三月二十八日(月)
今日、東京の桜が開花したと気象庁が発表したらしい。一階であるアパートの部屋のカーテンを開けると、隣のマンションの敷地内に植えられた桜が見えた。確かに薄いピンクの花びらが少し見える。東京の桜の開花基準は、靖国神社にある標準木と呼ばれる木を基準に行われているそうだ。それなら靖国神社のある千代田区より遥か北に位置するここ板橋区の桜の開花はもう少し先になるのかもしれない。しかし時間の問題だ。この窓から見える桜も、もうすぐ満開になるだろう。
毎日見ていないと気付かないが、春は桜の開花と共にすぐそこまでやってきている。
連日報道される地震関連のニュースは止まないが、僕達の生活は平常を取り戻しつつあった。バイト先のライブハウスの営業再開から十日が経っていた。ずっと手に入らなかったガソリンも五日ほど前に給油できたし、トイレットペーパーやティッシュペーパーもスーパーで買えるようになった。
窓から見る桜は去年と同じように見える。
東京の僕の部屋には『メランコリー』が住んでいる。メランコリーとは何か? すぐに答えられる人はあまりいないかもしれない。単に日本語に訳すとそれは『憂鬱』となる。それならわざわざ英語に訳さず『憂鬱』で良いじゃないか、という人もいるかもしれない。しかしそれは違うのだ。言葉の響きで印象が違ってくる。『憂鬱』だとズーンと重たいだけになってしまうけど、英訳することによってニュアンスが変化する。
『メランコリー』
そう、僕の部屋には憂鬱ではなくメランコリーが住んでいる。そして、それが春になると活発に活動するのだ。
僕の人生は基本的に希望に満ち溢れている。夢を持って上京し、バンドを組み、音楽で生計を立てることを目標にして日々努力している。同じ目標を持つバンドメンバーとも巡り会えたし、金銭的には厳しい生活をしているがバイト先にも恵まれている。何より絶対に成功するという根拠の無い自信が僕にはある。
しかしそんな心境の中にも、将来に対する不安や社会に対する憤りが無いわけではない。そのような僕の中での弱い部分が、色んな感情とドロドロに交じり合って液状になり、沸騰して蒸発する。それがこの部屋の空気。僕の中で『メランコリー』の響きが意味するものは希望の中の憂鬱だ。
春にメランコリーが活発になる。理由は分かっている。桜は必ず散るのだ。散ると分かっていて桜は咲くのだ。
昨日、夢を見た。
高校生らしき女の子がビルの屋上で歌っている夢だった。殺風景な屋上は真っ青な空に覆われていて周りには何も無かった。その女の子の顔に見覚えは無かった。しかし好感の持てる顔だった。いや、違う。僕は彼女の顔が好きだと思った。夢の中でそうはっきりと思った。彼女はすぐそこにいるのに、彼女が何を歌っているのかは聴き取れない。濃度が高く、それでいてやわらかで心地の良い空気の層が、彼女と僕の間に幾重にもあるようだった。そしてその空気によって作られる風が彼女の声を持っていってしまうようだった。もっと近づけば聞こえるのかもしれないが、足が一歩も動かなかった。足元を見るとやたらとリアルなコンクリートの地面があった。ひび割れたコンクリートの隙間から雑草が生えていた。顔を上げると彼女は消えていた。
地震があってから僕はあまり長い時間眠れなくなっていた。表だって出ていないが、おそらく精神的に参っているのだ。大きな余震が毎日のようにあるのも関係しているのかもしれない。一人暮らしがこんなにも心細いものだとは思わなかった。
睡眠が浅いせいか最近僕はよく夢を見るようになった。
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