第9話:忍び寄る王都の影

 セドナ村に穏やかな時間が流れる一方で、エリアスを追放した王都では、一つの噂がじわじわと広がり始めていた。

「辺境の村に、奇跡の錬金術師がいるらしい」

「どんな病も、心の悩みさえも癒すポーションを作るそうだ」

 その噂は、宰相の耳にも届いていた。彼は執務室で報告を聞きながら、眉間に深いしわを寄せる。

「馬鹿馬鹿しい。ただのたわごとだろう」

 最初は一笑に付した。しかし、報告は後を絶たず、その内容も次第に具体的になっていく。宰相の脳裏に、追放したあの青年の顔が浮かんだ。

(まさか、あの無能なエリアスのはずがない)

 そう思いつつも、万が一という可能性を捨てきれなかった。もし、あの男が本当にそんな力を手に入れていたとしたら。それを野放しにしておくのは惜しい。いや、危険ですらある。あの力は、国が管理し、利用すべきものだ。

「……念のため、調査しろ。その錬金術師とやらの正体を突き止め、もし使えるようならば確保しろ」

 宰相は密偵を呼び寄せ、低い声で命令を下した。密偵は影のようにうなずくと、静かに部屋を辞した。

 王都のどす黒い権力者の影が、静かにセドナ村へと忍び寄っていた。

 時を同じくして、エリアスの小さな研究室では、彼の研究が新たな局面を迎えていた。彼はヴィクターの呪いについて、手元に残された数少ない専門書を読み解き、分析を進めていたのだ。

 ヴィクターが定期的に村を訪れるようになったことで、彼の呪いについて詳しく話を聞く機会が増えた。その結果、一つの恐るべき事実にたどり着く。

「……これは、ただの呪いじゃない」

 エリアスは古文書の一節を指でなぞりながら、つぶやいた。

 ヴィクターにかけられた呪いは、特定の王族に代々伝わる古代の呪術によく似ていた。それは対象から感情を奪うだけでなく、魂そのものを縛り付け、じわじわと衰弱させていく極めて悪質なものだった。感情を失ったのは、その強力な呪いがもたらす副作用に過ぎなかったのだ。

 このままでは、ヴィクターの命が危ない。

 その事実に気づいた時、エリアスの背筋を冷たい汗が伝った。

 彼を助けたい。あの凍てついた瞳に、本当の光を取り戻してあげたい。その想いは、いつしかエリアスの中で、単なる同情や錬金術師としての探求心を超えた、個人的で切実な願いへと変わっていた。

「もっと、もっと強力なポーションを作らないと……」

 エリアスは、ヴィクターの魂を縛る呪いの鎖を断ち切るため、寝る間も惜しんで研究に没頭した。

 彼の知らないところで、王都の魔の手が迫っていることにも気づかずに。穏やかな村での暮らしのすぐそばに、暗く、不吉な影が差し始めていることを、まだ誰も知らなかった。

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