第2話
拠点となる家をすっかり綺麗にした私は、次に村全体の浄化に取り掛かることにした。
まずは、村の中央にある広場から始めるのが良さそうだ。
かつては村人たちの憩いの場だったのだろう。
今は雑草が生い茂り、石畳は土や泥で汚れてしまっている。噴水があったらしい跡も、今はただの瓦礫の山だ。
「よし、やるぞ」
私はしゃがみ込んで、まずは雑草を一本一本手で抜き始めた。
ゲームだからか、現実よりもずっと簡単に、すぽすぽと抜けていく。地道な作業だけど、こういうのは嫌いじゃない。
三十分ほどで、広場の雑草はほとんどなくなった。
次に、いよいよ『浄化』スキルの出番だ。汚れた石畳に手をかざし、スキルを発動させる。
「浄化」
淡い光が私の手から広がり、石畳の上を滑っていく。
光が通り過ぎた場所から、泥や苔が綺麗さっぱり消え去った。石が本来持っていたであろう美しい模様が現れる。
面白いように綺麗になっていくのが楽しくて、私は夢中でスキルを使い続けた。
スキルを使うたびに、熟練度が上がっていくことを示す効果音が軽やかに鳴る。
すると、不思議なことが起きた。
ただ汚れが落ちるだけじゃない。石畳のところどころにあった細かいひび割れが、光に触れるとすうっと塞がっていくのだ。
『オブジェクト[広場の石畳]の破損を修復しました』
システムログにも、はっきりとそう表示されている。
「修復もできるんだ……」
このスキル、本当にただの掃除スキルなのかな?
少しだけ疑問に思ったけど、まあ便利だからいっか、とすぐに思考を切り替えた。
広場の隅には、枯れてしまった花壇があった。
土は乾ききってひび割れ、黒く変色している。ここも綺麗にしておこう。
枯れた花を抜き、土を軽く耕してから、『浄化』スキルをかけてみる。
土の中の石ころやゴミが消えて、ふかふかの綺麗な土に変わった。
それだけではなかった。
浄化された土から、小さな緑色の双葉が、ぽつり、ぽつりと芽を出したのだ。
「え、芽が出た……」
これには、さすがに驚いた。
枯れた花壇が、新しい命を育む場所に生まれ変わった。
私はその場にしゃがみこんで、健気な双葉をしばらく眺めていた。
なんだか、心が温かくなるような光景だった。
広場が綺麗になったところで、次に目についたのは、その広場の中心にある古びた井戸だ。
石で組まれた立派な井戸だけど、今は使われていないようだ。
中を覗き込むと、緑色に濁った水が溜まっていた。
底からはヘドロのようなものが浮き上がってきている。微かに、鼻をつく嫌な匂いもした。
「ここも綺麗にしないと」
村の生活には、綺麗な水が不可欠なはずだ。
NPCがいるのかは分からないけど、もしいるなら困るだろう。
私は井戸の縁に両手を置いた。
家や石畳を浄化した時よりも、もっと強力な穢れを感じる。これは、気合を入れないとダメそうだ。
「浄化!」
私は、今までで一番強くスキルを念じて、力を注ぎ込んだ。
両手から溢れ出した光が、井戸の中へと流れ込んでいく。
ごぽり、と井戸の底から大きな泡が一つ浮かび上がった。
そして、今までとは比べ物にならないほどの強い光が、井戸全体を包み込んだ。
眩しさに、思わず目を細める。
光が収まった時、目の前の光景に私は息を飲んだ。
あれほど濁っていた井戸の水が、底まで見えるほど透き通っている。
水面はキラキラと輝き、まるで宝石のようだ。
システムウィンドウが、目の前に自動で表示された。
『ワールドアナウンス:『呪われた水源』が浄化され、『聖なる泉』が復活しました』
『称号:『穢れを払う者』を獲得しました』
『称号効果:浄化スキルの効果が10%上昇。神聖属性の耐性がわずかに上昇』
なんだか、すごいことになってしまったようだ。
