推しヒロインを平凡に暮らさせたい

1-1「私はモブ、でも推しは尊い」


 翌日。


 十三歳になったばかりの私は、まだ昨日の衝撃を頭の隅に抱えたままだった。

 それでも健康優良児らしく、溢れる日差しの中で目を覚まし、いつも通りに朝食をとり、可愛らしい制服に袖を通して、変わらず学園へと向かう。


 ――ここは“あの乙女ゲーム”の世界。

 理解はしていても、なお信じがたい事実。

 そして目の前を歩く少女、メロディ・レインこそが、数え切れないバッドエンドに弄ばれる不憫なヒロインだということ。


 藍色の髪が朝の光に透けて、淡くきらめいていた。

 両手に書類を抱え、友人に「大丈夫だよ」と微笑む。その姿を見た瞬間、胸がきゅっと締めつけられる。


 ――うわ……尊い。

 ただそこに立っているだけで、どうしてこんなにも健気に見えるんだろう。陽の光すら彼女を祝福するようで、輝くその姿はまるで宗教画の聖女みたいだ。


 ……いやいやいや、落ち着け私。

 彼女は“推しヒロイン”。

 私は“モブ”。

 関わる必要なんてない。ただ陰から見守って、朝から推しを拝める幸運に感謝していれば、それで十分――本来なら。


 次の瞬間、メロディの足が石畳に取られ、腕の中の書類がばらばらと散った。

 周囲の生徒たちはちらりと視線を投げるだけで、誰も助けようとはしない。


 ……これ、知ってる。原作でもあった「困難に立ち向かうヒロイン」のオープニングだ。

 けどさ!声かけてた友人たちくらい、拾ってあげてもいいと思わない!?

 確かにこの学園は貴族やらお坊ちゃん嬢ちゃんが多くて、しゃがむのは“お上品じゃない”のかもしれないけど!


 小さな怒りを抱えた私は、気づけば駆け寄って一緒に紙を拾っていた。


「……ありがとう」


 驚いたように瞬きしたメロディが、ふわりと花が咲くように笑った。

 真正面から浴びるその笑顔の破壊力は絶大で、思わず眩しくて目を細める。


 ……うわ。やばい。

 やっぱり推しの笑顔は桁違いだ。


「いえ。たまたま近くにいただけですから」


 必死にそっけなく返す。

 だって、陰ながらのモブとして推しを支えるのが私のスタイルなんだから!


 それでも声を聞き、笑顔を見て、言葉を交わせただけで、胸の奥がくすぐったく、熱を帯びる。

 私は自分に言い聞かせる。


 ――そう、私はモブ。陰ながら見守るただのモブ。

 でも、推しは尊い。

 それだけで、十分なんだ。

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