黒糖のアップルパイ





 家の裏には、小さな畑がある。


 今は何も植えてないが、雑草一つない。

 これまた、初代聖女の力の無駄遣いのおかげである。


「食料の鮮度が落ちない部屋」に、たしか種があったはずだ。


 “彼女“がどこから仕入れてきたのか――“彼女“が好む、野菜や果実の種は一通り揃っていた。



 少し早い夕食を済ませたアリアは疲れが出たのか、食べ終わると同時に船を漕ぎ出した。

 そんな彼女を、ベッドへと運んだ後だった。



 トマトにきゅうり、キャベツやレタス、たまねぎ、じゃがいも……



 この土壌に種を撒いて、“彼女“が力を使うと、種はたちまち実を宿した。

 野菜類なら、ほぼ一日で実をつける。

 果実も、五日〜一週間あれば収穫できた。



 彼は“彼女“と同じ力は使えない。聖女の力は、彼の存在とは相反するものだった。



 まぁ3日というものか……



 “彼女“のような芸当は出来なくても、彼にも理に反した力はあった。

 彼は、「部屋」から持ってきた種を、適当に撒いていく。


 仕上げに魔力(彼は便宜上そう呼んでいたが、魔族のそれとは異なる力だ)で作り上げた水に、“彼女“の模倣して工夫した力を込めて、空から撒けば終わりだ。



 サトウキビが出来上がるまで、五日ほどだろう。

 部屋に小麦はあるし、久しぶりに懐かしいものでも作るか。



 彼は雲ひとつない空を見上げながら“彼女“、そして歴代聖女が好んだ黒糖を入れたアップルパイを頭に浮かべていた。





 ◇ ◇ ◇





『私が聖女なんて笑っちゃう。私なんかより世界のことを考えてる人なんて、いくらでもいるのにね』




 “彼女“を聖女たらしめる力。


 “彼女“はそれを、まるで忌々しく思っているかのように言った。

 表情こそ呆気からんとしていたが、その声色は冷たく乾いていて吐き捨てるようだった。



 何故そう思うのか?

 たしか、そんなことを聞いた気がする。




『だって私、世界がどうなろうと知ったことじゃないし。

 私が生きてる間は、不自由はしたくないし、楽しく生きたいよ?

