ケーキ

 12月25日。泣く子も黙るクリスマス。

 俺はサンタの恰好をして渋谷の道に立っていた。腹ごなしにコンビニで買ったケーキを食べながら、連絡を待っていた。せっかくのクリスマスだから少しでもイベント要素を得ようとケーキを選んだのだが、サンタがケーキを食べるのは全身はりぼてのクリスマス過ぎてシュールだった。たまに通りすがるカップルが笑いながら俺の写真を撮っている気がしたが、俺にそんなことを気にしている暇はない。


 ──ブブッ。


 ポケットのスマホが震えた。見ると、待ち続けていたメッセージが来ている。


『あと10分ほどで到着です』


 俺はすぐ『了解』と返して、横に停めていたバイクもとい原付を跨ぐ。エンジンをふかせて性能限界のスピードで目的地に走り出した。

 今日は『本願くん救出大作戦』の決行日だ。俺がやると勝手に決めた。

 本願くんが大作戦を望んでいるかはわからないが、俺はもう決めていたので道路を突っ走るしかなかった。事前に色々想定して何が起きても対応できるようにシミュレーションをしようと思ったが、結局俺は自分のアドリブ力を信じることにした。俺は入念に用意した時はうまくいかなくて土壇場でやった方がうまくいくタイプということで、サンタの恰好で行くというのも昨日決めてドンキで衣装を調達したくらい、本願くんを救出するという目標以外行き当たりばったりだった。

 原付を最高速度で走らせると、やがて白い建物が見え始める。あれが万物救済会の渋谷本部だ。建設されたのは10年ほど前だと聞いたが、真っ白の壁は最近塗り替えられたかのように美しかった。

 開いている門に到達し、塀に隠れるようにして俺は駐車場を見た。そこには男性ふたりと白装束の男の子がひとり、立って何やら言い合っているようだ。白装束姿は初めて見たが、男の子は間違いなく本願くんだった。


『準備OKです』


 スマホを見ると、そう連絡が来ていた。よし、と深く息を吸って気合を入れて門の真ん中へ移動した。


「メリィークリスマァース!!!」


 俺はここ数年で1番の大声を出した。駐車場の3人が一気に俺を見て、俺は原付を急発進させた。本願くんと言い合っていたスーツの男性が何やら喚いている。あれは本願くんのお父さんだ。1度会っただけだが、俺には十分わかった。

 お父さんをめがけて走り、チキンレースのようにギリギリで原付を乗り捨てる。正体を明かすため、正直邪魔だったサンタ帽と髭を取り、俺は数少ない事前に決めていたことを実行するため拳を握り締めた。


「友情パーンチ!!!」

「!?」


 バキッ!


 助走をつけて振りかぶり、俺の拳が本願くんのお父さんの頬にめり込む。

 思春期に実家の壁を殴ったことがあるだけの俺は、人間を殴る力加減がわからず、結果本願くんのお父さんは思ったより吹っ飛んでしまった。アスファルトに転がる中高年の男性を心配するより先に、俺は自分の拳の痛さに驚愕した。


「手ぇ痛ったァ! マジか!」


 壁より人間は柔らかいと思っていたが、想像より全然痛かった。手をさする俺を、転がったまま見ていた本願くんのお父さんは、心配している信者っぽい男性を押しのけて憤慨した顔で立ち上がった。


「い、痛いのはこっちのセリフだ!! なんなんだいきなり……!! あ、お前は、配達員の……!?」


 怒鳴る途中で俺が誰か気づいたお父さんは、怒りにプラスして混乱を抱いたようだ。怒りながら困惑する姿を見て、俺は冷静でいなければと手を痛がるのをやめてお父さんを指差す。


「配達員は仮の姿。その正体は本願くんの友達です」

「な、なに……? 友達……?」

「そして今のは友情パンチ。サンタからのクリスマスプレゼントです」

「なんだと、ふざけたことを……!」


 絶対怒りを助長させると思ったが、クリスマスに『本願くん救出大作戦』が実行出来たら言うと決めていたので、俺はきっちり用意していたセリフを言った。案の定本願くんのお父さんは怒りで拳を震えさせていた。


「だって俺たち友達だよね、本願くん」


 お父さんを横目に本願くんを見ると、彼は口を開いたまま固まってこちらを見ていたが、急いで大きく頷いた。


「っそうです、竹原さんは友達です」

「お前まで何を言って──」

「本願くんのお父さん。まず、殴ったことを謝ります。ごめんなさい。でも、俺は本願くんの友達として、あなたを殴るためにここに来ました。そして、今日俺は本願くんをあなたの支配から助け出します」

