第3話:“感情”を溶かすポーション

 穏やかな日々が続き、エリアスの心も少しずつ平穏を取り戻していた。

 ある日の昼下がり、彼は世話になっている宿屋へ顔を出した。すると、中から元気な泣き声が聞こえてくる。

「うわーん! 痛いよぉ!」

 宿屋の看板娘である快活な少女リリーが、膝を真っ赤にすりむき、大粒の涙をこぼしていた。店の前で転んでしまったらしい。女将が慌てて手当てをしようとしているが、リリーは泣きじゃくるばかりで、なかなか手が付けられない様子だった。

 その姿を見たエリアスは、ふと先日作った不思議なポーションのことを思い出した。

(ただの回復薬だけど、気休めくらいにはなるかもしれない)

 彼は急いで自分の家に戻ると、棚に置いてあった小瓶を手に取った。淡い緑色の液体が、日の光を受けてきらりと輝く。

「リリーちゃん、これを少し塗ってみないかい?」

 エリアスはしゃがみ込み、泣きじゃくるリリーに優しく声をかけた。リリーは涙で濡れた瞳でエリアスを見上げる。

「これ、なあに?」

「よく効くお薬だよ。きっとすぐに痛くなくなる」

 気休めのつもりだった。いつもの回復薬なのだから、効果は傷を少し早く治す程度のはずだ。

 エリアスはポーションを少量、布に染み込ませ、リリーの膝の傷にそっと当てた。

 その瞬間、驚くべきことが起こった。ポーションが触れた部分から柔らかな光がふわりと広がり、赤く腫れていた傷がみるみるうちに癒えていく。

 それだけではない。あれだけ激しく泣きじゃくっていたリリーの涙が、ぴたりと止まったのだ。

 少女はきょとんとした顔で自分の膝を見つめ、それからエリアスの顔を見上げた。そして、ふんわりと花が綻ぶように、安心しきった笑顔になった。

「あれ……? 痛くない。それにね、なんだか、心がぽかぽかするの!」

「えっ?」

 リリーの言葉に、今度はエリアスと女将が目を丸くする。心が、ぽかぽかする? 回復薬に、そんな効果があるはずがない。

 エリアスは雷に打たれたような衝撃を受けた。あの時、ポーションに流れ込んでいった不思議な感覚。女将への感謝と、「この人が安らげますように」という祈り。

(もしかして……僕のポーションは、ただ傷を癒すだけじゃない。込めた“感情”を、相手に与えることができるんじゃないか?)

 荒唐無稽な仮説。しかし、目の前で起きた現象は、その可能性を強く示唆していた。

 宮廷では、成果を出すことばかりにとらわれ、義務感と焦燥感の中でポーションを作っていた。だが、この村に来て、純粋な感謝の気持ちを込めて作った時、奇跡は起きた。

 もし、この仮説が本当なら。

 喜び、勇気、活力、安らぎ……。様々な感情をポーションに込めることができたなら、どれだけ多くの人を助けることができるだろう。

「無能」と蔑まれ、全てを失ったと思っていた。だが、自分にはまだ、自分にしかできないことがあるのかもしれない。

 エリアスの胸に、追放されて以来、初めて希望の光が灯った。

「ありがとうございます、エリアスさん! あなたはいったい何者なんです?」

 興奮気味に尋ねる女将に、エリアスは少し照れながら答えた。

「僕は、しがない錬金術師ですよ」

 その日から、エリアスの小さな家は、彼の新しい研究室となった。仮説を証明するため、そして、自分を救ってくれたこの村の人々のために。彼は様々な感情を込めたポーションの実験に、夢中で没頭していくのだった。

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