第23話《悔いが残らないように》

 葦原 廻は、今日の16時44分に命が尽きる藍坂 祐奏の言葉を受け止めた。それが何であろうと、答えは決まっている。


「もちろん! 何がしたいの?」


 即答した廻に、祐奏は透き通るような笑顔を向けた。


「廻くん、ずっと一人暮らしですよね。お料理は、なさいますか?」


「ああ。和洋中、一通り作れるよ。仍に仕込まれたから」


 予想外のことを尋ねられて、少し戸惑いつつ、廻はそう答えた。


「よかった。じゃあ……わたしの家に来て、一緒にスーパーに行って、どんなご飯を作ろうかって買い物して、一緒にご飯を作ってください。だめですか?」


「え、そんなことでいいの?」


「そんなことじゃないです。わたしには、とても大切なことなんです。わたしが一番したかったことは、廻くんのお嫁さんになって、人生を支え合い、日々を大切に過ごすことでしたから。それが……っ、一番したいことなんです」


 左手の薬指に輝く、ロイヤルブルーを愛しく眺めて、祐奏は笑った。指輪の藍色が、祐奏の左手で小さく揺れ、二人の視線を引き寄せた。


「ゆう……かっ」


 ダメだと思いつつも、廻は祐奏を抱きしめてしまう。今度は祐奏は何も言わず、愛おしさを込めて廻の頭を撫でた。


「ありがとう。とても、本当に嬉しい。わたし、幸せ……ですよ」


 しばらく二人は抱きしめ合っていた。そして祐奏が身体を離して、言った。


「それで、ですね。わたし、最後にすることだけは決めているの。こんなことになる前から、そうしようと決めていたことが」


 揺るぎない決意を込めて、祐奏は廻、祷、唐沢を見た。

 

「最後に……すること」


 その言葉があまりに重くて、廻は聞き返すことすら、息苦しくなる。


 祐奏の言葉は重い。でも、消えようとしている彼女の命の炎は、弱々しい輝きではなかった。決意を込めた言葉に呼応し、燃え上がるかのように輝いていた。


「はい。わたしは《セレスティアステージ》の所属タレントである前に、VTuberの《歌内 釉(うたない・ゆう)》です。顔出しで人前に出ることが避けられないなら、リスナーの皆さんをできるだけ、ガッカリさせたくはないの。クリエイターとして、自分をどう見せるのかは、自分で決めようとずっと思っていたから」


 登録者数120万人の人気VTuberである祐奏は、自分の言動が他者に与える影響を、常に考えてきた。


「わたしは幸運にも、リスナーのおかげでVTuber活動だけでも生活できる。なら、自分が紡いできた物語の結末は、自分で決めるべき。そう思ったんです」


 彼女の動画サイト《ゆうのお話工房》は、廻──遠野 史彦を含む、リスナーとのやりとりによって、たくさんの物語を紡いできた。言葉にその重みが宿っていた。


「祐奏は──《歌内 釉》は、事務所のものではないし、祐奏だけのものでもない。そう言いたいんだよね。みんなと紡いできた沢山の物語を大切にした形で、リスナーと向き合いたいって」


 廻は《ゆうのお話工房》で過ごした時間を誰よりも大切にしてきたから、祐奏が言いたいことを、正確に理解できた。


「廻くんは、本当に"僕"のことをわかっていますね」


 祐奏は一瞬、《歌内 釉》としての口調に戻って、少年のように笑った。その声が、廻の胸に深く刺さる。


 まだ彼女の素性を知らなくて、一緒に物語を作っていた幸せな時間。それが、ずっと続くと思っていた。廻は《釉》の言葉で、その尊さを思い返し、涙があふれる。


「廻くん。僕を想ってくれて、ありがとね。どうか、悲しまないで。だって取り戻して、くれるのでしょう? 僕は、世界で一番信じていますから」


 努めて明るく言った。釉の口調で、祐奏の悲しみを覆い隠すように。

 廻の胸はずっと一杯だったけど、強く強く、頷いた。


「今日は、僕が顔を隠す理由となった番組が、秋葉原で生中継されます。出演者を募集しているそうですし、飛び入り参加もありだそうですよ。これに出ます」


 祐奏はスマートフォンを取り出して、廻と祷に向けた。カラオケ対決で人気がある歌番組の《歌うまコロシアム》の番組公式サイトだ。


「祐奏ちゃん──歌うま、コロシアムに──出るんだ、ね」


 祷が祐奏の決意の重さに震えた。顔出しで歌ったことで、誘拐され、消えない火傷を負った──その始まりの番組に、あえて出ると言うのだ。


「はい。逃げません。歩奏(ほのか)も出場するんですよ。もう、人気動画配信者のAKARIちゃんにも声をかけています。『歌内 釉が顔出しで歌うなら、万難を排して配信するっし』って言われていました」


