きさらぎ駅放送不能ファイル

月影 流詩亜

第1話 偽りの心霊特番


 ​「笑顔が足りねえぞ! 心霊特番だぞ、もっと怖がれ!」


 ​深夜のローカル線ホームに、プロデューサーの黒岩の怒号が響き渡った。

 蛍光灯の白い光が、うんざりした表情のアイドルグループ『タヌっ子クラブ』の5人を照らし出している。

 終電をとっくに終えた駅は、撮影クルー以外には誰もおらず、まるで世界の終わりに置き去りにされたような静寂に包まれていた。


 ​リーダーの狸塚ぽんは、無理やり作らされたお揃いのタヌキ耳カチューシャの位置を直しながら、必死に口角を上げた。


「みんな、これがラストチャンスかもしれないんだから頑張ろう!」


 その声は、湿った夜気の中で空しく響き、誰の心にも届いていない。

 ​エースの信楽まみは、腕を組んでプラットホームの柱に寄りかかり、わざとらしく舌打ちをした。


「くだらない。こんなの、罰ゲームでしょ」


 その棘のある言葉は、ディレクターの安田の耳に突き刺さる。

 彼はパワハラ上司と不機嫌なアイドルの間で、ただおどおどとカンペを持つことしかできない。


 ​グループ最年少の葉月こころは、本当に怯えていた。

 隣に立つ不思議ちゃん、文福さこの腕にぎゅっとしがみつき、潤んだ瞳で周囲を見回している。

 さこはそんなこころの頭を撫でながら、


「おなかすいたね。駅の売店、もう閉まってるかな」と、緊張感のないことを呟いた。


 ​そして、ただ一人、化野りんはこの状況を冷静に、あるいは冷ややかに観察していた。

 彼女はスマートフォンのカメラを起動し、古びて文字のかすれた駅の案内板を静かに撮影している。

 その無機質な瞳が何を考えているのか、メンバーの誰も知らなかった。


 ​「……というわけで、これから我々は、時刻表に存在しない幻の電車に乗り込み、きさらぎ駅を目指しまーす!」


 安田の震える声が、番組のオープニングを告げる。

 それはこれから始まる恐怖の幕開けではなく、崖っぷちにいる彼女たちの、痛々しい悪あがきの始まりに過ぎなかった。

 ​やがて、ホームの闇の向こうから、古めかしい一両編成の電車がゆっくりと姿を現した。


 宇治テレビが用意した、演出用の車両だ。


 ギシギシと軋む音を立ててドアが開くと、ぽんはメンバーの背中を押し、無理やり笑顔で車内へと乗り込んだ。

 ​車内での撮影が再開される。


「窓に手が…」


「誰かの声が聞こえる気がする…」


 黒岩の指示が書かれたカンペに従い、メンバーたちはわざとらしいリアクションを繰り返す。


 ぽんは必死に演じ、こころは本気で怯え、まみだけはふてくされた顔で窓の外を眺めていた。


 ​その窓の外を流れる景色を見ながら、今まで黙っていたりんがぽつりと呟いた。


「この辺りは、昔、人柱をトンネルに埋めたという伝承があるそうです」


 不吉な響きを持つその言葉に、黒岩が食いついた。


「それ使えるな! 安田、メモっとけ!」


 彼の目には、視聴率という数字しか映っていない。

 ​電車は、撮影のために決められたルートを順調に進んでいるはずだった。

 郊外の風景が闇に溶けていく。


 しかし、予定されていた停車ポイントを過ぎても、電車は速度を緩める気配を見せない。

 それどころか、車体をガタガタと揺らしながら、さらに速度を上げていく。


 ​「おい、運転手! 止めろ!」


 ​黒岩が怒鳴り、安田が慌てて運転席へと向かう。 しかし、運転席に通じるドアは固く閉ざされ、びくともしない。


「プロデューサー! 開きません!」


 スタッフの一人が叫び、車内に本当の動揺が広がっていく……これは、演出ではない。


 ​その瞬間、凄まじい衝撃音が響き渡った。


 ガァンッ!


 まるで何かに衝突したかのような轟音と共に、車内の全ての照明と撮影機材の電源が落ち、世界から音が消えた。


 完全な暗闇と静寂が、悲鳴を上げる間もなく全員を飲み込んだ。

 ​どれほどの時間が経っただろうか。


 数秒か、あるいは数分か。


 パッ、と赤黒い非常灯だけが点灯し、互いの青ざめた顔を不気味に照らし出した。

 窓の外は光の一切ない漆黒の闇。


 電車は、先ほどまでの騒がしさが嘘のように、モーター音も立てず、まるで死体のように静かに長いトンネルの中を進んでいた。


 ​「電波が……ない」


 ​りんの呟きが、静寂を破った。

 ハッとしたように、全員がポケットや鞄からスマートフォンを取り出す。

 画面の左上に表示されていたアンテナは一本も立っておらず、そこには冷たく『圏外』の二文字が浮かんでいるだけだった。


 ​言いようのない不安が、じっとりと肌にまとわりつく。

 やがて、闇の先に小さな光が見えた。


 トンネルの出口だ。


 誰もが安堵しかけた、その時……


 ​光の中へ滑り込むようにトンネルを抜けた先に広がっていたのは、見慣れた町の灯りなどではなかった。


 月明かりにぼんやりと照らされた、どこまでも続く深い森。

 折り重なるようにそびえる、黒い山のシルエット。

 それは、彼らが知る世界のどの景色とも異なっていた。


 ​電車はゆっくりと減速し、古びたホームの横に停車する。

 誰かがごくりと息をのむ音が、やけに大きく響いた。


 ​「……ここ、どこ?」


 ​こころの震える声が、悪夢の始まりを告げていた……


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