人形
紫以上
第1話
「有島麻衣子人形展」
その看板を発見したのは、いかにも混沌とした雑居ビルの中だった。どうしてそのビルに行ったのかはもう思い出せない。芸術に、ひいては人形になんて興味の無い俺が人形展なんてものに興味を示したかといえば、単に暇だったからだ。入場無料だったからというのも大きな要因だったかもしれない。
入り口付近に受付のようなカウンターがあったが人は居なかった。外観よりは広い空間に味気なく人形が配置してあるだけの会場は、個展というよりもただの倉庫に見えた。
ここで言う人形は「ぬいぐるみ」の類ではない。それらはマネキンや蝋人形のように一見しては人間にしか見えないような精巧なものだった。
人形は小学生くらいの男子の人形が有ればかなり老成した老婆の人形も有った。服装にしてもカジュアルな私服を着込んだ若者からゲーム用にデザインされたかの様な派手な甲冑の戦士まで種種雑多。中には角の生えた物や鱗のある物等、そのヒト達の中には人間ではないものまで含まれていた。
そんな節操の無いラインナップも、総てはたった一つの規格に統一されていた。
みんな、笑っているのだ。
いかなるポーズをとっていても、どんな人種であろうとも、表現するニュアンスの種類が違っていたとしても、どの人形も笑っている事に相違は無かった。呵呵大笑するモノや皮肉に冷笑するモノなど、どの笑いも少しずつ種類の異なる笑顔であり、それぞれの外見の雑多なことも相まって膨大な数の笑顔が立ち並んでいる。
それはまるで、全ての世界に存在しうるありとあらゆる「笑顔」を切り取り、凍らせ、並べているかのようだった。
その「一見人間」が笑みを浮かべながらも林のように無言で佇む姿は、人によっては恐怖すら覚えるのではないだろうか。そんな事をぼんやりと考えながら人形の合間を縫って歩く。
実際、時折擦れ違う人の中には露骨に気味悪がる人もいた。他にも考え込むような表情の人、値踏みするような目つきで人形一つ一つをためすすがめつする人、神妙な面持ちでうんうんとうなづく人と擦れ違った。どの人も笑ってはいなかった。
その様が可笑しく、また思いがけずに興味深い場所を見つけたことに満足を覚え、俺も人形たちと一緒になって笑った。あまり声を立てずに、くっくと肩をゆするだけの笑いだ。
その時、
「あの…」
不意に声をかけられた。
「初めまして、有島麻衣子と申します」
そう名乗った相手は、一人の女性だった。
とりあえずこちらも挨拶を返す。
名前からこれらの人形の製作者だと判断できた。
「もしよろしければ、感想などお聞かせ願えますか?」
色素の薄いショートヘアと均整の取れた顔立ち。一見するとかなりの美人だが、不健康に青白い肌と根暗と受け取られかねない程に硬い声はむしろ万人にこう思わせるだろう。
ああ、まるで人形のような人だ、と。
年かさは二十代半ば、といったところだろうか。しかしその年代の女性に相応しい華々しさは無い。周囲を漂う空気はまるで枯れた老婦人のそれのようだ。
その由来は一見して明らかだ。人形のような彼女は、人形のようには笑っていなかった。
この笑顔しかない空間で、独りこんな表情をしていれば、華やかさも無くなろうというものだ。しかし、こんな表情をした人物がこんな人形を生み出すとは……
……おもしろい。
誘いは、もちろん快諾した。
・ ・ ・ ・ ・ ・
通されたのはこのフロアの事務室の応接用の一角だった。
あまりにも非現実的な展示室から一転して機能的に作られた部屋。白昼夢から急に起こされたような感覚だ。
有島麻衣子は二人分の紅茶を盆に載せ、一つを俺の前においてから机越しに着席した。
「先ずは、ご来場いただき、ありがとうございます」
謝辞を交えながらいくつかの質問を受けた。
この展覧会をいかにして知ったか、入ってみて感想はどうか、笑うということをどう捉えているか、日頃どんな時に笑うか、笑っている人形はどう映ったか、そして、あなたが最も共感を抱いた人形はどれか。そんな質問が素っ気なく発音された。有島麻衣子の質問はどうも「言う」という程にも人間味が無く、まるで音波を再現しているようにも思えた。
俺は出来るだけ正直に返答した。結果としてかなりあけすけな、攻撃的な事も言った。普通なら多少は世辞や世間体を繕う言葉を交えるところでも、この有島麻衣子という人物はそれを必要としていない気がしたからだ。
案の定彼女は、ただ黙々と書き留めるだけだった。
「……はい、こちらからの質問は以上です。質問の内容や個人情報は今後の創作活動以外に使用しないことを約束いたします。ご協力ありがとうございました」
彼女がそう締めくくるかどうかというタイミングで、俺は一つどうしても気になったことを尋ねてみた。
どうして俺に質問したのか?
