二十四代目聖女アリア




 三大種族による大戦を終わらせた初代聖女が生まれた歳を神聖暦元年として、すでに二千五百年の月日が流れた。


 後に聖母と呼ばれる彼女が、自らの命と引き換えに張った結界。

 世界を隔てるそれを見守り続ける間に、彼は何人もの聖女と出会った。



 アリアはおそらく、二十四代目聖女のはずだ。

 初代聖女は若くして、死んだ。

 何歳だったのかさえ、彼は知らない。


 彼女が死んでから、ちょうど百年後に次の聖女が誕生した。






「先生?」



 アリアが彼の顔を覗き込む。

 彼女を家に案内し、ダイニングテーブルの椅子に座らせたあと、頭の中で計算していた彼は自分の計算が間違いではないことに頷いた。



「この家は、長旅を終えた老婆にお茶も出ないのですか?」



 アリアが意地悪そうに微笑む。



「随分と図太くなったようだな」


「逞しくなったのですよ」



 彼はまだ十歳だったアリアを二年間、面倒を見て、聖女に授けられた力の使い方を教えた。


 当時の彼女は借りてきた猫のように大人しく、常に何かに怯えているように見えたものだった。

 それがたった七十八年で、こうも凛々しく、アリアの言葉を借りるのなら、逞しくなるものなのだろうか。


 アリアは彼の表情を見て、可笑しそうに笑う。



「色々あったのですよ。先生が眠ってる間に……

 先生はわからないでしょうけど、短命な分、人間は成長が早いんです」


「そういうものか」



 ふと″彼女″のぼやけた輪郭が頭に浮かぶ。

 短命ですぐに滅びるだろうと思っていたのに、三大種族の大戦を生き残り、終止符を打った人間族。



「いや、そういうものなんだろうな」



 彼には、理解できないそんな種族。

 しかし″彼女″のおかげで、ほんの少しだけ想像することは出来るようになった種族でもあった。



 アリアの好きなハーブティーを淹れて、彼も席に着く。

 アリアだけではない。

 彼は不思議と、今までの歴代の聖女の性格や好みなどを記憶していた。



「さて、話してくれ」



 聖女の人生の土産話を聞く。

 平和になった世界の聖女の一生なんて、どれも似たり寄ったりで彼に与えてくれることは少ない。

 しかし、聖女の人生に寄り添うことが彼の役目であり、″彼女″との約束でもあった。



「そうですねぇ、どこから話しましょうか」



 香りを楽しむように、ほんの少しハーブティーを口に含んだアリアは、まるで少女のように微笑む。



「先生にわかりやすいように、時系列順に簡潔にお話しますね」



 アリアは彼の性格をよく把握している。

 歴代の聖女の中でも機転が利き、頭の回転は速い。

 彼はほんの少しホッとして、頷いた。





 ◇ ◇ ◇




 この世界には三つの大陸が存在する。

 東の大陸に人間族。

 南西の大陸に幻種族。

 北北西の大陸に魔族。



 それら三つの大陸は、広い海に隔たれていて、その海域のある地点でカーテンと呼ばれる結界が存在していた。



 その三つの大陸のちょうど中心部、それが彼の住む大陸。

 いや、大陸と呼ぶには小さい。


 世界では、聖域と呼ばれている島だ。

 結界の源はこの聖域であり、彼の眠っていたあの大樹こそが、その核を担っていた。


 そして聖域には、三種族から迫害された種族――いわゆる混血種が住んでいた。



 三つの大陸と一つの島。


 それらは結界により行き来不可能で、その結界を破れるものは、この二千五百年の間、一人も現れていない。


 しかしそこには、例外がいる。聖女だ。

 聖女だけが、大陸間の結界を行き来可能だった。



 それは、初代聖女の力を受け継ぐものだからではない。

 聖女は、各種族を隔たりなく癒す者として生まれる。そう初代聖女が使命づけたからだった。



 三大種族対戦の後、大地には瘴気が溢れた。

 強すぎる様々な力が、ぶつかった影響である。


 その瘴気に対して、各種族は対処療法を編み出しはしたものの、それだけでは種族が滅びる。

 瘴気を払い、瘴気におかされた人々を救うのが聖女の役割であり使命であった。


 そこで初代聖女は結界を張ったのち、僅かな命を使って、世界に宣言した。




 ――この後、誕生する聖女は、私の代行者として世界を癒す。

 その聖女を、悪意を持って、又は故意に害してはいけない。

 独占しようと聖女を害し、自由を奪い又は命を奪った場合、その後聖女は生まれず世界は瘴気で滅ぶだろう。

 聖女は世界共通、唯一の癒しの担い手であり、世界を瘴気から守る、守護者である――




 宣言された声明は、それだけだった。

