第4章・ささやかな幸せ

第24話《覚えているんですよ》

 葦原 廻は青いRX-8の中で考えていた。唐沢が迅速な車の手配をしていたことで、時間帯はまだ6時台。幸運にも首都高速羽田線は渋滞していなかった。


(祐奏が16時44分に命を落とすのは本当なのだろう。だけど……)


 普通の人間なら、絶望と悲しみで思考を止めるところだが、廻は作家である。少年とは言え《死神》の悲劇を通じて、生と死について向き合ってきた。向けられた悲劇に抗わず、運命として受け止めるような思考は、彼には"怠惰"とすら感じられる。


(祐奏の命が尽きる前に、転生をできないのだろうか)


 そう思った。祐奏の話だと、三種の神器・《真経津鏡》は、時間をわずかに巻き戻せるという。であるなら、珠子の世界に転生し、祐奏が《コレクター》に拉致される事実を防げば、死ぬこともなくなるのではないか。


 確かめるために目を閉じた。なぜか、以前より感覚が研ぎ澄まされているように感じられた。眠ることで、九曜 珠子への道がつながる。珠子の気配は温かくて、そしてとてつもなく大きなものなので、世界を隔てていても近くに感じられた。


 気が付くと、《九曜家》で、珠子が座す《神祇の間》に、廻の魂は移動していた。

 廻の気配を感じると、珠子は座しながら、美しい所作で深々と土下座をした。


「珠子様、そんなことはやめてください」


 廻は当惑しながら、珠子を窘めた。


「珠子が《畏怖王》を滅ぼせなかったことが全ての始まりで、葦原 廻様や藍坂 祐奏様は巻き込まれた被害者です。本当に申し訳ございません」


「悪いのは世界を奪おうとする《畏怖王》です。珠子様は今だって、俺が来るのを待ってくださっていたのでしょう?」


 占いをするための 六壬式盤(りくじんしきばん)が用意されているのを、廻は見逃さなかった。陰陽道の占い道具で、四角い板に丸い天地盤が載っている。


「はい。お聞きになりたいのは、転生の件ですよね?」


 珠子はそう言いつつ、六壬式盤の天地盤を回す。廻は話を続けた。


「ええ。《コレクター》が祐奏を取り込んだから、16時44分で亡くなってしまうなら、その前に俺と祐奏で、その前に転生して、取り込まれる事実を無くせばいいんじゃないかって思ったのです。そうすれば祐奏は死ななくてもいいはず」


 珠子は一瞬沈黙した。天地盤が止まった。その瞬間、涙が零れた。


「廻様がいらっしゃる前に、渾天儀、算木も使って占ってみたのです。いずれも『全てを失わなければ、取り戻せない』と。この子もそう示しています」


 珠子は身震いして、天地盤を見据えると、頭を下げた。


「そう……ですか……」


 廻は悔しくて、唇を噛んだ。感情が溢れそうだったが、珠子を苦しめるだけなのが解っているので、必死にこらえた。


(祐奏の死は防げない。なら、俺のすることは一つだ)


 廻の心は定まった。祐奏への思いで、憤りを抑えた。


(逃げずに、彼女が示してくれた好意に、尽力してもらったことに、報いる)


 そう決意した。珠子に深々と頭を下げると、廻は目を開けた。


  * * *


 唐沢は約23km離れた羽田空港第三ターミナルと、本郷にある藍坂 祐奏の下宿をわずか14分で走り抜いた。青いRX-8をワンルームマンションの前に止める。


「お館様。お二人でお料理をされるのでしょう。スーパーで年齢制限で買えないようなものだけは、駒生に持ってこさせました。お役立てくださいませ」


 唐沢は袋に入れたブランデーの瓶を、葦原 廻に渡した。


「唐沢、ありがとう」


 廻と祐奏が車を降りる。ほどなく複数のパトカーが近くに停車して、警察官が降りてきた。祷が「唐沢じい、こりゃ秋葉原までは送れそうにないね」と笑う。


「誠に残念ながら。お嬢様も申し訳ございませんが、自力で麻布の葦原邸、あるいは秋葉原のイベント会場に向かってくださいませ」


「うん。9時に歩奏ちゃんがお屋敷に来るみたいだから、一緒に動くよ」


「いってらっしゃいませ。唐沢はここまででございます」


 先に運転席から降りて、祷を下ろした後、唐沢は警察官の方を向いた。


  * * *


「廻くん、ここの202号室が、わたしの家ですよ」


 オートロック式の入口に、鍵を差し込んで玄関の自動ドアを開けて、祐奏はエレベーターのボタンを押した。


「ちゃんとオートロックなんだね。ゴミ捨て場も分離されていてわかりやすい」


 廻もアメリカで1ベッドルームタイプのマンションに暮らしていたから、こうした不動産に馴染みはあったけど、


「一人暮らしする前に、かなり情報収集しましたから。1階は泥棒が入りやすいとか、防犯カメラがある物件とか、そういうことを。藍坂家が面倒を見ている不動産屋さんが、いい物件を紹介してくださったんですよ」


