9

 期日が来て、バットが退職していった。最後の挨拶はささやかに行われ、その後は皆、各々の業務に戻った。


 夜更け。事務所には残業の者と夜勤の者が入り混じっている。

 レプタが提出物を片手に上がり込むと、待ち構えていたとばかりに迫りくる者がいる。


「ちょっとエトカゲさぁ~ん?、また期限ギリギリですかぁ~?」

「あー、ハハッ、すいませんね」


 経理部のイリエ・アリゲタ。支給された事務員服に似合ってない眼鏡がキラリと光る、ベテラン女性職員の一人である。昔からレプタとは折り合いがつかない。


「だらしないことばっかりしないでくださいね、後輩の教育にも悪…、そうそう!新人の子が棚の鍵も開けっ放しにしてたんですよ!ちゃんと指導を」

「えー、そっスね、はいどうも、すいませ─」

 レプタがいつものお小言を聞き流していると、引っかかる部分があった。


「─棚の、鍵?、それって、どこのです?」

 新人指導相談員でもあるレプタが、繰り返して聞いた。自分がとやかく言われるのは慣れているが、リンが何かうっかりでもやらかすとは考えにくい。


「どこって、訓練用のハンドガンの棚ですよ」


 この拠点では、攻撃魔法を習得していない職員でも身を守れるように、あるいは魔力が尽きた時の護身・防犯用として、非常時によるハンドガンの使用が許可されていた。任意参加型ではあるが、月に一度、使用方法の訓練が行われている。


「職場の備品を使ったら後片付けはきちんと」

「…それ、本当に犯人特定してます?」

「えっ?」


 私物の対物ライフルを職場に持ち込む奴が、わざわざハンドガンを触るだろうか。


 レプタは急いで、件の棚に近付く。イリエも慌てて追従した。


 観音開きの戸の取っ手には、貸し出し記録の表が吊るされていた。管理の為、使用の際には日時と名前を書くように指示されている。しかし記入を忘れる職員が多発したので、自動記録魔法が使われている。棚の中をいじった職員名は、表にはっきりと残る。


「…!」

「え、あらやだ、最後の人、カガシマさんじゃなかったわね、ごめんなさいねぇ」


 イリエは記録表を読み、取り繕っておほほと微笑む。

 レプタはもはや聞いてもいない。表を見て、ずらりと並ぶハンドガンをひとつずつ触っていく。そして最後のひとつに手をかけ、絶句した。


 最後にハンドガンを触っていたのは、退職直前のタカモリだった。


 すると突然、拠点全体にけたたましい警報音が鳴り響く。職員たちは皆ハッとして、各自に支給された端末を確認した。警報の発信位置がどこなのか、画面に表示されるからだ。


 レプタが部屋の中央にある、緊急通報用の受信機を取る。

「こちら東区、通話を受信しました、その場に職員が参りま─」


 受信機の向こうからは、ひどいノイズ混じりの声がする。こちらからの言葉も聞こえているのか、定かではない。


『助け』


『助けて』


『ドラゴンが』


『じょおう』


 送信機を破壊された音。あとは、一切の送受信ができなくなった。


 誰かが小さな声でつぶやいた。


「…今、タカモリくんの声じゃ…」


 レプタが叫んだ。

「カガシマ!、今すぐ出…、…すいません誰かカガシマ見てませんか」


 他の職員たちが答える。

「え、戻ってきてないんですか?」

「一人で見回り行って、夕方に戻るって予定表に書いてるけど…」


 レプタはスマホを取り出すと、リンの端末の位置情報を調べた。今回のような緊急通報、支給品端末の紛失などに備えて、常に位置情報を読み取れる設定にしてある。使用者への説明と、許可も取った上で。



 リンの端末の位置は、緊急通報の発信位置とまったく同じ場所を示していた。



 レプタがドックへ突進する。

 嫌な胸騒ぎが止まらなかった。職員が事件に巻き込まれた可能性よりも、事件を起こした可能性の方が高い。

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