ワールドアナウンス、というのは、このゲームをプレイしている人全員に見えるメッセージだろうか。
まあ、私の名前が出ているわけじゃないし、きっと大丈夫だろう。
それよりも、水が綺麗になったことの方が嬉しい。
私は試しに、井戸から汲み上げた水を一口飲んでみた。
ひんやりとしていて、ほんのり甘い。すごく美味しい水だ。
『一時的に、全ステータスが+10されます』
飲んだ直後、そんなメッセージが表示された。どうやら、特別な効果もあるらしい。
「すごいな、このお水」
私が一人で感心していると、背後で、かさり、と小さな物音がした。
振り返ると、そこに一人の老婆が立っていた。
いつからそこにいたのだろう。
村の隅にあった、崩れかけた家の一つから出てきたようだ。この村に、NPCがいたんだ。
老婆は、ぼろぼろのローブを纏い、深くフードを被っていて顔は見えない。
ただ、その足取りは覚束なく、虚ろな目で一点を見つめたまま、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
少し怖い、と思ったけど、老婆は私を通り過ぎて、まっすぐ井戸の方へ向かった。
そして、透き通った水面をじっと見つめている。
やがて、老婆は震える声で、ぽつりと言った。
「ああ……聖なる、泉が……。穢れが、払われておる……」
その声は、ひどくかすれていた。
老婆はゆっくりと顔を上げ、私の方を見た。フードの奥から覗く瞳には、最初は光がなかった。
でも、私の姿を認めると、その瞳に、わずかながら理性の光が宿ったように見えた。
「もしや……あなた様が、この泉を……?」
私は、どう答えるべきか少し迷った。
「ええと、はい。汚れていたので、お掃除しただけなんですけど……」
「お掃除……?」
老婆は私の言葉を繰り返すと、ふらりとよろめいた。
慌てて駆け寄り、その体を支える。すごく軽くて、驚いた。
「大丈夫ですか?」
「おお……なんと、温かい光の力……。あなた様は、もしや……古の言い伝えにある、巫女様……?」
「みこさま?いえいえ、違います。私はただの、ミサです」
人違いですよ、と伝えると、老婆は不思議そうな顔で私を見つめた。
「ミサ……様。わたくは、エリアーナと申します。この村の、最後の生き残りでございます」
エリアーナと名乗った老婆は、そう言うと、ふう、と長い息を吐いた。
「長い間、この村は忌まわしい呪いに縛られておりました。わたくしの記憶も、まるで霧の中にいるように、曖昧で……」
でも、とエリアーナは続けた。
「この聖なる泉が復活したことで、少しずつ、記憶が戻りつつあります。ミサ様、あなた様のおかげです。本当に、ありがとうございます」
そう言って、エリアーナは深々と頭を下げた。
ただ掃除をしていただけなのに、こんなに感謝されるなんて、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「いえ、そんな……。私は、汚れているのが気になっただけなので」
私が恐縮していると、エリアーナは何かを思い出したように顔を上げた。
「ミサ様。もし、よろしければ、もう一つ、お願いを聞いてはいただけませぬでしょうか」
「私にできることなら」
「村の中心に、小さな祠があるのを御存知ですか?あそこは、この村を覆う呪いの元凶を封じている、大事な場所なのです。ですが、今では穢れに蝕まれ、その力を失いつつあります」
エリアーナは、懇願するような目で私を見つめた。
「どうか、あの祠も浄めてはいただけませぬか……?」
その瞬間、私の目の前に、再びシステムウィンドウが現れた。
【ユニーククエスト:廃村の呪いを解き放て】
依頼主:エリアーナ
内容:村の中心にある祠を浄化し、呪いの元凶を完全に封印する。
報酬:???
