地味スキル『浄化』で寂れた土地を掃除してたら、邪神の呪いを解いてしまい聖女と勘違いされています
☆ほしい
第1話
溜息が、静かな書庫に小さく響いた。
私の名前は小鳥遊美咲、二十四歳。地元の図書館で司書として働いている。
配属されているのは、古い本を修復する少し特殊な部署だ。
破れたページを繋ぎ合わせ、脆くなった表紙を補強する。地味で、根気のいる仕事が私の日常だった。
この仕事は嫌いではなかった。むしろ、汚れたり壊れたりしたものが自分の手で綺麗になっていく過程は好きだ。
でも、それだけ。毎日が同じことの繰り返しで、心が動くような出来事はまったくない。
職場では最低限の会話しかしない。
同僚との雑談は苦手だし、上司とのやり取りも業務連絡がほとんどだ。家に帰ればもちろん一人。
代わり映えのしない日々が、まるで薄い紙のように淡々と積み重なっていく。
このまま、十年後も二十年後も同じ毎日を過ごすのだろうか。そんなことを考えると、胸の奥が冷たくなっていく気がした。
「何か、変わらないかな……」
ぽつりと呟いた言葉は、誰に聞かれることもなく古書の匂いに溶けていった。
刺激的な毎日なんて望んでいない。ただ、誰にも邪魔されずに、自分のペースで何かに没頭できる時間が欲しかった。
そんなことを考えていた時だった。
休憩中にスマホでネットを見ていて、ふと目に飛び込んできた広告があった。
『君だけの物語を、この世界に刻め――超没入型VRMMO、Elysian Sphere Online、本日サービス開始!』
VRMMO。仮想現実空間で遊ぶオンラインゲームのことらしい。
ゲームなんて、子供の頃に少しやったくらいで、ここ何年も触れてすらいない。
でも、広告に映し出される、どこまでも広がる美しい世界に、なぜか心を惹かれた。
青い空、緑の草原、幻想的な森。現実にはない景色が、私の心を強く揺さぶった。
ここなら、現実の私とは違う誰かになれるかもしれない。
誰にも気を遣わず、一人で静かに過ごせるかもしれない。そんな淡い期待が胸に芽生えた。
「やってみようかな……」
その呟きは、先程の諦めに満ちたものとは少しだけ違っていた。
その日のうちに、私は仕事帰りに家電量販店へ寄り、VR機器と『Elysian Sphere Online』のソフトを買っていた。
自分でも驚くほどの行動力だった。
普段の私なら、きっと「また今度でいいか」と先延ばしにしていたはずだ。それだけ、今の日常に渇いていたのかもしれない。
家に帰り、夕食もそこそこに早速ヘッドセットを装着する。
少し大きくて重い機械に戸惑いながらも、説明書通りに設定を済ませると、視界が真っ白な光に包まれた。
『Elysian Sphere Onlineへようこそ』
凛とした女性の声が聞こえ、目の前に真っ白な空間と、アバター作成のウィンドウが現れる。
いよいよ始まるんだ、と少しだけ心臓が高鳴った。
まずはプレイヤーネームから。
あまり凝った名前は思いつかない。自分の名前、美咲から取って『ミサ』とシンプルに入力した。
次に種族の選択だ。
屈強な肉体を持つヒューマン、自然を愛する美しいエルフ、手先が器用なドワーフ、動物のような耳と尻尾を持つ獣人。他にも色々あったけれど、一番普通そうなヒューマンを選んだ。
外見のカスタマイズは、かなり細かく設定できるみたいだ。
髪の色や目の形はもちろん、身長や体型まで自由自在。現実の自分とはかけ離れた、派手な美少女になることもできるらしい。
でも、目立つのは苦手だ。
それはゲームの中でも変わらない。ひっそりと、誰の目にも留まらずに過ごしたい。
私は、自分に少し似た、地味で目立たないアバターを作ることにした。
身長は少し低めにして、髪は落ち着いた茶色のおさげ髪。顔立ちも、どこにでもいそうな平凡な感じに調整する。
服装は、初期装備の中から一番シンプルで動きやすそうなものを選んだ。
生成りのローブと、丈夫そうな革のブーツ。これなら悪目立ちすることもないだろう。
うん、これなら人混みに紛れても気づかれなさそうだ。
