妖精と翡翠の卵

野沢 響

妖精と翡翠の卵

 よく晴れた昼下がり。

 日差しが降り注いでいるため、森の中は明るく足元もしっかりと見えている。

 ようやく寒さの厳しい冬が終わり、春の季節がやってきた。

 辺りにはカタクリやミズバショウ、ミツバツツジなどの花が咲いている。


 アルフレッドは一人の青年と共にどんどん森の奥へと歩みを進めて行く。


 「オリバーさん。今日は天気も良くて暖かいから、妖精を見つけられるかもしれませんよ?」 


 アルフレッドは弾んだ声で前を歩く青年に話しかける。

 オリバーと呼ばれた黒髪の青年は歩みを止めることなく、淡々とした口調で答えた。


 「ああ、条件としてはうってつけだ。見つかるかは別の話だけどな」


 「はい!」


 オリバーの返事を聞きながら、アルフレッドは笑みを浮かべたまま頷く。


 脳裏に浮かぶのは一体の妖精の姿。果実の桃を思わせる薄いピンク色の髪と同色の瞳に白い肌。ほっそりとした体躯にフレアワンピースのような衣服をまとい、背中には四枚の羽が生えていた。淡いピンク色の光を発光させながら目の前を飛んでいったのが、今からちょうど二年前の出来事だ。


 あの光景を目にしてからアルフレッドはすっかり妖精の虜になってしまい、その日を境に何度もこの森の中へ足を運んでいる。

 そんなある日、妖精の生態について研究している若き研究者のオリバーと出会ったのだ。


 学校が早く終わった日や休みの日なんかは、こうしてオリバーに同行させてもらっている。


 そのまま歩き続けていると、獣道から開けた場所に出た。

 ふいにオリバーは立ち止まると、背後にいるアルフレッドを振り返る。


 「そろそろ休憩にするぞ。あそこに倒木があるから、そこで休憩しよう」


 オリバーが指さす方向には一本の太い倒木が見える。

 

 「はい!」


 アルフレッドは元気に頷くと、倒木まで駆け寄って行く。

 二人並んで倒木に腰掛けると、オリバーは背負っていたリュックの中から大きめの水筒と二人分のステンレス製のタンブラーを取り出す。

 タンブラーをアルフレッドに渡すと、水筒の中身を注ぎ始めた。

 綺麗なオレンジ色がタンブラーの中身を満たしていく。

 中身はいつもお馴染みのホットのダージリンティーだ。爽やかな良い香りが漂っている。


 「ありがとうございます」


 アルフレッドはお礼を口にしてから、一口口を付ける。

 オリバーは短く「ああ」とだけ答えた。

 彼も同じ様に自分のタンブラーにホットティーを注ぐと、口を付けた。


 今度はアルフレッドがリュックの中から長方形のケースを取り出して、フタを開ける。中には隙間なくサンドイッチが入っていた。


 「オリバーさん、良かったらどうぞ。卵サンドとハムとチーズのサンドイッチです」


 「ありがとう。いつも悪いな」


 オリバーはそう断りを入れると、卵サンドに手を伸ばす。

 アルフレッドも同じ様に卵サンドを手に取った。

 二人でサンドイッチにかぶり付く。卵の濃厚な味に塩とコショウが効いている。


 「いつ食べても上手いな」

 

 「今度は苺のジャムを挟んだサンドイッチにするって、お母さんが言ってました」


 「苺のジャムか。紅茶これにも合いそうだな」


 オリバーは手に持っていたタンブラーを軽く持ち上げてそう口にした。


 「なあ、アルフレッド。妖精はどうやって生まれてくるか、知ってるか?」


 オリバーはハムとチーズのサンドイッチを掴みながら尋ねた。

 

 「どうやって生まれてくるか……?」


 アルフレッドはどんな風に答えたらいいか分からなかった。そんなこと考えたこともない。

 うーんと考え込んでいる彼を見つつ、オリバーが口を開く。


 「妖精は卵から生まれてくるんだ。そして、その多くは春に生まれてくると言われている」


 「え? 卵から?」

 

 「ああ」


 「春って、ちょうど今の時季ですよね?」


 「そう。春は生命いのちの季節だ。日に日に暖かい日が増えてきて、草木が成長して、花が咲き始める。妖精もそれに合わせて生まれてくるらしい」


 オリバーの説明を聞きながら、アルフレッドは想像してみる。

 妖精が卵から生まれてくる瞬間を。

 

 (うーん、なんか想像出来ないなぁ……)


