第5話 失せ物
その神社について調べていると、必ず耳にする噂がある。
――参拝した者は「大切なもの」を失う。
最初にそれを語ったのは、近所に住む主婦だった。
彼女は神社に参拝した翌朝、夫が家を出ていったのだという。
「家出かと思ったけれど、違ったの。あの人は……私の夫という存在そのものが、最初からなかったことにされていたのよ」
彼女は泣きながら言った。
親族も友人も「そんな人は知らない」と首を振る。結婚指輪も、写真も、婚姻届さえも消えていた。
別の事例もあった。
一人の青年は、神社を訪れた晩に大切な飼い犬を失った。
翌朝、庭は空っぽになり、家族は「最初から犬など飼っていない」と言う。
犬小屋も首輪も消えていた。
だが、青年の服の袖口には、小さな毛が一本だけ残っていたという。
老人はこう語った。
「神社に置いてある木札を見たことがあるだろう。“あなたの大事なものを入れてください”と書かれておったはずだ。あれは比喩じゃない。本当に奪われるんだよ。」
誰もそれがどんな仕組みで起こるのかを説明できない。
だが、ある者は財布を、ある者は記憶を、ある者は家族を――それぞれ「何より大切なもの」を失っている。
「私がその神社の境内を訪れたとき、お賽銭箱の前に確かに木札があった。
手書きの文字は薄れていたが、まだはっきりと読めた。
――「あなたの大事なものを入れてください」
その瞬間、背筋を冷たいものが這い上がる感覚がした。
無意識にポケットを押さえる。
そこには、亡き祖母からもらった形見の懐中時計が入っている。
……ここに立ち止まってはいけない。
そう直感し、私は振り返りもせずに神社を後にした。
それ以来、毎晩のように思う。
もしも、あのとき少しでも長く立ち止まっていたら――
本当に、自分の「大事なもの」が消えていたのではないかと。」
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