 あと10時間も生きられない祐奏は、未来への夢を込めて小さく微笑む。


「だから、この生命の全てをかけて、『これが"わたし"だ』って、伝えたい。遺したいの。ずっと、本気で仕事ができなかったから、悔いが残らないように」


「ええっ!? 祐奏ちゃん、アレで流してやっていたの?」


 祷が目を丸くした。歌も演技力も、若手声優トップと祐奏は評価されている。祷からすれば、その場で作った物語の人物を演じ分ける力は、人間離れしていると思う。


「確かに。4年前の歌うまコロシアムの動画は……今と違うけど」


 廻は祐奏が見せてくれた動画を思い出し、彼女が嘘をついていないと実感する。


「……このお仕事を始めた時に、同期の子がいて、『一緒に大きくなろうね』って夢を語ったんです。だからわたし、オーディション会場で全力を出した。そうしたら『こんなこと、私にできるわけない』って、彼女は声優をやめた。それから、周囲と調和させて、浮かないようにしていたの。作品に失礼だから、苦しかった」


 廻は祐奏の生真面目で誠実な性格を知っている。それがどれほど苦しかったのか、容易に想像できた。自然な動きで、祐奏を悲しみごと抱きしめた。


「廻くん。だから、わたしの──僕の、生命の歌、聴いてくださいね」


 廻の胸に顔をうずめて、祐奏はぎゅっと抱きしめ返した。


「俺の全ての感性を君に向けて、心に残すよ。君を取り戻すために」


 廻は自分の心の中の誠実さを全て声に宿して、頷いた。


「でも、その前に祐奏の夢を、叶えないとね」


 藍坂 祐奏の夢。それは「廻と一緒に買い物して、一緒に料理し、家でご飯を食べること」。6年前、10歳で出会ったときから、ずっと願っていたこと。人気VTuberとして多くのリスナーを持つ祐奏の、一番願うことは、お嫁さんになることだった。


 廻はなにがあっても、その夢を叶えると決めていた。だから、残り少ない時間でそれを実現するために、本郷の祐奏の家に行かねばならない。


「お館様。私の車は駒生に依頼し、羽田空港に回させています。急ぎましょう」


 執事の唐沢が移動を促した。廻と祐奏が話している間に、全ての手配を終えていたのである。羽田空港第三ターミナルビルの前に、青いマツダRX-8が停車しており、廻たちを見かけて、サングラスを付けた、黒いスーツ姿のメイド長・駒生 仍(こまおい・なお)が降り立ち、サングラスを外して頭を下げた。


「唐沢さん。私は電車で戻ります。どうか、一秒でも早く、お館様と祐奏さんを、本郷の彼女の家に」


 唐沢から事情を聴いていた、仍の表情は真剣だった。一礼して運転席を譲る。


「わかっている。届けてくれてありがとう」


 4ドア車の中では際立った走行性能を持つ、マツダRX-8。2ドア車並みの軽快さを維持するために採用した観音開きの「フリースタイルドア」の後部座席に、唐沢は廻と祐奏を案内した。助手席には祷が座り、シートベルトを付けた途端、チューンナップされているロータリーエンジンが吠えた。


 恐ろしい加速力で、車の動きを見切って車体を滑り込ませていく。プロドライバーに匹敵する運転技術で、首都高速1号羽田線までに複数の車を追い抜いていた。

 高速道路に入ると、RX-8の最高速度は時速200km/hに到達した。


「唐沢、スピード違反っ!」


 廻が鬼気迫る唐沢の運転に、驚いて指摘した。廻は唐沢が法定速度を違反したことを見たことがない。獰猛なレーシングマシンのような挙動を示し続ける、RX-8の動きに驚いていた。その中で祷はスピード感に嬉しくなり、笑ってしまうのだが。


「サーキットの攻防と比べれば、止まっているようなものですよ」


 唐沢は一瞬も周囲の車から目を離さずに言う。


「唐沢さん、そこまでしなくていいですよっ」


 祐奏が慌てて唐沢を窘めた。唐沢は静かに返した。


「お言葉ですが『そこまですべきこと』です。祐奏さんは、亡き奥様からお館様を託された方です。私にとっては、葦原家の奥方と同じ。あの悲劇の時、私がいなかった後悔を、今、少しでも償わせてくださいませんか」


 唐沢の声に、重い感情が宿った。それは6年間、彼の心を焼き続けた後悔の念。


「もしスピード違反で逮捕されたとしても、運転者のみです。貴女とお館様は、なにがあっても送り届けます故、ご安心を」


 高速道路の路肩の一部を、非常用に広くしている「非常駐車帯」を利用して、先行車を俊敏に追い抜きながら、唐沢は唇を噛んだ。

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