あの会場にいたのは俺だけではなかった。そしてアンケートを行われないまま出て行く人がいたのを見た。では何故?
彼女は少しだけ迷う素振りを見せたあと、ぽつりと呟くように答えた。
「あなたが、笑っていたからです」
その一言が堤防に穴をあけるスイッチだったかのように、一度始まった答えは止まらなかった。
「私は人が笑うという行為を理解できていないんです。どころか笑うという行為を恐ろしく感じています。
そのせいか、私は笑ったことがありません。笑おうにも、どんな笑い方がその場面において自然であるのか、私にとって最も相応しい笑顔はどんな笑顔なのか、それがわからないんです。
人形を作り始めたのは自分では浮かべることのできない笑みを理解するためだした。自分の表情の上で再現できない笑いを自らの手で作ることで理解しようとしたんです。
でも、結局わかりませんでした。結局のところ、理解できていないものをいくら並べても、それが正しい笑顔かどうかが私には判別できなかったんです。多くの笑いを作りましたが、どれ一つとしてピンときませんでした。
ならば誰か、笑うことのできる人に見てもらおうと思って個展を開きました。そのうち誰かがどの笑顔こそ私に合った笑顔なのか教えてくれる方が来てくれることを祈って」
彼女はここで紅茶に口をつけた。カップを持つ手がかすかに震えているようだった。空になったカップを机に戻すと、続きを話し始めた。
「良く出来た人形だとか、芸術的価値があるだとかと褒めて下さる方はいらっしゃいましたが、未だその答えを出して下さった方はいません。皆様のおっしゃる人形はその人によっててんでバラバラで、そのどれも私にはしっくりこない。きっと違う。
あなたは、笑っていらっしゃいました。長い白髪で焼け焦げた跡のある和服を身につけた若い少女の人形と同じ笑い方でした。少なくともその笑い方が出来るあなたから見て、それは私にふさわしい笑いですか?
私にふさわしい笑顔はありましたか?」
それは、初めて見る有島麻衣子の感情だった。必死に、痛切に彼女は回答を求めていた。もちろんここで適当に、イエスといってやることも、ちょうどアレだとこの場から見える人形――金髪の魔女が明朗な人好きのする笑顔を振りまいていた――を指さしてやることも出来る。しかし、それでは有島麻衣子は納得しないだろう。
しばらく考えた末に、俺は、あの人形の中には無かった、と答えた。
そして見た。
有島麻衣子が笑っていた。
それは、とても小さな表情の変化だった。とんでもない危機が何事も無く過ぎ去って行って安心した、そんな笑顔だった。
きっと有島麻衣子という人物は本当に笑いというものを恐れているのだ。だから自分の笑いという答えを求めながらも、答えに辿り着いてしまうことを恐れている。もしかしたら人形作りも、自分の中から人形という外へと全ての笑顔を追い出してしまうための試みなのかも知れない。
ならば、この答えは気づかせないままでいたほうがいい。
俺はこの発見を悟られないうちに、そそくさと席を立った。
以来、一度もあのビルには入っていない。
―終―
人形 紫以上 @o_vio
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