誕生!マジカルイクラン

トマ

誕生!マジカルイクラン

 大学生の昼は、頭脳戦である。それは、所持金を給料日まで持たせるための。

 僕も、その一人だ。酒井廉さかいれん、18歳。大学1回生。アルバイトの給料が入るまでは、限られた金で食いつなぐしかない。

 昼はスーパーで買った安売りのカップラーメンを、食堂に備え付けてある無料の給湯器から出るお湯で作る日々。実家暮らしとは言え、余計な散財は一切許されない。


 そして今日は、普段の4割増しで悩みまくっていた。カップラーメンのストックが尽きたのだ。

 しかも、こんな日に限って、食堂には「給湯器故障」のお知らせ。まったくついていない。


 友達はいるけれど、食べに行くほど仲がいい訳ではない。給料日までは少し間があるし、急な出費にも備えて食費は最低限に抑えておきたい。

 そして迎えた昼休み、学生でにぎわう大学から外に出る。食堂よりも安く、それでいておいしいお得な料理を求めて。昼休みが終わるまでというタイムリミット付きで。


 大学から駅まで続く商店街には、豚丼、ラーメン、カレー、中華料理……様々な店の看板が立ち並んでいる。

 けれど気になったのは、どれも混雑しているか、少し高いということ。

 「作戦は失敗だった」なんて、どこかのSF映画みたいなセリフが頭の中に少しずつ流れ出す。同時に、身体から季節外れの冷や汗が流れ出す。


 魔法少女が、目の前にいればいいのにと思ってしまう。空腹で困っている人に食べ物を与えるような、正義のヒーロー。実際、朝ドラのモデルになった作家はそんな感じのことを言っていたというじゃないか。

 けれど、そう簡単に会えるわけがない。魔法少女はいるけれど、基本的に会えるのは魔物がやってきた時ぐらいなのだから。


 焦りながら、大学に戻ろうかと考えた時のことだった。僕の視界に、見慣れない店が現れたのだ。

 行きにはなかったはずだ。見落としていたのかと思いつつ、軒先の看板を確かめる。


 「いくら丼が0円」の文字。目を疑った。物価高の続くこの時代にそんな破格の値段で提供できる店があるのだろうか、と。

 よくよく見ると、ポスターには僕の想像する“いくら丼”……オレンジのつぶつぶがたくさん載ったどんぶりの写真は無く、ただ文字のみが書かれている。

 しかし、このまま帰ってしまえば夕食までの約7時間を、何も食べずに過ごすことになってしまう。

 意を決して、入口の扉を引いた。


 店の中には、薄暗い店内の様子が広がっていた。ムーディーな間接照明が光っているという訳ではなく、本当に薄暗い。使われていない空き教室に入った時のような感覚だ。


 早速、その“いくら丼”を頼んでみる。

 店主らしき人は、年老いた大きなおばあさんだった。

「特盛でいいかい。お得だよ。タダでいいよ」

「えっ……あっ、ありがとうございます」

 いきなり特盛。どうやら、僕が学生だと気づかれたようだ。せっかくなので特盛にする。

 しかし、一連の流れがまるで都合が良い。良すぎて、むしろ不安になるぐらいに。


「はいお待ち。いくら丼の特盛ね」

 カウンターテーブルに現れたのは、まさしく“いくら丼”だった。僕の想像通りの見た目をしていた。インスタグラムで見るような、きれいなオレンジ色の粒が、たくさん載っている。