 しかし聖女の力で、後の役目を担う聖女に引き継がれたものは、



 初代聖女――″彼女″が何者かは、彼も知らない。

 この世界と共に生まれた、神に一番近い存在である彼ですら、理解の及ばない存在。


 永きに渡る争いに辟易した神が、それを終結させるために遣わしたような――

 ″彼女″はまるで、神の代行者のようだった。




 ◇ ◇ ◇




 アリアの話は、実に簡潔でわかりやすかった。

 聖域を出た後、すぐに人間族教会本部に身を置き、今後に必要な知識と教養を学んだのちに、各地の瘴気を払う。


 数年に渡る旅のあと、多種族の土地へと赴き、同じことを繰り返す。


 アリアの語る彼女の歴史は、ほとんどが客観的事実のみで構成されており、アリアの主観的回想はないに等しかった。




 歴代聖女の話を聞いてきて、彼が思うところというと、各種族に共通していつしか発足した教会が、みるみる宗教として発展していき、種族問わず、人々の支えになっているということ。


 そして、世代を経るたびに瘴気は徐々に収まっていっているということだ。

 その他のことも、様々なことは変わっている様子ではあるが、彼にとってそれはどうでもいいことであった。



 しかしながら……


 不思議なことが、一つある。

 どうもあの大戦以降、世界の発展が芳しくない。

 三大種族対戦よりももっと昔――現存する種族が、存在を明らかにする以前の話まで遡る。




 この世界は一度、文明が滅びている。

 滅んだ文明は、今とは比べ物にならないくらいに、高度なものであった。


 世界の成り行きを陰で見守ってきた彼は、だからこそ首を傾げてしまう。


 前の文明より、魔法が発達している影響であろうか。

 それとも、大戦で滅んだ多くの種族の影響であろうか。

 そういえば、特に科学技術に興味を示し、優れた技術をもった種族は軒並み滅んでしまった。


 人間族はまだしも、魔族は文明発達などにはこれっぽっちの興味も示さないし、幻種族は伝統と自然を重んじる。


 二千五百年という歳月が経っているというのに、未だ人々は陸路の移動に馬車を利用しているらしい。




「どうかしましたか? 先生」


「いや……」



 沈黙した彼の顔を、アリアが不思議そうに覗き込む。

 覗き込んでいるつもりはないのかもしれないが、背の低い彼女が見るとそうなってしまうのだろう。


 アリアがティーカップをそっと持ち上げた。

 その手は、幼い頃の張りをなくしている。皺が多く皮膚が垂れさがっているが、変わらず手は子供のように小さい。



「長話をして、疲れただろう。

 少し休むかその間に私――」



 その間に、私は適当なものを作っておこう。

 そういうつもりだった。



 ――私?

 彼は、口に出した一人称に違和感を感じて、途中で沈黙する。

 七十八年前は一体、どう話していただろうか。



「どう言っていたんだったか……」





『余はって……いつの時代よそれ。王様にでもなるつもり?

 待って、やめてお腹痛い。笑い死ぬ……

 儂も却下。その顔で儂とか、ギャップ狙いでしかなくて痛い。

 どう考えても君は……』





 長い間、彼が影の王であったことを″彼女″は最後まで知らなかった。

 どんな相手でも、彼を見ると恐れ慄き、ひれ伏してきた。なのに、彼女は初対面の彼の言葉に腹を抱えて笑ったのだ。




 彼の思考が遠い記憶の中から、現実に浮上する。

 すると、アリアは立ち上がって、にっこりと微笑んでいた。



「俺、ですよ? 先生。

 先生は自分のこと、俺って言ってましたよ」



 何故わかったのだろうか、なんて思わない。

 アリアは人の気持ちや思考を察し、先読みする能力が幼いころから秀でていた。




『俺! 俺よ? わかった? それ以外は認めないし、話を聞かないわ』




 どこからか聞こえた″彼女″の声に、彼は笑みがこぼした。



「そうだったな。俺という言い方が一番しっくりくるらしい。

 俺は適当なものでも作る。アリアは休んでおけ」


「いいーえ、私も手伝いますよ。材料はいつもの部屋でしょう?」


「その体じゃ、台所に立つのも」


「子供の頃の台があるでしょう? あれを使うので、お気遣いなく」



 アリアはムッとした表情で袖を捲ると、初代聖女が聖女の力の無駄遣いと言わんばかりに作った「食料の鮮度が落ちない部屋」へと向かっていく。


 その足取りはおぼつかず、彼はその背の後をヒヤヒヤしながらついていった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る