2025/9/24
裏庭
2025/9/24
【どの学問も、蓋を開けて中身を全部食べたらひとつに収束するという話題について】
例を挙げるならば、数学。
数学はこの世に多くの理論をもたらし、多くの謎を解明することができる。
しかし理論や論理、それに学説などについての話は、私のような専門的素養のない、それよか模試で数学の偏差値の目標をまずは45に向けて頑張ろうなどという、どう考えてもたかが知れている高校生には到底理解し難いものがある。
問題は、どれほど難しい理を見つけたところで、それだけでは何も出来ないということである。
前述の通り、私は数の世界に全く明るくないので何の理論がどのようなことを示しているなど、何も分からない。
だが、突き詰めて、さらに突き詰めて、さらに先に進んだとして、あるのは虚無のみである。
仮に世界一難しい数学の問いがあったとして、それがわかったとして一体何になるのだろうか。
周りに自らの能力の高さを自慢することは出来るだろう。
しかし、その先には無が待ち構えている。
世界一難しい問いが新しく発見されることはあるだろう、それよりさらに難しい問いも次々に発見されるはずだ、人間は聡明だから。
しかしそれを発見して、あぁ良かったねという話ではない。
これはほかの学問にも言える。特に所謂文系の学問は人間が中心に据えられているため言わずもがなである。しかし数学の例のように、理系学問においても人間とは重要な命題なのである。
また芸術において、人間というテーマは紀元前から究明が目指されてきた。もはや一石を投じる隙間もない。
人間を探究する。
昔の偉い人の言葉に「諸学の基礎は哲学にあり」というものがあるように、どのような学問もただ一点を見つめ究明するうちに虚無に辿り着き、人間という絶対的存在と対峙することになるのだ。
これを世の言葉で哲学という。
奇遇にも、世界最古の学問は哲学といわれている。ならば人間は初めから世の真理に触れていたということになるのが、なんとも不思議である。
2025/9/24 裏庭 @iy_kmsk
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