ご馳走

 3月。

 気づけば極寒だった気候も春めいて、スギが子孫を残そうと頑張る季節がやってきていた。


「ハッ、ックシ!!!」


 花粉が鼻に入り俺の免疫を狂わせ続けていて、最近は近所迷惑なほどデカいくしゃみばかりしている。薬もあまり効かず、鼻詰まりと目のかゆみで集中力が続かない。スマホで求人を探したいのにくしゃみで邪魔されて、俺は花粉に半ギレだった。


「あ、この会社気になっ──ふぇ、ヘァックシ!!! くそ~! スギの野郎~!」


 こんな音量で数分に1度くしゃみをしていたらお隣さんから苦情が来てしまうと思ってすぐ、お隣さんは誰も住んでいないけど、と心の中で訂正を入れた。

 俺のお隣さんだった本願くんは、クリスマスの日以降水原さんの家で生活していた。あのお父さんの元で暮らすより、信者とはいえ本願くんを守る気のある水原ママのところにいた方が全然マシという判断だった。何より事情をよく知る幼馴染の水原さんがいてくれるのが心強かった。

 本当は水原さんとの作戦会議の時に、お父さんとの揉め事が収束するまで本願くんには俺の部屋で暮らしてもらおうと提案したのだが、部外者の成人がそういうことをすると未成年者誘拐罪になると水原さんに言われ、泣く泣く水原家にその役割を譲ったのだ。同い年の未成年同士、水原さんが“恋人”として本願くんを自室に住まわせている、ということであれば罪の立証は難しいらしい。法の知識のない俺にはなんだかよくわからない理屈だが、そういうことなら仕方なかった。


 ──ブブッ。


 花粉を恨みながら鼻をかんでいるとスマホが震えて、画面を見ると水原さんからメッセージが表示されていた。


『祈くん、出かけました』

「お、意外とはやい」


 俺は本願くんを出迎える準備をしようとスマホを置いて、ベッドから起き上がる。

 本願くんはスマホをお父さんに取り上げられたままで、救出大作戦から1週間ほど経って気持ちも安定した頃合いで、本願くんは自分でお父さんにスマホを返してほしいと電話をした。しかし、返答は『解約したからもうない』というものだった。本願くん自身が契約しようにも18歳にならないとできないため、今はスマホのない生活をしていて、俺への連絡は基本水原さんを介して行われている。

 そんな本願くんとは時折水原さんのスマホを使って電話をしたり、3人でカフェで会ったりはしていたが、以前のような時間の過ごし方は出来ていなかった。お父さんとの和解、もとい脅迫と妥協の折り合いをつけるため、本願くんは自身の希望でほとんど自分ひとりで父親に立ち向かっており、家を出るための協議や救済会を離れる準備などで多忙を極めていたからだ。

 そんな本願くんは今日、ようやく色々とひと段落ついたということで俺の家に遊びに来ることになっていた。

 ご飯を一緒に食べようと伝えていて、今は午前11時だ。


「ゴディバとコーラ、あとは──掃除だなぁ」


 おもてなしで本願くんの好物をテーブルに並べて、男の一人暮らし感が満載の部屋を眺める。ちょっとは綺麗にしておこうと脱ぎっぱなしの洗濯物や転がったペットボトルを片付け、数年ぶりにクローゼットから掃除機を引っ張り出してほこりを吸う。玄関も砂利がすごいので吸っておこうと、ガタガタと掃除機をモノにぶつけながら押し進むと、玄関のタイルの上にキラリと光るなにかが見えた。


「ん? あれ──坂下の指輪じゃん、って、ああっ!!」


 見つけていたことすらすっかり忘れた、坂下がなくしたペアリングが落ちていた。

 落ちていたのだが、俺は電源のついた掃除機ごと近づいてしまい、ペアリングはいとも簡単に吸い込まれてしまう。


「ああ~! 坂下……! すまん……」


 指輪を取り返すため掃除機のゴミパックを見ようとしたら、『ビンボン!』と音割れチャイムが鳴った。「はい、はい」と言いながら出ようとしたら、案の定俺が開ける前に勝手にドアが開く。


