付喪神たちの名探偵
確率に嫌われてるんだ。
第一章 器が呼んだ名探偵
第1話 古道具屋の喋る茶碗
古道具屋というのは、時間のズレが積層している場所だ。
明治、大正、昭和、平成。あるいは海外の時間。誰がいつ使ったのかわからない器、飾られることなく倉庫で眠っていた額縁。そういう未練の形みたいなものが、ホコリと一緒に静かに積もっている。かすかな木の匂いと油のにおいが混ざって、時間を吸いこんだ空気が胸に重くのしかかる。
私は今日もそれを拭きながら、唐揚げにレモンをかけるべきか否かについて真剣に考えていた。大学の授業も就活も逃げてここに来て、もう半年。骨董屋の空気だけが、いまの私の時間をつなぎ止めている気がする。
「夏目ちゃん、独り言が音量標準を超過してるよ」
カウンターから店主の雨宮さんが笑う。白髪交じりの柔らかい声は、古時計の音と混じって店に溶け込んでいる。
「独り言じゃないです、研究考察です。あ、ノート取らないと」
エプロンのポケットから小さなメモ帳を取り出して、私は万年筆(中古・300円・掠れ気味)を構える。
「本日の研究テーマ:『唐揚げに対するレモン介入の社会学的影響』……よし」
「また難しい顔してる。お客さん逃げちゃうよ」
「うちは逃げるほどいないので大丈夫です。えーと、介入派は味の統一を志向する傾向があり、非介入派は選択の自由を尊ぶ――家庭の権力構造が……」
「唐揚げの話で権力構造を語るのか……」
雨宮さんは呆れながらも、ガラスケース内の懐中時計をいじって微調整している。エアコンの微かなうなり、棚の軋む音、表のアーケードを流れる夕方のざわめき。橙色の光がガラス越しに店内へ差し込み、埃の粒を金粉のように浮かせる。私は棚に積まれた段ボールを一つずつ崩し、値付けする作業に戻った。
骨董市に出す予定の段ボール。ガムテープに「食器」と殴り書きされている。カッターで開けると、新聞紙にくるまれた皿や茶碗がごろごろ出てくる。手元の柔らかいクロスで、一つひとつ縁をなぞってホコリを払う。かわいい染付。口縁に小さな欠け。「小欠け・要値引き」とメモに書く。
「レモン論争はさておき、どんぶりはどっち派? 大きいの? 浅いの?」
「具材の自由度を担保するなら口径広め、汁物の跳ねを抑えるなら深め……あ」
指先が、ふっと冷える。新聞紙をほどいた途端、空気がひときわ濃くなったように感じた。
手のひらに乗ったのは、小ぶりの茶碗。白磁の地に、藍色の小さな草花が線で描かれている。光に透かすと、薄いところは乳白色に明るんで、底に小さな窯傷がある。縁に三ミリほどの欠け。なのに目が離せなかった。胸の奥に、懐かしい痛みのようなものが広がる。
「夏目ちゃん?」
「……この子、かわいい」
「茶碗に人格付与するの、ほどほどにね」
「人格じゃなくて相貌です。ほら、この藍色の線がちょっと迷いが見えるけど、2本目には迷いが晴れた感じで――」
そのとき。茶碗が喋った。
『そうであろう、小娘にしてはなかなか見る目があるな。かわいいと表現するのは気になるが……』
私は、茶碗を落としかけた。危ない、危ない。反射的に両手を受け皿にして、どうにかキャッチする。
「……今の、だれ?」
『危ないではないか! 誰とは無礼な。こちらだ。お前がその掌に収めておる、大変高貴なる器である』
――茶碗が、喋っている。
「雨宮さん……」私は真顔で呼んだ。「この茶碗、喋ってる」
「幻聴が出る歳じゃないよ、私」
「いやほんとに今、高貴なる器って」
『そう、高貴なる器。よくぞ理解した』
私と雨宮さんが見つめ合う。次の瞬間、雨宮さんは肩をすくめて笑った。
「夏目ちゃん、疲れたなら裏でお茶飲んできな」
「違う……あ、でもお茶は飲みたい」
『ふむ、茶を飲むのは良いが、まずは聞け。お前、私の声が聞こえるということは――選ばれし者だな。よし、任命する。』
「はい?」
『探偵だ』
「いや待って」
『よし、決定だ。お前は今日から私の名探偵である』
「いやいやいや、私はただのバイトだから。茶碗に職業決められる筋合いないから」
――けれど、その言葉に妙なざわめきが胸をかすめた。まるで、店に積もる時間の層が一瞬ひっくり返ったみたいに。