 大きなレンゲですくって、大きく口に運ぶ。口の中でプチプチと弾けてから、その風味が広がっていく。

 お腹に感じる僅かな重量感。空腹が次第に撃退されていくのがわかった。

 かなり濃い味付けが口元にまとわりついて、食べ応えをさらに増幅させていく。


 ガラスのコップに注がれた水を何度も飲み干しては、ピッチャーからまた注ぎ直す。

 今度はお腹に、冷たい感触が走る。今まで食べ進めてきた感覚を、リセットするかのように。


 次第に、米といくらの量は減っていく。器に張り付いた米粒を丁寧にすくって、口に運んでいく。

 最後の一粒まで、味が染み込んでいた。


 出入口の前に置かれたレジスターの前で、一応の会計に入る。少しだけ恐れる気持ちもあった。あとで特別料金とやらを上乗せされるのではないか、という不安感。

 けれどもそれは、杞憂に終わった。本当に1円も払うことなく会計が済んだのだ。


 腕時計に目をやると、タイムリミットまでは残り15分ほどだった。大学にも間に合う距離と時間のバランスが、ギリギリ保たれている。

 少し小走りで商店街を歩き出した、その時だった。


 黒い体に、大きな金のツノ。そして、巨大な紫色の唇をした魔物が、雄叫びを上げて目の前に現れたのだ。

 商店街の人々たちが、蜂の巣をつついたかのように大騒ぎを始める。大学の正門はすぐ向こうだというのに、通れない。


 もう魔法少女なんて、出てこなくていいのに。空腹はあのいくら丼が撃退してくれたのだから。

 タイミングが合っていないな……なんて、呑気に思っていたのがまずかった。

 僕は、魔物に体を掴まれてしまった。どことなく熊のような形をしているものだから、まるでよくある木彫りの置物だ。置物の鮭が僕、ということ。


「あっ、兄ちゃん、ここにいたのかい!」

「あっ、あの!?」

 掴まれている僕の目に入ったのは、あのおばあさんだった。

 普段ではありえないほど高い視点から見るその姿は、店の中で見たときとは違ってちっぽけだった。


「騒ぎを聞きつけて来たんだよ!さあ、とにかく叫べ!『変身』って叫ばんか!」

「はあっ!?いや、魔ほ……ぐっ、ゲッ、がっ」


 体が締め付けられていく。このままだと全てをバキバキにされて、あの魔物の“エサ”になってしまうのが見えてきた。

 ギリギリになりながら声を出す。


「げ、べ、えっ……へ、へん、しん!!」

 その瞬間、腹がいきなり光り始めた。体を魔物から引き剥がす強い力で、僕は空へ飛び上がった。

 空中には、魔法陣が描かれている。見覚えがあった。昔、魔法少女の戦いの現場に出くわした時に、こういうもの見たことがあったのだ。


 くぐり抜けた先は、激しく光が流れる異空間だった。僕の服はなぜか無くなって、身体はサーモンピンクに輝いていて、その感覚はなぜかなくなっている。ただ、この光の流れを遡上しているということだけは分かるのだが。


 やがて、身体のパーツごとに光が集まっていき、それがプチッと弾けていく。そのパーツが何個かできていくと、次第に完成図が分かってくるような気がした。


 自分の姿が分からないままで急降下して、商店街のアスファルトに着地する。身体の感覚は戻っていたが、なんとなく先ほどまでと違う気がした。どことなく髪の毛が身体に当たっている。