 そんなことを思いながら紅茶を飲んでいると、


 「!」


 今、背後で声が聞こえたような気がする。

 アルフレッドは後ろを振り返るが、草木が生い茂っているせいでその先は見えない。


 「どうした、アルフレッド?」


 オリバーが彼を見る。

 アルフレッドは顔を戻すと、

 

 「今何か後ろの方で声が聞こえた気がしたんですけど……」


 「俺には何も聞こえなかったぞ?」


 「……」


 聞き間違いだろうか。

 一瞬、そう思った。でも、やっぱり気になってしまう。


 アルフレッドは立ち上がると、タンブラーに入っていた残りの紅茶を飲み干した。それをオリバーに返すと、急いで声のした方に向かう。


 「おい、アルフレッド!」


 オリバーもタンブラーを置いて、慌てて彼を追いかける。


 (確か声はこっちから聞こえた)


 アルフレッドはそのまままっすぐ走っていく。

 やがて大きな湖が見えてきた。

 けれど、そこには誰もいない。もちろん妖精の姿もない。


 「あれ、誰もいない。やっぱり聞き間違い……?」


 左右に顔を向けると、左側の茂みの方で何かが光っているのが見えた。

 そちらに近付こうとした時、追いかけてきたオリバーがやって来た。


 「アルフレッド、勝手に行くな……」


 「オリバーさん、あれ」


 困惑しているオリバーの言葉を遮って、アルフレッドは光っている箇所を指さす。


 オリバーがそちらに顔を向けると、そこだけ淡く緑色に光っていた。

 二人でゆっくりとそちらに近付いて行く。

 茂みの中から見えたのは鶏が生むサイズと同じくらいの大きさの翡翠色の卵だ。卵は淡い緑色の光を放っている。


 「まさか、あれは……」


 かすれた声でオリバーが呟いた後、彼に顔を向けて、


 「アルフレッド、ここから動くな。このまま見守るぞ」


 「わ、分かりました」


 普段あまり感情的にならないオリバーの興奮する様子に戸惑いながら、アルフレッドが頷く。


 二人で謎の翡翠色に輝く卵を見つめていると数分後、卵が震え始めた。   

 同時に何か声も聞こえてくる。でも、何て言っているのかまでは分からない。


 やがて震えが止まり、淡い光が消えた。

 卵に変化はない。

 何も起こらないまま、さらに数分が過ぎた。

 じっとその様子を見守っていると、


 「!」


 いきなり卵にヒビが入った。

 上から下に徐々にヒビが入る。かすかにピシピシと言う音も聞こえている。


 アルフレッドとオリバーに緊張が走る。

 固唾を飲んで見守る中、遂に卵が真っ二つに割れた。

 中から現れたのは、その卵と同じ綺麗な翡翠色の髪と瞳を持つかわいらしい妖精だ。白い腕を伸ばして気持ち良さそうに伸びをすると、辺りをきょろきょろと見回している。

 見回すのをやめてすくっと立ち上がると、四枚の水色の羽を上下に揺らしてあっという間に飛び始めた。

 ほっそりとした体躯に合ったタイトな衣服を身にまとっている。色はその髪と瞳と同じ色だ。


 妖精はひとしきり飛び回ると、アルフレッドたちが走って来た方向に顔を向けた。

 そのまままっすぐ飛んで行く。

 

 アルフレッドとオリバーは卵の殻を回収すると、慌てて妖精を追いかける。

 やがて、元いた場所に戻って来た。

 妖精は迷うなくことなく、サンドイッチの前に降り立つと、不思議そうにそれを見つめている。

 顔を近付けてくんくんと匂いを嗅いだ後、卵サンドにかぶり付く。瞳を閉じて満足そうな表情をした後、今度はハムとチーズのサンドイッチにも同じ様にかぶり付いた。こちらも美味しかったらしく、顔をほころばせている。

 最後にタンブラーに入った紅茶(おそらくもう冷めている)で喉を潤すと、どこかへ飛び去ってしまった。


 アルフレッドとオリバーがそちらに近付いて行く。

 二人ともサンドイッチとタンブラーを見下ろしたまま、


 「妖精、サンドイッチ食べてましたね」


 「ああ。しかも、俺の紅茶まで飲んでたぞ。ちゃっかりしてるな」


 オリバーはそう言うと、タンブラーを手にしてすっかり冷めてしまったそれを飲み干した。


 「でも、妖精の生まれる瞬間を見れてすごく嬉しかったでず!」


 にんまりと笑うアルフレッドに対して、オリバーも笑みを浮かべる。


 「ああ、俺もだ。よし、研究所に戻るぞ。これから、この卵について調べないとな」


 「はいっ!」


 アルフレッドは元気よく頷くと、荷物をまとめ始めた。


        

                             (了)


                                  


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