『ただのバイトだと? 自らを矮小化するものに推理は務まらんぞ。名を名乗れ』
「……夏目璃子。大学三回生。古道具屋バイト。時給は……」
『夏目璃子。響きは悪くないな。璃。玻璃の璃。器の名を持つ。宿命だ』
「漢字はそうだけど……字面に勝手な意味を見出さないで。ていうか、なんで喋るの?」
『聞きたいか? では簡潔に言おう。お前が私を拾ったからだ』
「拾ったのは雨宮さん」
『物事において誰の手に触れたかは重要だ。最初の所有者が誰かではなく、最初に心で触れたのが誰か、だ。お前は私を可愛いと言った。それで十分だ』
妙に偉そうで、妙に理屈っぽい。私は目を細めた。
「……君、もしかして面倒くさい?」
『高貴と言え』
「面倒くさい高貴な茶碗がいる」
雨宮さんは、ふふっと笑って私たちを交互に眺める。
「その茶碗、欠けがあるから値段付け迷ってたんだけど……夏目ちゃんが気に入ったなら、あげようか?」
「えっ良いんですか?ありがとうございます。調査対象として保管します」
『よし、その意気だ。――さて、名探偵夏目よ。初仕事だ』
「勝手に肩書つけるな」
『事件だ。緊急だ。重大だ』
「別に何も起こってないけど?」
『いや、重大な事件が発生しておる。――事件の概要を述べる。ここ数週間、私の旧主である老紳士が、店に姿を見せない』
「……老紳士?」
『品のある男だ。背筋が伸び、指先の扱いが丁寧だった。私は長く彼の食卓にいた。やがて私が彼の手を離れたのは――些細な運命の転倒だ。だか彼は時折ここへ来て、私の面影に触れていた。雨宮、といったな。お前の主人よ、彼が証人だ』
カウンターの向こうの雨宮さんに聞いてみると、雨宮さんは少し驚いた顔をする。
「……そういえば、最近来ていないね。いつも日曜の昼過ぎに覗く人。背の高い、帽子が似合う」
『そう、その人だ。来ぬ。3週間。これはただ事ではない。誘拐か、殺人か――』
「いやいやいや、物騒に飛びすぎ。旅行か、体調崩したか、家族の用事か。まずは優しめの推理から始めよう、ね?」
『名探偵は大胆に仮説を立て、優雅に検証する。そう教わらなかったか?』
「誰に」
『私だ』
「今さっき始めて声が聞こえたんですけど?」
でも、私の胸のどこかが、ちくりとした。
……3週間。
常連のいつもの顔がふと消える。それは、古道具屋を出入りする人たちの時間がふいに途切れることを意味する。脈が一回、飛ぶような感じ。戻ってくることもあれば、そのまま途切れることもある。
私は茶碗を掌で包み、口を尖らせた。
「雨宮さん。伝票で、あの老紳士の名字とか手がかり、ありませんか」
「確か、白山さんだったかな。昔、買取した記憶がある」
『白山。良い名だ。白い山。器の白と、冬の記憶』
「はい、詩人は黙ろうか」
私はバッグを肩にかけ直した。
「今日はもう暗いし、訪ねるなら明日にしよう。――というわけで、初任務は情報の足固め。このくらいのテンポで行きます」
『異議なしだ。名探偵は一日にして成らず』
「うん。あと、私は名探偵じゃない」
『名探偵だ』
「うるさい」
雨宮さんがくすっと笑って、レジを閉める。
「夏目ちゃん、面白い子を拾ったね」
「拾ったのは雨宮さん」
『拾われたのは私だがな』
三人(人間二、器一)が店の灯りを落とす。シャッターの前で私は伸びをして、大きく息を吐いた。
唐揚げにレモンをかけるべきかどうか、という問題は、いったん棚上げ。今日は、別の味の話が待っている。人がいなくなったとき、残される味。記憶の温度。器の、縁の欠け目に溜まる、微かな影。
私は鍵を回し、シャッターを下ろす。金属音が消えて、しばらくの静けさ。
「じゃあ、夏目ちゃんお疲れ様」
私は雨宮さんと別れ、帰路についた。背中のバッグの奥で、茶碗がかすかに鳴った気がした。
「……やっぱり聞こえる人は聞こえるんだね。私は何十年やってても声は聞いたことないけど、夏目ちゃんに聞こえるなら、きっとそれが縁なんだろうね」
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