 でも、死んだ後の世界なんて心底どうでもいい』




 “彼女“は、当時の人間族が崇める唯一神の教会に属しながら、これっぽっちも神のことを信じておらず、生まれ変わりなんてもってのほかだった。



 曰く、生まれ変わった「私」。それは既に「私」ではないのだから、と。



 死んだ後の「私」に、何か出来るわけでもない。

 心配したところで何もできない。遺してきた人は、その人たちでどうにかしてもらうしかないのだ、と。



 その考えはもしかしたら、“彼女“が聖女と生きてきた故の言葉だったのかもしれない。


 そのような会話を幾度か話し、その度吐き捨てるように言った後、“彼女“は清々しそうに笑うのだ。



『こんな本音、教会でセイジョサマしてた時に、言ってみたかったなぁ。

 みんなどんな顔しただろう?』



 “彼女“は、あまり過去を語らなかった。

 それでもそんな言葉の端々に、“彼女“の短い生が垣間見える気がした。



 無邪気で天真爛漫。突拍子のない思いつきを可能にする――純粋無垢な幼子のような少女。



 悪意という概念を知らないような振る舞いをしているにも関わらず、時折見せる非情にも見える、達観とは程遠い諦念。

 そんなものを宿す郷愁じみた言動は、幼子の皮を被った老婆のようにも見えた。



 大きく矛盾した対極の二面性、その葛藤。

 善と悪、希望と諦観、意欲と失望。


 その間で揺れる“彼女“は、今思うと、まだ若く幼かったのだろう。彼はそう思う。






 三大種族対戦が苛烈を極める時代に、教会の聖女という役目を放棄した“彼女“は、何を思って、この島にやってきたのだろうか。


 とうとう“彼女“は、最期の瞬間まで、それを口にすることはなかった。



 一度は世界に絶望し諦めた聖女が、後の世で「聖母」として名を残すとは――歴史とは、笑えるほど滑稽なものばかりだ。




 彼は思う。

 神も聖母も聖女も詰まるところ、この世界で暮らす人々たちのための存在であるのではないか。


 ただただ「自分」という存在を絶対的に信じられない者たちが、帰依するための存在であるのではないか、と。



 彼は一度見てきた。

 長い時代の発展と共に、「神」を必要としなくなった人々を。



 しかしながら――

「神」を必要とする人と、必要としない人。そしてその時代。



 どちらが幸せで「人らしい」のか、それはやはりわからない。





 ◇ ◇ ◇





 アリアが帰ってきて、一週間が経った。



 この島の気候は安定していて、昼は春のように暖かい。

 四季がない代わりに、島の東西南北に分かれて四季のような現象を時折、見ることのできる。そんな不思議な土地であった。



 この一週間、彼は忘れかけていた料理にようやく慣れてきたところであった。




『君の味覚はどうなってるの!?』




 ――俺の味覚は、人間とは少し違うようだ。

 とのことを、彼は久しぶりに思い出したのである。



 幸い料理をしようとすると、″彼女″のその言葉が、反射的に思い出されるため、聖女たちが食べられないほどの料理は、出したことがない……はずである。



 どうやら人間は、彼よりも味覚がずいぶん発達しているらしい。

 彼には気にならない程度の臭みや苦味、酸味などに敏感だった。


 そもそも彼には本来、食事という概念はなかったし、生命維持のために必要もない。

 だから、何故人間がそこまで食に拘るのか、当時の彼には到底理解出来ないことだった。



 そう、過去形だったのだ。

 人間ほどではないが、今や彼には、それがほんの少しだけわかるような気がしていた。



 何故なら――



「この味、ほんとに……ほんとに懐かしいですね、先生」



 サトウキビから作った黒糖のアップルパイ。


 遠い昔、嫌というほど作らされたそれの作り方を、彼は覚えていた。

 半世紀以上振りに食べるのだろう――それを一口頬張ったアリアは破顔して呟く。



 この顔だ。

 人間は美味しいもの、好きなもの、懐かしいものなどを食べるときに、心から幸せそうな表情をする。


 食に対しての執着も、その幸福感も彼にはやはりわからないが、その表情を見ているとほんの少しだけわかったような気になるのだ。




 歴代聖女の食への好みはそれぞれだった。


 しかし、不思議と黒糖のアップルパイだけは全員に好評だった。

 作り方を彼に教えたのは″彼女″である。



 このアップルパイを作り出すために″彼女″は小麦、林檎、サトウキビの育て方から始まり、生地の練り方、焼き方まで徹底して試行錯誤した。

 その作業をするのは、常に彼の仕事であった。



 見ている彼がうんざりするほど、毎日いくつものアップルパイを平らげたのに″彼女″は全く太らなかったし、本人も太ることを気にしていなかった。



 当時はそれを不思議に思っていたが、今では何故″彼女″が太らなかったのか判明している。


 聖女の力は、本人の生命力と連結している

 分を超えた力を使うのは、すなわち命を削ることだった。

 ‘’彼女‘’は、彼を殺すという約束を守るために、命を削っていたのだ。



 ふとしたときに、‘’彼女‘’から流れてきていた聖女の力。それを彼は思い出した。


 どうして、当時はそのことに気がつかなかったのか――






 テーブルの上の大きなアップルパイが半分になっていた。


 アリアの寿命を一日でも伸ばそうと思うのなら、彼女の好物を沢山食べさせてやらないと。

 九十を超える老婆とは思えない勢いで、アップルパイを頬張っていくアリアを見て、彼はそう思った。


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