「竹原さん! お久しぶりです!」


 うちに来るのは久しぶりなのに、本願くんは以前のようにチャイムを鳴らしただけで入ってきた。良い笑顔の本願くんにつられて、俺も笑いかける。


「本願くん、元気そうでなにより。でも待って。俺全然掃除終わってないんだわ。てかつくの早くない?」

「水原のお母さんが途中まで車を出してくれたので、電車使うより早かったみたいです」


 なるほど、と頷きながら掃除機を玄関からどかし、本願くんに上がってもらう。


「掃除終わってなくてもいい? 嫌だったらもうちょい頑張る」

「いいですよ全然! 十分キレイで──あっ! あれ、もしかしてゴディバですかっ」


 テーブルのチョコに気づいた本願くんは、目と口を大きくして俺に尋ねた。キラキラとした表情はよく知る本願くんのもので、俺は安心と懐かしさを感じる。


「おもてなしのゴディバ。いっぱいあるからじゃんじゃん食べて」

「わ~ありがとうございます! 豪遊ですね!」


 床に座り、ふたりでテーブルを囲む。商品説明の冊子を見ながらどれが何味か確かめている本願くんは「これはピスタチオ味らしいです。ピスタチオなのに緑じゃないんだ」とか「このジャンドゥーヤ? とかいうの、すごく美味しいですよ! 食べてみてください」とか言いながら嬉しそうにチョコを食べていった。

 俺も時折チョコをつまみながら、すっかり傷のなくなった本願くんの手首を見て、そろそろ話を切り出そうかなと胡坐をかき直す。どのくらい本願くんの状況が落ち着いたのか、知っておきたかった。


「最近どう? お父さんとは話ついた?」


 本願くんはチョコを頬張っていて、すぐには口を聞けずに俺を見た。すぐに少し照れくさそうな顔になって頷く。


「……はい。和解には至りませんでしたけど、こうして自由に外に出られているので勝ったも同然です」


 言い方には含みがあったが、本願くんの声は明るかった。いい結果になったのだと伝わってきて、俺は口元を綻ばせて「そっか」と頷き返す。


「実は家を出て行けることになりまして。高校も辞めて、来月から……岡山に行きます。母の実家が岡山にあって、一緒に住めることになったんです」

「お~! お母さんの実家か! よかった~、ハッピーコーポより安心だ」

「ハッピーコーポも楽しかったですよ、人生で1番の思い出です」


 笑う本願くんは、本当にハッピーコーポのことが好きそうだった。

 俺としては、本願くんに行くあてがなかったらまたハッピーコーポ暮らしになるのではと思っていたので、お母さんのところに行けるならありがたかった。ハッピーコーポで本願くんと過ごした時間は楽しかったが、この辺りは救済会の勧誘もあり彼が住む場所として最適とは言えない。


「本当に竹原さんにはお世話になりました。感謝しても、しきれないくらいです」

「いやいや、お世話だなんて全然。『本願くん救出大作戦』がうまくいったのは本願くんのおかげだよ。日記は賭けだったし、本願くんが気づいて俺を信じて行動してくれたおかげ。本部での待ち合わせがうまくいかなかったら、金属バット持って本願家に突撃しようかと思ってた」