承諾しますか? <YES / NO>
ユニーククエスト。なんだかすごい名前だ。
でも、私にできるかな。戦闘とかになったらどうしよう。
不安に思っていると、エリアーナが私の手をそっと握ってきた。
その手は皺くちゃで冷たかったけど、なぜか安心感があった。
「ミサ様なら、きっとできます。あなた様からは、とても清浄な力を感じます」
クエストとかはよく分からない。
でも、困っているおばあさんを放っておくことはできなかった。それに、祠が汚れていると聞いたら、綺麗にしたくなるのが私の性分だ。
「分かりました。やってみます」
私が頷くと、ウィンドウの<YES>が光り、クエストが受注されたことを示す音が鳴った。
「おお、ありがとうございます……!」
エリアーナは心から安堵したように、何度も頭を下げた。
私はエリアーナに案内されて、村の中心部へと向かった。
そこには、彼女が言った通り、苔むした古い石の祠がひっそりと佇んでいた。
祠は、黒紫色の不気味な蔦にびっしりと覆われている。
黒いモヤのようなものが周囲に漂っており、近づくだけで空気がひんやりとして、肌が粟立つのを感じた。
これは、今までの汚れとは比べ物にならないくらい、強力な穢れだ。
「ミサ様、お気をつけください……」
エリアーナが心配そうに見守る中、私はごくりと唾を飲み込み、祠にそっと手を触れた。
ひやり、と冷たい感触。そして、指先からじわじわと不快な感覚が伝わってくる。
「浄化!」
私はスキルを発動させた。
手のひらから放たれた光が、祠を覆う黒い蔦に触れる。
ジュッ、と音を立てて、蔦がわずかに焼け焦げた。
でも、それだけだ。すぐに蔦は元通りになってしまう。
そして、今までにないほどの強い抵抗を感じた。
まるで、祠そのものが浄化されるのを拒んでいるようだ。スキルゲージが、ものすごい勢いで減っていく。
「くっ……」
諦めそうになる心を、なんとか奮い立たせる。
綺麗にしたい。この黒くて汚いものを、なくしてしまいたい。
その一心で、私は浄化の力を注ぎ込み続けた。
すると、その時だった。
カキン、という軽やかな音と共に、私の手元がひときわ強く輝いた。
『クリティカル・ピュリファイ!』
システムログに、そんな表示が出た。
私のLUKの高さが、ここで効果を発揮したのかもしれない。
クリティカルな浄化の光は、今までとは比べ物にならない力で、黒い蔦を焼き払っていく。
抵抗していた穢れの力が、みるみるうちに弱まっていくのが分かった。
「あと、もう少し……!」
私は残りの力を振り絞り、最大出力でスキルを放った。
祠全体が、まばゆい光に包まれる。黒いモヤと蔦が、光の中に掻き消えていった。
やがて光が収まった時、そこには、神聖な雰囲気を漂わせる美しい石の祠が姿を現していた。
祠の台座の上には、今まで蔦に隠れていた小さな宝箱が、ことり、と音を立てて現れた。
宝箱は、黒く変色し、錆びついている。
私は、その宝箱にも『浄化』スキルを使った。黒い錆がぱらぱらと剥がれ落ち、下から現れたのは、美しい銀細工が施された見事な宝箱だった。
ゆっくりと蓋を開けると、中には一つの指輪が収められていた。
黒くくすんでいて、邪悪な気配を放っている。
【呪われた巫女の指輪】
鑑定してみると、そんなアイテム名が表示された。
呪いのせいで、装備した者に強力なデバフを与えるらしい。
私は、その指輪にもそっと手をかざした。
「浄化」
指輪から、断末魔のような甲高い音が響き、黒いオーラが霧散していく。
そして、指輪は眩い光を放ち始めた。
【聖巫女の指輪】
ランク:レジェンダリー
効果:???
アイテム名が変わり、ランクも伝説級というものに変化していた。
効果の部分は、なぜかまだ見ることができない。まあ、私が装備できるようなものじゃないだろう。私はその指輪を、とりあえずアイテムボックスにしまい込んだ。
祠を浄化したことで、村全体を覆っていた淀んだ空気が、嘘のように消え去った。
空は青く晴れ渡り、暖かな日差しが降り注ぐ。
崩れかけていた家々は形を取り戻し、枯れ木には新しい葉が芽吹いた。
道端には色とりどりの花が咲き乱れている。ついさっきまで廃村だった場所が、まるで楽園のような、生命力に満ち溢れた美しい村へと生まれ変わっていた。
目の前に、クエストクリアを告げるウィンドウが表示される。
莫大な経験値が入り、私のレベルが一気に1から15まで上がった。そして、新たな称号『廃村の解放者』を獲得した。
「ああ……なんと……」
後ろで、エリアーナが感極まったような声を漏らした。
振り返ると、彼女はフードを取り、涙を流していた。
完全に記憶が戻ったのだろう。その顔には、深い安堵と感謝の色が浮かんでいた。
「ありがとうございます、ミサ様……!あなた様は、この地を救うために現れた、聖女様に違いありません!」
「いえ、だから私は聖女じゃ……」
私が言い終わる前に、空に高らかなファンファーレが鳴り響いた。
また、ワールドアナウンスだ。
『ワールドアナウンス:プレイヤー『ミサ』により、ユニーククエスト【廃村の呪いを解き放て】がクリアされました!』
『ワールドアナウンス:未踏破エリア『聖なる泉の村』が解放されました!』
今度は、はっきりと私の名前が出てしまった。
その頃、ESOのプレイヤーたちが利用する電子掲示板が、とんでもない騒ぎになっていることなど、私は知る由もなかった。
私はただ、すっかり綺麗になった村の美しい風景を眺めながら、大きな満足感に浸っていた。
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