「俺がいたアメリカの学生向けアパートには、バーベキュースペースとか、ジム、プールが併設されていたんだよね。家電は備えつけられていた」


 アメリカで一人暮らししていた廻が、日米の違いを口にした。


「そんな豪華な設備はないですね。廻くん、狭くて驚くかも」


 祐奏は小さく笑う。そう言って、2階でエレベーターを降りる。202号室はすぐ近くだった。


 祐奏が鍵を取り出す。玄関は二重鍵になっていて、ダイヤル式でつまみを回す補助鍵もついていた。鍵を開けている様子に、生活感を感じる。廻は祐奏の「お嫁さんになりたいんです」が頭に浮かび、新婚さんみたいだと思ってドキドキした。


 間取りは二部屋に分かれていた。玄関から向かって右側にお風呂場、その隣に独立したトイレ。トイレの中には掃除機が置かれていた。


 向かって左側がキッチンと冷蔵庫と電子レンジ。その奥には扉があって、居住スペースと仕切られている。自分が一人暮らししていたからこそ、廻は祐奏が無駄のない動線で生活空間を作っていることがわかり、感心した。


「廻くん、お外から帰ったのですから、手洗いとうがいをしてくださいね。お客様用のコップ、出しますから。あと、これ」


 新品の歯ブラシを差し出された。


「今使っているのが、もうすぐで寿命だと思って、一昨日買ったんです。歯を磨いたりするのって、一緒に暮らしているみたいでいいなって、ちょっと思ってしまいました。二人で歯磨きしませんか?」


 廻と祐奏は黙々と歯磨きした。その間も、祐奏は廻と自然に触れていた。廻はその時間がとてつもなく、愛おしかった。

 廻が歯を磨き終えて、うがいして、手洗いしたら、肩をつつかれた。廻が振り向くと、祐奏は彼を抱きしめて、軽く、触れるだけのキスをした。


「ふふっ。こうしたくて、歯磨きしてもらったんですよ。わたしから、風邪とか移したら申し訳ないで……」


 そう、言いかけたところで、廻から唇を重ねられた。人間の唇は、他の部位と明らかに感触が違った柔らかさで、二人の背筋に電撃が走った。愛しさが加速度的に膨らんで、しばらく身体を離せなかった。祐奏は唇を離すと、廻の肩に頭を置いた。


「嬉しい、なぁ」


 と照れる。そして


「でも初めてじゃ、ないんですよね」


 と付け加えた。廻がぎょっとしたので、祐奏は笑って付け加えた。


「だって6年前、廻くんが人工呼吸して助けてくださいましたもの。わたし、わずかに意識があったから、なんとなく覚えているんですよ」


 祐奏があまりにも幸せそうに笑ったので、廻は愛おしくて強く抱きしめてしまう。


「廻くん。わたし、とても……とっても嬉しいですけど、お買い物に行けなくなってしまいます」


 祐奏は廻の胸に手を置いて、身体を離した。離すことにもの凄く抵抗感があって、泣きそうな顔をしながら。


「ごめん。祐奏。大切なことを確かめながら過ごしたかったのに、俺、先走った」


 廻も泣きそうな顔をした。


「充分、確かめて頂いていますよ。配信で使っている居室に行きましょう」


 祐奏は廻の手を引いて、扉を開いた。


 パソコンのディスプレイの前にカメラとマイクがあり、モニターは複数設置されていた。パソコンデスクの横は本棚で、演技関係の本が並ぶ。廻の著書『モノクロームトリガー』も全巻置かれていた。コミック版も全巻揃っている。


 一人用のベッドと、その横にミニテーブル。座布団があり、部屋の左側は作り付けの洋服収納スペースとなっていた。


「ここが《ゆうのお話工房》なんだね」


 廻が感慨深く、全てを見回した。部屋の隙間のあちこちにぬいぐるみが置かれているところに、祐奏の人柄を感じる。ものは多いけど、整頓されていた。


「はい。あ、椅子は一つしかないので、ベッドに座ってください。本当は最終配信をすべきなのですが、それはライブということにして。今は、廻くんとの時間をどう過ごすべきなのか、お話させてほしいです」


 祐奏は真剣な表情をして、廻と向き合った。

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