「その道を、開けろ……!」

 声が変わっていた。ガラス窓の方を振り向くと、そこには紛れもない魔法少女となった、僕の姿があった。

 モチーフは鮭と、イクラのようだった。

 都合が良いと思っていたら、こんなことになるとは思わなかった。戸惑って心の準備ができないままで戦いが始まる。

 タダのイクラ丼で節約という名の頭脳戦を勝ち抜いたと思えば、まさかこんな本当の戦いに巻き込まれるとは。人生は何が起こるか分からないものなのである。


 僕の武器は、鮭の骨のような形をしたものだった。たぶん剣のつもりなのか。使い方も分からないけれど、意を決して行動に出る。

「リ·ボーン·ストライクッ!」

 骨をやり投げのような要領で、魔物に向かって投げた。


 グサッと刺さるのと同時に、雄叫びが上がる。悲鳴と言ったほうが良いかもしれない。

 同時に、魔物の肌から濃い赤色の何かが出てくる。多分、血だ。

 とりあえず手応えはあるようだったが、今度は骨をどうやって取り出すかが分からなくなってしまった。


 何か出ないかと思って、適当な力を手に込める。

 すると、大きな“イクラ”のような物が出来上がってきた。なんだか分かってきた。いくらは鮭の卵。それなら、この力を活かして戦ってみるしかない。


「おりゃあ!」

 力いっぱいに育て上げた大きなイクラを、魔物にぶつける。何も分からないので、こんな適当な攻撃しかできない。漁業関係者が見たら多分怒るだろう。

「さあ、喰らえ……早く消えろ!!」

「ウッ、ググッ……グマァ……」

 とどめを刺してしまったらしい。魔物は倒れ込み、そのまま霧のように消えてしまった。


 周囲から拍手の音が聞こえてくる。街を救ったからだ。

 こんなに拍手を浴びるのは、きっと初めてだ。自然と笑顔が出てしまう。


「ありがとう!」

 不意に声をかけられて、振り向く。そこには小さな女の子と母親がいた。

「あの、ありがとうございます。それと、イクラ丼好きなので応援してます。頑張ってください!」

「あっ、どうも……」

 温度差を感じる。僕は、別にイクラ丼が好きなわけではないのだ。


「サインして〜!」

 今度は別の女の子だ。魔法少女の人気を思い知る。

 サインをねだられたものの、ここで僕の本名を書くわけにはいかない。「酒井廉」なんて書いても、漢字を習っていないであろう子供には理解できないだろう。


 乾いた雑巾のようなセンスを振り絞って名前を考える。イクラがモチーフで、魔法少女っぽい名前。

 迷った末、その子の持っていた画用紙には「魔法少女マジカルイクラン」と書いた。結構可愛くできたと自負している。喜んでくれたのでそれでいいのだろう。


「ビギナーズラックだね、マジカルイクラン。けれど、あれだといつか絶対負けるよ。命を落とすよ」

 おばあさんが肩を叩きながら言った。分からないままで必死に戦ったのによくもそんなことを言えるな、という思いだ。

「いや、その……」

「アタシは昔、あんたと同じことをしてた。でも年齢でやめて、そこから50年くらい平凡に暮らしてきたのさ。この妖精と」

 おばあさんの隣には、鮭の形をした妖精がふわふわと浮いていた。本当に、鮭のような見た目だった。


「これで弟子ができた。ようやく気楽に暮らせるよ。頑張ってね、マジカルイクラン」

 妖精が、勝手に弟子にされた僕の元へ寄ってくる。

「いや、待って下さいよ。なんで僕はいくら丼で魔法少女になったんですか」

「あのいくらの大部分は、この妖精さんが作ってくれた魔力を強化させる“魔法のイクラ”だったのさ。だからタダ。大成功だったよ」


 知りたいのは、その秘密ではない。


「魔法少女になったメカニズムとか、理由は……?」

「理由?跡継ぎを見つけたかったからだよ。妖精さんを、次の魔法少女の元に送り出したくて。50年も一緒だとさすがに、ねぇ」

 そんなこと知らない。

「そして、あのイクラで魔力が増強されて、それで変身できたから魔法少女になれた。それだけ」

「なるほど。……それと、なんでイクラとか鮭なんですか?」

「あたしが好きだったから」

 そうなんですね、としか言いようがない。


「これ、何年ぐらい続くんですか?」

「えっ?あんたの魔力が尽きるまでさ」

「……」

「そう気にすんなって。明日、またうちの店に来なさい。戦い方とか、教えてやるから」

「あっ、どうも……」


 明日はバイトがあるというのに。

 ガハハ、と笑うおばあさんを見て、僕は作り笑いを浮かべることしかできなかった。

 ああ、「ただより高いものはない」とは、よく言ったものだ。“いくら”なんでも、これは滅茶苦茶だが。

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