私は出来上がった自分の分身を見て、満足げに頷いた。
最後にステータスの割り振り。
ウィンドウに表示された項目は、STR(筋力)やVIT(体力)、INT(知力)といった、いかにもゲームらしいものばかりだった。
戦闘はするつもりがないから、こういうのはどうでもいいかな。
そう思いながら眺めていると、一つの項目に目が留まった。
LUK(幸運)。
どういう効果があるのかは分からない。
でも、なぜかこのステータスだけ初期値が異常に高かった。他のステータスが軒並み『10』なのに、LUKだけ『256』もある。
バグかな?と思ったけど、特に警告も出ない。
まあ、幸運で困ることはないだろう。私はあまり深く考えず、その数値をそのままにしておくことにした。
割り振り可能なボーナスポイントは、DEX(器用さ)やMND(精神力)に振り分けた。
何となく生産活動に関係ありそうなステータスだから、というだけの理由だ。
『キャラクターを作成しました。次に、初期スキルを一つ選択してください』
ウィンドウが切り替わり、今度はスキルのリストが表示された。
剣術、弓術、炎の力や氷の力。たくさんの戦闘スキルがリストの上の方を占めている。
もちろん、私には関係ない。
リストをどんどんスクロールしていくと、生産系のカテゴリがあった。
鍛冶、裁縫、錬金術、木工。
どれも面白そうだけど、材料を集めるためにモンスターを倒したり、他のプレイヤーと取引したりする必要がありそうだ。それは少し面倒くさい。
もっとこう、手軽に一人で黙々とできるようなスキルはないかな。
そう思ってリストの最下部までスクロールした時、私はそれを見つけた。
『浄化(Purification)』
系統は神聖な力と生産系に分類されるらしい。
説明文には、ただ一言こう書かれていた。
『オブジェクトの汚れや破損を修復する』
これだ。これしかない。
これなら、戦闘をしなくても、一人で静かに楽しめそうだ。
現実の仕事と似ているけれど、ゲームの中ならもっと気楽にできるだろう。
私は迷わず『浄化』スキルを選択した。
システムメッセージには『ユニークスキル『浄化』を取得しました』と表示された。
ユニーク、というのが何を指すのかはよく分からなかった。きっと珍しいスキルなんだろう。まあ、私には関係ないか、とすぐに気にも留めなくなった。
『全ての準備が完了しました。それでは、エルドラフィアの世界をお楽しみください』
アナウンスと共に、視界が再び真っ白な光に包まれる。
次に目を開けた時、私は活気のある街の広場に立っていた。
石畳の道、レンガ造りの建物、行き交う人々。
まるで中世ヨーロッパの映画の世界に迷い込んだみたいだ。これが、Elysian Sphere Onlineの世界なんだ。
周りには、私と同じようにゲームを始めたばかりらしいプレイヤーがたくさんいた。
屈強な鎧を身につけた戦士、鋭い目つきの弓使い、ローブを纏った術士。皆、これから始まる冒険に胸を躍らせているように見える。
「よし、まずは武器屋で装備を整えるか!」
「北の平原でパーティ組む人いない?レベル上げいこうぜ!」
聞こえてくる会話は、戦闘やクエストに関するものばかりだ。
やっぱり、こういうゲームの楽しみ方って、戦うのが主流なんだろうな。
私は少しだけ気後れしてしまい、賑やかな広場の中心からそっと離れた。
人混みを抜け、街の外れにある掲示板の前に立つ。何か情報がないかと思ったからだ。
そこには、プレイヤーからの依頼や、様々な情報が書き込まれていた。
そのほとんどが、戦闘系の募集だった。
『ゴブリン討伐募集!@3』
『薬草採取クエスト、一緒にやりませんか?』
そんな書き込みが並ぶ中、一枚だけ違う雰囲気のものを私は見つけた。
それは、誰かの雑感のような短いメモだった。
『情報求む:北の森の奥にある廃村について』
書き込み主は、その廃村に足を踏み入れたらしい。
続きには、こう書かれていた。
『モンスターは一体もいなかった。だけど、なんだか気味が悪くてすぐに引き返してきた。採取できる素材もなさそうだし、行く価値はないと思う』
