生薬
東京23区に構える、100㎡を超える注文住宅。
そんな成功者の象徴にある一室で、僕はノートを開いた。竹原さんと書いていた交換日記だ。
ハッピーコーポを出てから、もう何日も経っていた。おそらく10日以上この自室に軟禁されている。本当は竹原さんにLINEだけでもしたかったけど、スマホは父に没収されてしまって連絡は取れていない。軟禁される直前、水原がうちを訪れて休学中の勉強をまとめたノートと一緒に密かに渡してくれた交換日記だけが、竹原さんと過ごした唯一の痕跡だった。
(竹原さんの言う通り、ノートに書いててよかった。LINEでやってたら、何も残らなかったもんな)
竹原さんはこちらの事情など知る由もなかっただろうけど、彼には先見の明があると思った。僕なんかより、人々を救済できる人格者だから運がいいのかもしれない。現に出会ってからずっと、竹原さんの存在に僕は救われていた。
「楽しかったなぁ……」
竹原さんと過ごした時間が思い返される。誰かがあんなに仲良くしてくれたのは人生で初めてだった。救済会も覡様も関係なく、ただ純粋に僕と会ってくれるただ1人の人間だった。
竹原さんには水原が日記の内容より詳しい事情を話すだろう。そうしたら、もう本当に、僕たちは以前のようにはいられない。宗教にどっぷり関与している2世なんて、普通の人は敬遠する。
(そもそも、僕はもう自由に外に出られないだろうけど)
窓の外を見る。曇天だった。家出から帰った日と同じような空だ。
父の怒りは凄まじかった。言葉での攻撃は、僕が帰宅してすぐ5時間ほど続き、グラスが何個も床に叩きつけられて割れた。その後、『躾部屋』という窓のない地下に閉じ込められ丸2日間食事を与えられなかった。暴行をされないだけで、それ以外のことは大抵された。逆を言うと、父は暴行だけはしない男だった。痕が証拠として残るからだ。
長年にわたる躾の積み重ねによって2日間の飯抜きくらいそれほど苦痛ではなかったけど、平気そうにしているといつまでも出られないので衰弱したふりをした。そんな僕を心配した幹部信者が父に進言して躾部屋での断食は終了となり、今は自分の部屋に軟禁されるまで待遇が良くなっている。
「あ、ご飯食べないとか」
日記の1ページ目を眺め始めて、机の時計が20時になろうとしているのに気づいた。世話係兼監視役の信者が20時30分には食器を片付けにやってくる。それまでに食べ残しがあると、父をまた怒らせる。
父はまだ僕を許していないようで、食事は家出以前にも増して不気味だった。邪気を払うとかいう生薬がメインの黒ずんだ汁物は、苦味以外味がしない。塩分、脂、糖質のすべてが身体に悪く邪気を呼ぶという理論で、一般的な調味料がほとんど使われないから味の不快感は頂点に達している。水分も水以外は禁止で、不味さを誤魔化す方法がない。このような不可思議な食生活が当たり前だった僕にとって、学校で出るご飯はこの世のものとは思えないほどのおいしさだった。学校に通っていたころは平日の昼ごはんが唯一の娯楽だった。
「今日も不味いな~」
わずかな反抗心で呟く。
父にとって完璧に支配下に置いて好きに扱っていた息子が『家出』という反発をしたことは、酷くプライドを傷つける地雷行為だったようだ。教祖が息子をコントロール出来ていないというのも救済会的には忌避したい事象らしく、僕が家出をしていた事実を知っているのは父とごく一部の幹部信者のみで、『覡様は更なる救済を実行するため、修行へ向かわれた』ということにされていた。
(ずっと修行のままならよかったのに。……まさか、竹原さんが父を引き当てるなんて運が悪すぎる。いや、父さんの運が良すぎるのか)
もちろん、竹原さんは悪くない。運命のいたずらで、竹原さんと父が繋がってしまっただけだ。
未成年が家出をしているとなれば、親元に戻るよう言うのは当たり前だ。それで未成年が帰らないなら、警察に相談する。これがまっとうな大人の行動だ。
僕は、本当は父の元に戻りたくなかった。距離を置いたらほとぼりが冷めるような親子関係ではない。父のいる豪邸より、父のいない雨ざらしの道路で寝る方が幸せを感じた。
竹原さんは優しい人だから、僕が本気で事情を話したら、きっと家出したままでいいと言ってくれたと思う。しかし、竹原さんを説得して家出を続行した場合、僕を捜しに来た父は竹原さんを悪役に仕立て上げるだろう。誘拐犯だとか性犯罪者だとかいくらでもでっち上げて、竹原さんの人生をめちゃくちゃにして、自分が息子に歯向かわれた事実を抹消する。
