第12話「光差す庭で咲く花」
鈴蘭が皇后になるという知らせは、すぐに国中に広まった。
最初は、そのあまりに身分違いな縁談に驚きの声も上がったが、彼女が国を救った経緯や、皇帝の深い愛情を知るうちに、民衆はこぞってこの新しい皇后を祝福した。かつて「妖女」と罵声を浴びせたことなど、誰も覚えていないかのように。
立后の儀は、盛大に行われた。十二単(じゅうにひとえ)よりもさらに豪華で、幾重にも布が重ねられた彩華国伝統の婚礼衣装に身を包んだ鈴蘭は、まるで花の精のように美しかった。隣に立つ蒼焔も、いつもの冷たい表情はなく、ただひたすらに優しい眼差しで、彼女を見つめている。
民衆の歓呼の声を受けながら、鈴蘭は夢見心地だった。数ヶ月前まで、後宮の片隅で毒見をしていた自分が、今、この国の皇后として、何万人もの民に祝福されている。人生とは、本当に何が起こるか分からない。
皇后としての生活は、目まぐるしいものだった。これまで知らなかった作法や、覚えなければならない政務の数々。最初は戸惑うことばかりだったが、鈴蘭は持ち前の真面目さと聡明さで、一つ一つ着実にこなしていった。彼女の誠実な人柄は、すぐに宮中の人間たちの心も掴んでいった。
そして何より、彼女の側には、常に蒼焔がいた。
彼は、忙しい政務の合間を縫っては、鈴蘭の元を訪れた。慣れない生活に疲れていないか、困っていることはないか、と。その気遣いが、鈴蘭にとっては何よりの支えだった。
「少し、顔色が悪いのではないか。無理はするな」
「大丈夫です、陛下。それより、陛下こそ、あまり根を詰められませんように」
そんな風に、互いを気遣い合うのが、二人の日常になった。
鈴蘭は、皇后になっても、薬草園の手入れを続けることを許してもらった。そこは、今や後宮で最も美しい庭園となっていた。彼女の知識によって、様々な薬草や花々が、一年を通して咲き乱れている。
ある穏やかな春の日、鈴蘭は、蒼焔と共にその庭を散策していた。
「見事なものだな。ここに来ると、心が洗われるようだ」
蒼焔は、満足そうに言った。かつては草木に全く興味のなかった彼が、今では、一つ一つの花の名前を鈴蘭に尋ねるのが習慣になっていた。
「陛下、こちらをご覧ください。月下美人草が、蕾をつけています」
鈴蘭は、蒼焔の手を取り、ある植物の前へと導いた。それは、かつて、毒殺未遂事件のきっかけとなった、あの因縁の植物だった。
「ほう、これが……。お前が、初めて俺の命を救ってくれた、あの時の」
蒼焔は、感慨深げにその蕾を見つめた。
「はい。この花は、悪いことに使われれば毒にもなりますが、本来は、一夜だけ、清らかで美しい花を咲かせるのです。物事には、必ず光と影の二つの面があるのだと、この花が教えてくれているような気がします」
鈴蘭の言葉に、蒼焔は深くうなずいた。
「そうだな。朕も、お前に会うまでは、影の部分ばかりを見て生きてきた。人を信じることを知らず、ただ力で全てを支配しようとしていた。だが、お前が、光を見せてくれた」
蒼焔は、鈴蘭の肩を優しく抱き寄せた。
「俺の光は、お前だ、鈴蘭」
その言葉に、鈴蘭は、幸せを噛みしめるように、そっと彼の胸に顔をうずめた。
皇后となった鈴蘭は、その植物の知識を、国のために役立てるようになった。各地で起こる飢饉や疫病に対して、薬草を使った治療法や、痩せた土地でも育つ作物の栽培法を民に広めたのだ。人々は、彼女を「薬聖皇后」と呼び、心から慕った。
蒼焔もまた、鈴蘭という光を得て、真の賢君へと変わっていった。彼は、力だけではなく、慈悲の心を持って国を治めるようになった。粛清の嵐が吹き荒れていた宮廷は、嘘のように穏やかになり、国はかつてないほどの平和と繁栄の時代を迎える。
冷酷皇帝と捨てられ女官。二つの孤独な魂が出会ったことから始まった物語は、国中を温かい光で照らす、大きな愛の物語となった。
光差す庭で、寄り添う二人の姿は、まるで一枚の絵のようだった。
鈴蘭は、蒼焔の腕の中で、幸せそうに微笑んでいた。
彼女の隣には、どんな時も、この国の誰よりも、彼女を愛し、守ってくれる人がいる。
もう、彼女は、物言わぬ毒見係ではない。
この彩華国という大きな庭に、気高く、そして美しく咲き誇る、一輪の花だった。
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