「ええっ!? やめてください……! いや、ホントに日記に気づけてよかった……! 竹原さんを前科持ちにさせるわけにはいきませんよ……!」


 本願くんは俺の言葉に本気で焦っていて、真面目で面白い。

 まぁでも、正直最終手段としては突撃も辞さない姿勢だったので、やらずに済んだのは本当によかった。


「それにしても、竹原さんのパンチはすごかったです。驚きました」

「え、ああ。ごめんね、お父さんのこといきなり殴っちゃって……」

「いえ! 本当にありがたかったです。僕は弱くて、ずっとできなかったことだから。やっぱり元ヤンは違いますね」


 ちょっと憧れているように、本願くんはパンチのポーズをとる。すっかり俺のイメージが元ヤンになってしまっているが、本願くんが楽しそうなのでよしとした。


「本願くんは弱くなんかないよ。ちゃんとお父さんに立ち向かって、逃げずに対応しててすごい。俺……本願くんを見て、自分の人生にちゃんと向き合おうって思った」


 こういうことを言葉にするのは気恥ずかしくて、所在なさげに手で顎を触ってしまう。面接でやらないようにしないと、と意思を持って手をおろして、目を瞬いている本願くんをしっかり見た。


「ずっとフリーターやっててさ。理由は楽だからってだけなんだけど、でもそれだけじゃダメだなって思って。俺、就職活動頑張ることにした。本願くんがお父さんに立ち向かってる姿を見たら、俺って平和な一般家庭に生まれて親にも普通に大切にされてきたのに、ずっと大人気なく逃げてばっかりだなって気づいた。……いや、気づいたというか、自分にウソつくのをやめたくなった」


 フリーターが楽だから、というのは半分本当で半分ウソだ。実際は、もう1度サラリーマンになろうとしたら、自分がただの根性無しだと確定してしまうんじゃないかということが怖かった。どこで働いても、逃げる理由を見つけて辞めてしまう人間なんだと自覚させられるのが怖かった。

 でも、もう俺は逃げるのをやめた。本願くんがこんなに頑張っているのに、本願くんがこんなに俺を慕ってくれているのに、俺自身が就職ごときを恐れて逃げ続けている人間であってはならないと思った。そうだと、気づけた。


「竹原さんなら、きっとすぐにいいところに就職できます。人柄が最高ですから」

「え、ありがとう……照れる」

「就活終わったらぜひ岡山に遊びに来てください。お祝いに東京ではなかなか食べられないゲテモノ料理をふるまいます」

「はは、それは頑張らないとだ。いい結果を待ってて。あ、スマホ買えたら連絡先教えてね。俺んちの住所に手紙出してくれてもいいし、水原さん経由でもいいから」

「はい、真っ先にお伝えします!」


 親指を突き出して言う本願くんはしっかり元気で、俺も同じように親指を上げる。

 聞きたいことは聞けて元気な本願くんも確認できて満足した俺は、そこから態度を急変させ深刻な顔を作った。


「でね、実は別件で相談があって」

「は、はい。どうしたんですか……? 僕にできることがあれば、何でも言ってください」


 俺が額に手を当てて低い声を出すと、本願くんは緊張した面持ちで力強く頷いてくれる。俺はそんな本願くんに笑いそうになりながら、テーブルの下から調理セットを取り出して見せつけた。


「今日のご飯についてなんだけど、本願くんと久しぶりにご飯会をできるということで、河原行ってご馳走食べたいです!」

「え、え~!? 借金の話が始まるのかと思いました、違ってよかった」

「俺のイメージひど。見て、調味料と器具揃えておきました~! どうですか」

「もちろん大賛成です! この時期は冬眠終わりのカエルがいっぱいいるので、カエル食べ放題やりましょう!」


 本願くんは、差し込む春の日差しに負けないくらい晴れやかに笑った。


「じゃ、もう早速行っちゃうか! たくさん捕りたいし、川で遊んでもいいし」

「はい! 河原で1日過ごしましょう!」


 俺たちは一緒に部屋を出て、昼下がりの太陽の下いつもの河原に向かって歩き出した。他愛のない会話でふざけながら、走り出した本願くんを追いかける。

 俺たちの会える時間はこれからどんどん減っていく。それでも、何年経ってもこの先どこに住んでいても、俺たちはいつまでも友達だった。


 おわり

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お隣さんはゲテモノ食いの高校生 タタミ @tatami_tatami

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