第1話「痩せなさい! 1キロ太って1万の魔物を産む者よ!①」

「聞こえますか……尾本おもとコウよ……聞こえますか……」


 三十七歳のおっさん社畜SEである尾本コウ――

 そんな自分の名を呼ぶ声が、静寂を震わせるように響いた。

 目を開く。視界が、真っ白だ。ゆるやかに漂う無数の光の玉が虹色に輝き、かろうじて空間の奥行きを感じさせる。


「……お願いです、どうか私たちの世界を救ってください……」


 聞き間違いかと思うほどの微かな声が、再び耳元をかすめる。

 声のするほうに目を向けると、自分に向かって祈りをささげる少女がひとり。

 彼女のまとう純白のローブは、たおやかに揺れながら、聖なる光を宿している。


「誰だ……?」


 尾本の問いに答えるように、少女が、ゆっくりと目を開いた。

 青い瞳と視線が交わる。その瞳に心を掴まれた瞬間、まばゆい光の花びらが彼女の背後から吹き荒れた。それと同時に荘厳な鐘の音が降り注ぎ、時空が共鳴するかのように鳴り響く。


 そして――


「あ、つながった? 聞こえてます? もしもーし!」


 少女はぴょこっと尾本の目の前まで近づき、不思議そうに見上げてきた。

 尾本が自分に気づいているか確認するつもりなのだろうが、そ~っと伸ばされた人差し指は、あきらかに尾本の鼻の穴を狙っている。


「ちょっと、やめてくださいよ。聞こえてますって!」


 まさかの軌道に、尾本は無意識に顔をそらす。もし刺さってたら、お互いに不幸になるではないか。


「よかった~! やっと届いた! 二週間かかるとか、どんだけ鈍いんですか?

 正直に言って、女神の私もドン引きですよ。女神ドン引きです!」


 少女はあきれたように肩をすくめた。さきほどの神聖さは、もはや微塵みじんもない。それを指摘すべきか迷っていると、彼女自身も気づいたらしく「しまった」という顔でうろたえた。そして、ふわりと浮かび上がり、神妙な表情を作り直す。


「尾本コウよ。どうか、私の世界を救ってください――」


「ん? つまり、あれですか? 俺のトコにも例のテンプレートが来たってことですか? 異世界行きのトラックに轢かれたりとか痛い目に遭わずに、楽々そちらに行けるということでよろしいですか? 社畜が異世界で無双する物語ということでいいんですかっ?!」


 尾本は、興奮したように前のめりになりながら一気にまくし立てる。


「なんで早口? いや、こちらの世界に来ていただかなくても結構ですけど……」


 そのあまりにそっけない返事に、尾本は思わず言葉を詰まらせた。


「ええ~! 俺はもうこっちの世界で納期に追われるの、嫌なんですよ」

「そちらの世界もなかなかですが、私の世界も、なかなかハードですよ?

 戦闘力皆無なあなたなんか、瞬殺です。異世界召喚された瞬間に、首と胴体が別々の方向に向かって飛んでいくことになるでしょう」


 女神が神々しく両手を広げて宣言する。そのしぐさは、〝偉大なる神の予言〟……というよりも「どうだ、すごいだろう?」とでも言いたげだった。


「しかも、私の世界はポリコレ準拠じゅんきょ! あなた好みの美少女も、そういったシチュエーションも、まったく存在しません」

「じゃあ、もういいです。おやすみなさい」


 尾本はため息をつきながら、自分の夢の中という設定を利用し、イメージの中で布団を生み出して潜り込む。


「待って待って! お願いですから、私の世界を救ってください!」


 慌てた女神が地面(?)に降り立つと、掛け布団を引っ張り始めた。


「なんなんですかいったい……助けろだの、こっちに来るなだの」

「それはこっちのセリフですよ。なんなんですか、あなたは!

 あなたの体重が1キロ増えるたびに、こっちの世界に1万の魔物が湧くって、どんな呪いですか? なんか私の世界に恨みでもあるんですか?」


 尾本は反射的に、少しぽっちゃりしてきたかもしれない自分の腹回りに視線をやる。


「ん? んんん? ちょっと待って! 今、なんて?!」

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