第44話《釉ちゃん、頑張れっ!》
声優・歌内 釉(うたない・ゆう)こと、藍坂 祐奏(あいさか・ゆうか)は《raison d'être》を歌いながら、今、歌えることの幸せを嚙みしめていた。
「別世界にもう一人の自分がいて、魂を共有しているから、もう一人の自分が亡くなると、自分も死んでしまう」
防ぎようもなく、どうしようもなく不条理で、全く共感もできない死の理由だ。
(自分がいなくなったら、どうなってしまうんだろう)
会場に来る間も、そう思っていた。自身が主役を演じている、女児向けアニメ『ピュアピュア♡メロディーズ』を見ている人たちが思い浮かぶ。ショッピングモールのイベントで、吹替の自分の声が流れ、着ぐるみの《メロディーズ》が、敵の《ダークミューズ》と戦っているのを、子どもたちが応援していた。申し訳ないと思う。
アニメ『モノクロームトリガー』のヒロイン・小津 香澄(おづ・かすみ)役も交代になるのだろう。勝気でツンデレ。正義感が強い女子高生。でも、超能力者組織である《Anchors》の日本支部長で、超セレブ。多面性を持つ香澄だけど、代役は、どう表現するのかと思う。
(3年以内に、歩奏と約束したことは、叶えたかったな)
怖いけど、顔出しをしようと思ったのは「お姉ちゃんなら、女優もできるよ」と言われたから。やる前に、できないと思うのは嫌だったから、挑戦しようと思った。葦原 廻が一緒に顔出ししてくれると、後押ししてくれたのは嬉しかった。
(夢はたくさんあったし、やり残したこともあるわ。生きていたい。もっと、いい仕事をしたいって、強く思う。でも……!)
祐奏は思うのだ。それでも自分は幸せだと。
難病で動くこともできない同世代もいる。同じ夢を抱きつつ、諦めた同期もいる。
(わたしは、惜しんでもらえている)
振り付けをしながら、周囲が目に入る。手足の感覚はもう、かなり失われている。
「──迷子のように投げ出され 何度も泣いたけど」
祐奏の声が空気を震わせ、ピアノの余韻が寄り添って消えた。
右手で目を覆いつつ、その手を降ろし、膝を軽く曲げた。「何度も泣いたけど」で、両手で顔を覆う。今の自分だと思う。
(AKARIちゃんは、泣きながら配信してくれている)
(優奈ちゃんは、自分のイメージをかなぐり捨てて、わたしと向き合ってくれた)
(百目木さんは、証明もできない自分の16時44分に亡くなる、を信じて、このステージを整えてくれた)
そう思いながら、次の言葉を紡いだ。
「──この声だけは 折れなかった」
両手を顔から離し、喉元に当ててから、強く握りしめた。そこで、妹の藍坂 歩奏がステージ袖で同じ姿勢を取っていることに気づく。
(歩奏は、わたしの意志を背負って、歌ってくれるって──!)
「──I can't see the signpost!(標識は見えない)」
そう、強く発声した。高音の伸び、ブレスの瞬間、声の色を意識して切り替えていく。この歌の最後まで、身体が持つのかすら、見えない。足先の感覚はもう、ほとんどない。命が失われていく"実感"が、祐奏の一言一言を重くする。
「釉ちゃん、頑張れっ!」
祐奏の雰囲気から何かを感じ取った会場内の子どもが、泣きながら声援を発した。『ピュアピュア♡メロディーズ』で、祐奏が演じる「響野 律」のキャラクターTシャツを着た女の子。その一声がきっかけとなり、観客席からも、AKARIの号泣している配信を見て、会場近くにいる人たちからも、地鳴りのような声援が鳴り響く。
他の出演者が"歌う"のに対して、祐奏は物語を産んでいた。だから、多くの人が、本能的に"解って"しまった。感じ取ったのだ。祐奏が、
歌は1番のサビに入る。時間すら、一拍遅れて感じられた。
「──終わりにおびえる夜に ただ歌う ただ祈る」
両手を胸の前で組み、視線を落とした。右手を天に伸ばしてから、両手を合掌させた。歩奏と、何度も話し合って決めた振り付け。
「──その熱さだけが 僕の raison d'être !」
合掌した手を胸に引き寄せ、そして前方にゆっくりと開いた。
視線は観客席を向いた。観客たち、ゲスト、百目木、みんな自分を見つめていた。
(1番を歌い終えられた。神様、ありがとうございます! いま、多くの人が、わたしと向き合ってくれている。わたしは……幸せものだっ!)
もう数分も生きられない祐奏は、でも澄み切った心境にいた。《ゆうのお話工房》のグッズとして作ったシャツを、着てくれているリスナーが目に入った。
(……優奈ちゃん、歩奏。もし失敗したら、ゴメンね。でも、わたしは、歌手である前に"声優"なんだ)
2番が始まった。声のピッチ(基本周波数)を意図的に低くする。声の太さ(共鳴)も下げる。背筋を伸ばし、肩を張り、少し早めの口調をイメージした。
「──火を持ったことで 人になったように」
祐奏から発せられたのは、少年の声だった。
歌いつつ、右手を前に伸ばし、何かを掴む動作を入れた。AKARIの脳裏に、迷子になったエマを探し求めた瀧哉が、右手を差し伸べる絵が浮かんだ。
「成瀬 瀧哉くんの声っし! 信じられないっ」
AKARIの声が涙声に震えた。それは、アニメで瀧哉役に選ばれた、国民的子役の少年・忍野 暦(おしの・こよみ)の声を再現したものだった。
祐奏の動作は、怯える少女・エマの女性的な動きではなく、安心させようとする少年・瀧哉の男性的な動きを意識して、やや直線的な、大きなものとなっていた。
掴んだ手を、自分の胸に引き寄せて、手を見つめた。
安心させるように、頭を撫でるような動作を入れた。
「──君に出会ったことで 心に火が付いた」
視線を正面に向け、右手を胸に当てて、力強く握った。その間も、胸の奥が締め付けられるように痛み、視界の端が白く滲んだ。世界と自分が氷で隔てられたような実感がある。それでも祐奏は幸せだった。歌えているから。
「──それが僕の 本気」
右足を踏み出して、今まで立っていたところを守るように、右手を横に振った。
「──本当の顔は どこにも映らない」
右手が自分の顔を軽く触れる。手を降ろし、左右を見回す。
(祐奏は、瀧哉が異世界から追われたエマを守ろうとした場面を表現している。見様見真似で魔法を使って、自分が消えそうになった場面を。そして──)
葦原 廻は物語上の意味を読み取りつつ、震えた。祐奏の心情を理解した。
(自分自身のことも、歌で、語っている!)
演技力と歌唱力の高度な両立に、震えていたのは、佐沢 優奈も同じだった。
(少年の──成瀬 瀧哉くんの声に切り替えたのに……。祐奏さん、それでも、一度も100点ラインを、下回っていないわ)
「歌うまコロシアム」で勝ち続け、《パーフェクトクィーン》とまで呼ばれ、声優も始めた優奈だからこそ、脳内採点をしてしまう。
「どうして……どうして、こんな人が、いるの──!?」
優奈は、今、目の前で行われていることこそが、"奇跡"だと強く思った。
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