モンスターも出ない。素材もない。誰も行きたがらない場所。
その言葉に、私の心は強く惹かれた。
そこならきっと、誰にも邪魔されずに静かに過ごせる。
そして、廃村ということは……きっと、汚れていて、掃除のしがいがあるに違いない。
「よし、行ってみよう」
私は街の門に備え付けられていた大きな地図で、北の森のだいたいの位置を確認すると、さっそく歩き出した。
他のプレイヤーたちはパーティを組んで草原や森へ向かっている。私は一人、誰もいない獣道のような方へ進んでいく。
しばらく歩くと、鬱蒼とした森に入った。
木々の隙間から差し込む光が、地面にまだら模様を描いている。鳥のさえずりや風の音が心地よかった。
道中、スライムのような可愛らしいモンスターに遭遇した。
向こうも私に興味がないのか、ぷるぷると震えているだけで襲ってくる気配はなかった。こちらも戦う気はないので、そっと横を通り過ぎる。
三十分ほど歩いただろうか。森を抜けると、目の前の景色ががらりと変わった。
空はどんよりと曇り、空気が重く淀んでいる。さっきまでの爽やかな森の空気とは大違いだ。
そして、その淀んだ空気の中心に、その村はあった。
屋根が崩れ落ちた家々。雑草に覆い尽くされた道。枯れ木が不気味に枝を伸ばしている。
掲示板に書かれていた通り、気味が悪いと言われればそうかもしれない。
でも、私の目には、その荒れ果てた光景が、これから綺麗にするべき場所として輝いて見えた。
「すごい……。これは、やりがいがありそうだ」
私はわくわくしながら、廃村へと足を踏み入れた。
まずは、自分の拠点になる家を探そう。雨風をしのげる場所が必要だ。
村の中を歩き回り、比較的状態が良さそうな、小さな一軒家を見つけた。
石造りの、こぢんまりとした可愛らしい家だ。屋根も壁も、なんとか残っている。
扉は辛うじて形を保っていた。
ぎしり、と錆びついた蝶番の音を立てる扉を開けて、中へ入った。
家の中は、想像通りだった。
床は分厚い埃に覆われ、壁は煤で黒ずみ、窓ガラスは割れてクモの巣が張っている。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、これからここが綺麗になっていく様を想像して、心が躍った。
「よし、早速始めようかな」
私は腕まくりをすると、メニューを開いて『浄化』スキルを選択した。
どうやって使うんだろう?とりあえず、埃だらけの床に手をかざしてみることにした。
「浄化!」
スキル名を唱えると、私の手のひらがふわりと淡い光に包まれた。
その光で床を撫でるように手を動かすと、信じられないことが起きた。
光が触れた部分の埃が、まるで最初からそこになかったかのように、跡形もなく消えていく。
ただ汚れが消えるだけじゃない。埃の下から現れた木目の床は、新品みたいにつやつやと輝いている。
「わあ……すごい!」
システムログに、小さな文字が表示されているのに気づいた。
『オブジェクト[古い家の床]の汚染を浄化しました』
『オブジェクト[古い家の床]の耐久値がわずかに回復しました』
耐久値?よくわからないけど、悪いことではなさそうだ。
楽しくなってきた私は、夢中で家中の掃除を始めた。
壁の煤を浄化し、クモの巣を払い、窓ガラスの汚れを落とす。
スキルを使うたびに、熟練度が上がっていくことを示す効果音が鳴った。最初は手のひらサイズだった光の範囲が、少しずつ広がっていくのがわかる。
一時間も経つ頃には、家の中は見違えるように綺麗になっていた。
床はぴかぴかで、壁は白さを取り戻し、窓からは穏やかな光が差し込んでいる。
「ふう、気持ちいい……」
すっかり綺麗になった部屋の真ん中で、私は大きな満足感に包まれていた。
現実の仕事と違って、疲れも感じない。これは、思った以上に楽しいかもしれない。
私は、この村全体を綺麗にすることを、当面の目標に決めた。
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