「助け出す? 意味不明なことを言うな」


 俺は本願くんに近づいて、背に隠すように立った。本願くんは不安と安心の混ざった表情をして、俺を見ている。


「本願くんのお父さ──ちょっと長いので、お父さんに短縮します。お父さんは本願くんの好きな食べ物を知ってますか」

「は?」

「本願くんはカエルとセミを食べるのが好きなんです。知ってました?」


 お父さんは面食らっていた。

 自分の息子が、そんなものを食べているなんて思いもしないという顔だった。


「なんだ、それはっ……! 穢れたものを……!」

「え? あ、まぁ確かに泥くさいイメージはあるかもですけど、火を通せば安全だしそこまで言わなくても──じゃなくて、俺が言いたいのはですね」


 潔癖症なのか何なのか、思ったよりお父さんの反応がヒステリックでちょっと驚いてしまったが、俺は話を軌道修正する。


「親として、息子の好きなものとか、したいこととか知ってるんですか?ってことです。救済会の覡様として、信者を救いたいとか1度でも本願くんが言ったんですか?子どもは親の所有物じゃない。本願くんには本願くんの自我があって、意思があります。あなたの稼ぎを増やすための道具じゃありません」


 思っていることを伝えた。本当はもっと口汚く「この毒親!人でなし!金の亡者!」と言いたかったが、怒っている相手に怒りで返しても話にならないので、俺はアンガーマネジメントを頑張っていた。


「お父さんに少しでも本願くんを想う気持ちがあるなら、今の状況が本願くんにとって健全と言えないのはわかりますよね。現に本願くんは耐えかねて家出までしていた。頼るあてもないのに、出て行ったんですよ。実の父であるあなたと暮らすより、なんの保証もない危険なホームレス生活を選んだ。それなのにお父さんは、いまだに本願くんを救済会に縛り付けている。どう見ても異常です。これ以上本願くんを利用するのはやめてください」


 お父さんは俺の話を聞く間に、怒りを抑え多少は冷静な顔つきになっていた。

 しかしそこに反省や後悔の色はまったく見えず、笑うように鼻を鳴らして腕を組むと本願くんに冷たい視線を向けてから俺を見る。


「長々とお説教をどうも、と言いたいところだが部外者が親子関係に首を突っ込まないでいただきたい。そもそもあなたが祈をたぶらかしたんだろう。未成年をいいようにコントロールして、友達だと思い込ませて。そうしてヒーロー気取りで助けにきたつもりのようだが、祈に助けてほしいなんて一言も言われてないんじゃないのか。そんなのは正義感に酔っているだけだ。思い込みの激しい自己陶酔にもほどがある」

「助けてほしい、なんて言われなくても助けるのがホントの友達ですよ。もしかして友達いないんですか?」


 ネチネチと言ってくるお父さんに肩をすくめると、俺はまた怒りを買ったようでせっかく落ち着き始めていたお父さんの顔が憎たらしそうに歪んだ。


「あんたな、少し調べさせてもらったが30過ぎてフリーターなんだろ。そんなのまともな大人じゃない。祈と友達だなんて寒気がする。これ以上近づかないでくれ」

「……竹原さんはまともです。お父さんよりずっと」


 本願くんが俺の後ろから1歩、前に出て言った。

 偏見は酷いが、組織で働くことを忌諱して30過ぎてフリーターをやっている自分が、世間的に見てまともではない自覚はあった。そんな男と息子が仲良くしていると知って、嫌がる親の気持ちもわかる。だから俺はすぐに言い返せなかったけど、代わりに本願くんがお父さんをまっすぐ否定していた。


「竹原さんは僕と色々話してくれて、一緒に過ごしてくれて、とても優しい人です。お父さんとは……真逆ですよ」


 本願くんの声が震えている。怖いのだ。自分の父親に意見するのに、こんなに恐怖を感じることは尋常ではない。本願くんが交換日記に書いてくれたこと、水原さんが俺に教えてくれたこと、そこに描かれていない悲惨な家庭環境が透けて見えるようだった。

 息子が勇気を振り絞って発言したというのに、お父さんはまったく響いていない顔をしたまま、大袈裟に息を吐いた。


「息子がこんなに反抗的になったのもあなたのせいでしょうね。これ以上話すつもりはない。私への暴行は警察に届けさせてもらう。裁判も覚悟しておけ。こっちには目撃証人もいるんだからな」


 お父さんは車の傍らに立つ男性を顎でしゃくった。おそらく側近の信者だ。信者なら、いくらでもお父さんに有利な証言をするのが目に見える。受けて立ってやると言いたかったが、俺は弁護士の知り合いなどいないし殴ったのは俺が普通に悪い。どうしようかなと悩んで建物の方を見た時、横にいた本願くんがふらりと動いた。


「訴えるなんて、させないっ……」


 荒い息を吐く本願くんは、どこから取り出したのか手に小型のナイフを持っていた。キャンプで使うような、多機能のアーミーナイフだ。それをお父さんに向けるのではなく、自分の手首に当てた。


「!? ちょっと、本願くん! なにして──」

「竹原さんを巻き込むのはっ……許さない。僕のケガ、全部父親にやられたって警察に駆け込みます……!」

「バカな真似はよせ。できもしないことを脅しに使うな」

「できます、やりますよ……! 僕は、もう逃げないんだ!」

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