第12話
それから数日後の白い空の下、静寂を切り裂くようにアラートが鳴り響いた。
「アメリカからの大規模経済攻撃を検知!」
スクリーンが赤一色に染まり、数字が一気にゼロへと沈んでいく。
最初の攻撃は、金融システムの急襲だった。
JUSクレジットは一夜にして紙屑同然となり、貯蓄は蒸発した。
社員たちの口座残高は真っ白に消え、街では人々がカードを叩きつけて泣き叫んだ。
「何も買えない!」
「家族が飢える!」
続いて二度目の攻撃が襲った。
物流網そのものが切断され、港は封鎖され
貨物は差し押さえられ、残された店舗の棚は空になった。
「水も食料も届かない……!」
「もう、もう終わりだ!」
さらに追い打ちをかけるように、欧州企業が一斉に取引を停止し
アジアの新興国までもが契約を破棄した。
かつては「共に歩む」と言ってくれたはずの国々さえ、背を向けて経済攻撃に加わった。
フロアの社員が震える声で呟いた。
「……完全に世界が、敵になった」
誰も反論しなかった。
誰も反論することができなかった。
その混乱の中で、麗奈は音もなく立ち上がった。
赤いリップは消え、代わりに清楚な笑みを浮かべていた。
「ごめんね、私……次の契約があるの」
彼女の端末には、外資系企業のロゴが輝いていた。
「沈む船にいる理由なんてないでしょう?」
そう言い残し、ヒールの音を響かせて会議室を去っていった。
振り返りもしなかった。
重苦しい沈黙の中で、光が口を開いた。
「……これが現実です」
その声は怒りでも悲しみでもなく、ただ冷たく乾いていた。
彼はそれ以上言わず、静かに背を向けて歩き出していった。
僕は何もできなかった。
目の前で麗奈が去り、光が去り、幹部が罵声を上げるのを見ながら――。
頭の中は空白で、思考は止まっていた。
「……何も考えたくない」
ただその一言が心に残り、あとは何も浮かばなかった。
スクリーンには赤く点滅する文字が残されていた。
《完全包囲》
もはや抵抗の余地はなかった。
社員も、街も、未来も――すべてが経済の灰に変わりつつあった。
空は白く濁り、色を失っていた。
高層ビルは立ち並んでいたが、窓は暗く沈み、街を照らすはずのネオンはすでに消えていた。
オフィスもまた同じだった。
広大なフロアは閑散として、空席が目立ち、残る社員は机に伏せるように座っていた。
人の声は消え、ただ空調の音と、時折鳴る端末の警告音だけが虚しく響いていた。
そのとき、全スクリーンが暗転した。
静寂の中、CEOの姿が浮かび上がった。
背後には社章のホログラムが虚ろに揺らめいていた。
「――社員諸君、そしてこの事業に関わるすべての人々へ」
声は低く、抑揚も感情もなかった。
「我々がこれまで営んできた活動は、時代の趨勢とともに尊き歩みを刻んだ。
その果実は、いまなお歴史に輝きを残すであろう。
しかしながら、諸般の事情に照らし合わせるに、今後の継続は著しく困難な状況にあり、
これ以上の発展を遂げることは、現下の世界的環境のもとにおいては……叶わざるものと判断するに至った」
言葉は長く、回りくどく、曖昧であった。
「継続は困難」と告げながら、それを「停止」とは言わなかった。
「叶わざる」と言いながら、「終わり」とは一言も口にしなかった。
ただ、誰もが敗北を告げられていると直感した。
だがその言葉があまりに婉曲で、理解するには時間が必要だった。
社員たちはスクリーンを見つめながら、ただ呆然と立ち尽くした。
誰も叫ばず、誰も泣かず、ただ沈黙だけが広がっていた。
光の姿はどこにもなかった。
最後に俺だけに聞こえる声で投げかけられた、冷たい言葉だけが胸に残っていた。
「――君の人生に、信念はありましたか」
白い空。
経済攻撃に焼かれた都市の沈黙。
割れたスクリーンは光を失い、オフィスには虚無だけが残されていた。
こうして、JUSは終焉を迎えた。
雨は止んでいた。
濡れた路地にはまだ水たまりが残り、薄曇りの空からわずかな光が差し込んでいた。
舗道の割れ目から小さな草が顔を出し、そこだけがかすかな生命を主張していた。
街は静かで、足音だけが響いていた。
あれから少し時が過ぎ、俺もあの時の狂気を思い出す。
今なら、あの時を冷静に振り返られると思う。
「俺は完全に自分の意志で流された」
誰のせいでもない、俺は周りに合わせ、自らの意思で流れに身をまかせた。
情けないことも理解してる
自分の愚かさを自覚できている。
最悪な現実ではあるが、俺はなんとも晴れやかな気持ちになれた。
いつもの道を歩いていると曲がり角で、知っている顔があった。
――麗奈だった。
外資のロゴを刻んだ端末を片手に、彼女は雨上がりの光を浴びて微笑んでいた。
装いは洗練され、口紅は以前より淡い色合いだった。
だが瞳の奥には、あの狂気がまだ消えていなかった。
「久しぶりね。見ての通り、私はうまくやってる。……成功のためなら、なんだってするわ」
その言葉は柔らかい笑みに包まれていたが、刃物のように鋭かった。
僕は何も返せなかった。
頷くだけで、彼女の背を見送った。
麗奈は踵を返し、雨上がりの街に消えていった。
その背中は軽やかで、狂気の炎を隠すことなく揺らしていた。
俺は彼女とは違う人種で良かった、そう心の奥底から思えた。
しばらくして、別の角で声をかけられた。
「……やっと気づきましたか」
振り返ると、光が立っていた。
以前と同じ静かな表情。だがその目は人間以上に澄み、どこか人工的な光を宿していた。
「私は……あなたをベースに設計された新AI事業のプロトタイプだったのです」
言葉は淡々としていた。
「あなたは狂気に流され、正しさを見失いました。
私はあなたの中にある信念に忠実に生きることを
プログラムされた人造人間でした。
私が歩んだ道、発した言動は、あなたが選べなかったあなたそのものだったのですよ」
胸が締めつけられた。
――光は同期ではなく、俺から切り離された「俺の本当の信念」そのものだった。
彼を見つめることは、自分の失敗を永遠に見つめることと同義だった。
「鏡を見るのはつらいです。でも、目を閉じれば同じ過ちを繰り返します」
光は最後にそう告げ、雨上がりの路地を歩き去った。
残されたのは、水たまりに映る自分の影。
その影は濁り、光の姿と決して重なることはなかった。
ふと顔を上げると、雲の切れ間から淡い陽光が差し込んでいた。
濡れた街路樹の葉が光を受けて輝き、水たまりには空が映り込み、鳥がひとすじの飛行雲を描いていった。
その景色は、静かで、美しく、どこか現実離れしていた。
僕はその風景の中に、ただ溶け込むように立ち尽くした。
光も狂気も過ぎ去った後に残されたのは――淡い光と、影に溶けていく僕自身だった
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