第2話公園の少年
その夜の帰り道。
九条蓮は、展覧会の余韻を引きずりながら、いつものように公園を横切っていた。
夜風に揺れるブランコ。街灯の明かりに浮かぶ砂場。
人影のないはずのその場所に、小さな影がひとつ座っていた。
ベンチに腰掛けているのは、まだ十歳ほどの少年だった。
ランドセルもなく、ただ膝を抱えてうつむいている。
その存在は、華やかな芸術家の帰り道に似つかわしくない異物のように映った。
蓮は足を止め、無意識に声をかけていた。
「……こんな時間に子どもが一人でいるもんじゃない。早く帰れ」
少年は顔を上げた。
大きな瞳に街灯の光が反射している。だがその瞳には、年齢に似合わない空虚さが漂っていた。
「……帰らなくてもいいんだ。お父さんもお母さんも、僕に関心ないから」
その一言に、蓮の心臓が一瞬だけ脈打った。
母に向けられたあの恐怖の瞳が、脳裏によみがえる。
だがすぐに頭を振り、冷たい声で言い放った。
「……だからって、夜にうろつくガキを拾う趣味はない」
そのまま歩き出そうとした――だが、足が止まる。
腹の底で、奇妙なざわめきが生まれていた。
気まぐれのように、彼は近くのコンビニへ足を向ける。
数分後、蓮は戻ってきた。手にしているのは三角のおにぎり。
少年の前に立ち、無造作に差し出す。
「……これ食ったら、ちゃんと帰れ」
少年は驚いたように顔を上げた。
そして両手でおにぎりを受け取り、包みを破った。
ひと口かじり、もぐもぐと咀嚼して――小さく、しかし確かに呟いた。
「……美味しいね」
その声は、蓮の耳に妙に鮮明に届いた。
やがて食べ終えた少年は立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ありがとう、おじさん」
その後ろ姿を、蓮は黙って見送った。
自分の胸の奥に、説明のつかない重さが残っていることに気づきながら。
---
翌日。
蓮が再び公園を通ると、そこには昨日の少年が待っていた。
「おじさん!」
駆け寄ってきた少年――篠田蒼は、笑顔で声をかけてきた。
「今日ね、学校で先生が変な顔してさ……」
「クラスの子がさ、机に絵を描いて、それがすごく面白かったんだ!」
矢継ぎ早に話す蒼を、蓮は面倒くさそうに見下ろした。
「……俺はお前の親じゃない。いちいち話すな」
冷たく突き放す言葉。
だが、蒼は怯まなかった。
むしろ嬉しそうに笑い、「じゃあ、また明日も話すね!」と駆け去っていった。
残された蓮は、溜め息を吐く。
「……子どもに懐かれるような人間じゃないんだ、俺は」
そう思いながらも、足は自然と次の日も公園を通ってしまうのだった。
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