど分かる。カイとミナを拾ったあの日から、俺もまた、この子たちの親代わりなのだから。


これだ。突破口は、ここにあるかもしれない。


危険な賭けだ。一歩間違えれば、俺たちは全員死ぬ。だが、この状況を打開するには、これしかない。


「カイ、ミナ!石を投げるのをやめろ!」


俺は二人に叫んだ。二人は、戸惑いながらも、俺の指示に従って石を投げるのをやめる。


「これから、俺が言うことをよく聞いてくれ。これは、ものすごく危険な賭けだ。でも、成功すれば、俺たちは助かるかもしれない」


俺の真剣な眼差しに、二人もゴクリと喉を鳴らした。


「ミナ、さっきの洞窟に戻って、雛の様子を見てきてくれ。カイは、俺と一緒にここからグリフォンに話しかける」


「話しかけるって……魔物に言葉が通じるの?」


カイが、信じられないといった顔で尋ねる。


「分からない。でも、やるしかないんだ。こいつは、ただの獣じゃない。高い知能を持った、気高き魔物だ。俺たちの意図を、感じ取ってくれる可能性に賭ける」


俺は覚悟を決め、網の中でもがき続けるグリフォンに向かって、腹の底から大声を張り上げた。


「聞け、偉大なる山の主、グリフォンよ!俺たちは、お前に危害を加えるつもりはない!」


俺の声は、風に乗って崖下に響き渡った。グリフォンの動きが、一瞬だけ止まる。俺の言葉に、耳を傾けているようだった。


「俺たちがここに来たのは、お前の子供を傷つけるためじゃない!むしろ、その逆だ!」


俺は続ける。隣でカイも、小さな体で一生懸命に叫んでいた。


「お願い!話を聞いて!」


その時、ミナが洞窟から戻ってきた。その顔は、不安でいっぱいだった。


「ケン!あの子、なんだか苦しそうだよ!熱も、あるみたい……」


なんだと?治療はしたはずだ。だが、素人の応急処置だ。傷口から菌でも入って、化膿してしまったのかもしれない。


まずい。このままでは、本当に雛が死んでしまうかもしれない。そうなれば、親グリフォンの怒りは頂点に達し、俺たちは絶対に助からない。


「カイ、ミナ。作戦変更だ」


俺は、さらに危険な賭けに出ることを決意した。


「二人で、あの雛をここまで運んでくるんだ。そして、親に見せてやる。俺たちが、あの子を助けようとしていることを、証明するんだ」


「そ、そんなことしたら……!」


カイが絶句する。無理もない。怒り狂った親の目の前に、その子供を連れていくなど、自殺行為に等しい。


「大丈夫だ。俺を信じろ。俺たちの善意が伝われば、きっと道は開ける」


俺は、二人の肩を強く掴んだ。その目には、一点の曇りもない。俺の覚悟を感じ取ってくれたのか、カイとミナは顔を見合わせ、そして、力強く頷いた。


「「わかった。ケンを信じる」」


二人は、再び雛がいる洞窟へと走っていった。俺は、その小さな背中を見送りながら、再びグリフォンと向き合う。


「いいか、グリフォン!今から、お前の子供をここに連れてくる!俺たちは、お前の子供の怪我を治療した!信じてくれ!」


俺は必死に訴え続けた。グリフォンは、俺の言葉の意味を理解しようとしているのか、苦しげな唸り声を上げながら、じっと俺の姿を見つめている。


やがて、カイとミナが、布に包まれた雛を、二人で協力しながら、ゆっくりと運んできた。その姿は、あまりにも小さく、健気だった。


二人は、崖の縁、グリフォンからよく見える位置まで、雛を運んだ。


「グルオオオオッ!」


自分の子供の姿を認めた瞬間、グリフォンは再び激しく暴れ出した。その目は、血走っている。子供が人質に取られたと、勘違いしたのかもしれない。


「違う!そうじゃない!」


俺は叫んだ。


「よく見ろ!お前の子供の翼を!」


俺の言葉に、グリフォンはハッとしたように、雛の翼に視線を向けた。そこには、俺が施した、白い包帯が巻かれている。


雛は、親の気配を感じたのか、「キュイ……」と弱々しく鳴いた。その声は、助けを求めるような、悲痛な響きを持っていた。


その声を聞いた瞬間、グリフオンの動きが、完全に止まった。


あれだけ暴れ狂っていたのが、嘘のようだ。ただ、じっと、自分の子供の姿を見つめている。その瞳から、先ほどまでの殺意と憎悪が、すうっと消えていくのが分かった。


代わりに宿ったのは、深い愛情と、心配の色。そして、俺たちに対する、戸惑いと、わずかな信頼のような光だった。


……通じた。


俺は、確信した。


俺はゆっくりと立ち上がり、両手を広げて見せた。武器を持っていないこと、敵意がないことを、体全体で示す。


「俺は、お前の子供を助けたい。そして、お前をここから出してやりたい。だが、俺たちも、ただで仕事をしているわけじゃない」


俺は、ゆっくりと、グリフォンに近づきながら言った。


「俺たちの依頼主に、最高の食材を届ける必要があるんだ。だから、お前の力を、少しだけ貸してほしい。もちろん、お前の命を奪うつもりはない。ほんの少し、お前の肉を分けてもらうだけでいい。それが、俺の子供を助けるための、治療費だと思ってくれないか」


あまりにも、虫の良い話だ。魔物相手に、交渉をしようなど、正気の沙汰ではないだろう。


だが、目の前のグリフォンは、俺の言葉を、確かに理解しているようだった。


グリフォンは、しばらく俺の顔をじっと見つめていたが、やがて、一つの答えを出したようだった。


こくりと、一度だけ、その巨大な頭を、縦に振ったのだ。


肯定。その意思表示に、俺は全身の力が抜けるのを感じた。


「……ありがとう」


俺は、心の底から礼を言った。


俺はナイフを取り出し、グリフォンを縛り付けている網の、一本のロープに刃を当てる。そして、一思いに、それを断ち切った。


網の一部が緩み、グリフォンの体が、少しだけ自由になる。


それでも、グリフォンは暴れなかった。ただ、静かに、俺の次の行動を待っている。


俺は、カイとミナに合図を送った。


「二人とも、雛を親の元へ返してやれ」


二人は頷くと、雛を抱え、崖をゆっくりと降り始めた。その姿を、グリフォンは、愛おしそうに、そして心配そうに見守っている。


俺も、残りのロープを、一本、また一本と、切り続けていく。


伝説の魔物と、人間と、獣人の子供たち。


そこには、種族を超えた、奇妙で、そして温かい信頼関係が、確かに生まれようとしていた。

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