なぜ、こんなことを具体的に想定するかというと、実際に母がやられたことだからだ。
(……お母さん、元気かな)
僕は久しぶりに母のことを回顧した。いくら願っても会えないから、普段は考えないようにしていた。
昔、母がこの家に住んでいたころ、一緒に河原に散歩に行ったことがあった。春だった。タンポポがたくさん咲いていて、「祈ちゃん。タンポポって実は食べられるんだよ」と教えてくれた。幼かった僕が興味を示すと、スーパーに売っていないものも、食べられるものがあると笑顔で教えてくれた。母は大学の農学部を出た研究職で、食用の生き物について詳しかった。
「勝手に食べたら危険なものもたくさんあるから、お母さんが一緒にいる時に食べてもいいか確認すること!」
母は僕に小指を出して、指切りげんまんをした。約束を守って、母と2人きりの時だけ花の蜜を吸ったり木の実を食べた。2人だけの秘密の遊びだった。
母がいなくなって食べてもいいか確認できなくなってからは、独学で図鑑を読んで学んだ。自室の本棚には図鑑が大量に並んでいる。てっきり家出して捨てられると思っていたので、残っていたのは嬉しかった。
(父さんにも多少の情があるのか、捨てるほどの興味がないだけなのかはわからないけど)
僕が10歳の時、母は本願家と絶縁した。
母は当初、父の興した宗教法人を企業だと伝えられていた。父が宗教を始めたと知ったのは、僕を身ごもってからだった。父は離婚を切り出されないタイミングを見計らって、後ろめたい金策を伝えたのだ。母はまだ宗教までなら許したかもしれなかったが、息子が宗教に利用されるのは許せなかった。
結果、母は僕を守るために父に歯向かい、親権も財産分与もなく、息子への接近禁止命令のみ与えられて離婚させられた。僕を虐待していたとか、育児放棄だったとか、不倫をしていたとか。父はないことをでっち上げて、離婚に追い込んだ。救済会が軌道に乗り父はすでに金持ちで、金さえ払えば何でもする有能な弁護士を雇っていた。幼かった僕にとっては突然母がいなくなり、誰に聞いても理由を教えてもらえず訳がわからなかった。
事の真相を知ったのは、15歳の時。救済会を調べている週刊誌の記者が、学校から帰る僕に取材を申し込んできて、無視して歩く僕の横で離婚の経緯をすべて話したのだった。「俺の話、合ってるかな?お父さん、酷いよねえ。お母さんは実家の岡山にいるってほんと?」とニヤつく記者を置いて、何も知らなかった僕は走って家に帰った。記者の話が本当なのか知るすべはなかったが、父をよく知っている僕からすれば、語られた内容はほとんど真実だと嫌でもわかった。
その記者が書いた救済会の記事が世に出たのかは知らない。出ていたとしても、大して話題にはならなかったと思う。記者の名刺に書いてあった出版社は三流だったし、救済会も話題性の薄い中途半端な三流だからだ。
「……はぁ……」
嫌な記憶がとめどなく蘇ってきて、嫌になって息を吐いた。
もっと楽しいことを考えなければと、僕はどうにか食べ終わった生薬汁の食器をどかして、交換日記を開いた。竹原さんとのやり取りを1ページ目から丁寧に振り返っていく。嫌な記憶を押しやるように思い出が溢れてきて時折笑ったりしながら、僕は自分の現状から目を背け現実逃避をした。
父の怒りが収まったら、また覡様としての仕事が復活する。自分で考えることを放棄した盲目の信者たちの前で、神の力を持つフリをしなくてはならない。一心に救済会を崇める信者たちが何年も救済会に搾取され続けている時点で、この世に神などいないのに。
(もし神様が本当にいるなら、竹原さんとまた一緒にカエルを食べたいな。そのくらい叶えてもらってもいいくらいには、救いのない人生だと思うんだけど)
今度竹原さんに会えたら何をご馳走しようかと叶わない空想をしていると、いつの間にか交換日記を読み終えてしまった。終わっちゃったと寂しくなりながらペラペラとページをめくってみる。もう何度も読み返していて新鮮さは全くないけれど、埋めるに至らなかった空白のページは見てこなかった。もはや何も書かれていないところにさえ思い出を感じそうになっていると、1番最後のページに文字が見えた。
「あれ……」
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