カエル

 罠にかかった動物は、こんな気持ちになるのだろうか。

 本願くんは逃げ腰の俺が逃げるのを許さず、動かない俺の背中を押して1Kに追い上げた。


「ま、待って! カエルってあの──」


 あのカエルのことかと聞こうと振り返ったら、キッチンのまな板に剥がされたカエルの皮にしか見えないものがあって、俺はいい大人なのに「きゃっ」と小さく叫んだ。


「あ、そのままにしちゃってた。捨てますね」


 本願くんは素手で皮を掴むと、ポイっとゴミ袋に入れる。冷静で怖い。


「カ、カエルってなんで、なんで食べようとしてんの……!?」

「おいしいからですよ。カエルはフランス、中国、タイやベトナム辺りでは一般的な食材なんです」

「え、あ、そうなんだ……?」


 そう言われると急に俺が驚きすぎている気がして、とりあえずビビるポーズをやめた。


「カエルって日本でも売ってるんだね……」

「これはそばの河原で取ってきました」

「えっ」

「立派なウシガエルが3匹も捕れて、醤油も貸してもらえて今日はいい日です」


 ふふ、と上機嫌な本願くんは、そこら辺の河原にいたというカエルを煮ている鍋に、醤油を入れ始めた。


「食用で売られてないカエルって、食べて平気なんですか……?」

「ウシガエルは全然大丈夫です。寄生虫はたくさんいるけど火をちゃんと通せば問題なし」


 寄生虫たくさんいるものを食べたくないよ。

 そう思ったけど、本願くんはちゃんと知識があるようなので、反論する脳もない俺は黙って鍋を覗き込んだ。


(うーん、普通にカエルの足まんまあるな……)


 魔女の鍋みたいになってる様を見て食欲を失っていると、本願くんはコップに水を入れて渡してくる。


「散らかってますけど、座っててください。すぐできます」


 食事を断りたい気持ちはあったが、せっかく誘ってくれた高校生の親切を無下にするのは悪い気がした。カエルを食べるという覚悟を決めた俺は、ローテーブルのそばに置かれたクッションの上に座る。

 室内を見渡すと、ところどころ洗濯物が出しっぱなしになっている以外物がほとんどないような部屋だ。散らかってはいるけど、散らかすものが少ないのでごちゃごちゃという印象はない。


(親と住んでるならかなり狭いだろうし、物増やさないようにしてるのかな)


 そしてカエルの件で頭からすっ飛んでいたが、いると思った保護者が部屋にいない。本願くんの防犯意識を心配していると「できました!」と聞こえた。


「はい、カエルのスープです。召し上がってください」


 大きいお椀2つと割り箸二膳を、本願くんがテーブルに置く。

 カエルの足がお椀から伸びていて見た目は相変わらずだったが、香りはお雑煮のようでおいしそうだった。


「あ、ありがとう。……いただきます」


 恐る恐る、俺はまずスープに口を付けた。瞬間、品のいい香りが鼻に抜ける。


「!」


 カエルの出汁が出ているのか、スープは深みがあり、あっさりとしていて飲みやすい。香りの通り、少しお雑煮っぽい味だった。


「……うまい」

「よかった! カエルもぜひ」


 勧められて、カエルの足を少し口に入れる。生臭さがあるのかと思いきや、臭みはなくほろほろとして食べやすい。


「すごい、これがカエル……。鶏肉っぽいんだね」

「はい、無料の鶏肉です。僕、作った料理初めて人に食べてもらえました」


 本願くんは俺がカエルを食べるのを嬉しそうに見届けてから、自分も食べ始めた。


「カエルってもっと生臭いかと思った」

「下味をちゃんとつけて、生姜を入れることで臭みを取ってるんです。雑に食べるともうちょっと食べにくいですね」

「へえ~本願くん料理人だね。俺料理しないから関心しちゃうよ。味つけがちゃんとしてておいしい」


 主食が即席既製品ばかりの俺は、自炊と呼べるようなことはほぼしたことがない。


「カエルへの偏見がなくなった。新しい体験できちゃったな」

「いつでもご馳走しますよ」


 つい先ほどまでカエルを食べることに後ろ向きの感情しかなかったが、食べ終わると普通においしくていい思い出になっていた。


「あ、食後のデザートもどうですか」


 2人ともカエルを食べ終わり、親御さんが帰ってくる気配もないのでそろそろお暇しようと思っていたら本願くんがそう言った。

 俺が答える前に本願くんは立ち上がって冷蔵庫を開ける。


(なんだろう、リンゴとか?)


 蓋を外されたタッパーが、どん、とテーブルに置かれた。

 それは茶色い集合体で、見てすぐには何かよくわからなかった。


「これなに?」

「セミの素揚げです」

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